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(7)女たちの会津戦争−中野竹子、中野優子

竹内みちまろ

 会津戦争はまさに地獄。自害した女性たち、不本意に命を落とした女性たち、蛮行の餌食になり、拉致されて集団で強姦された女性たちも多くいました。

 女性たちの中には、敵軍の城下侵入後、城へ向かいましたが、城門が閉じられていて、城に入れなかった者たちがいました。中野平内の妻「こう子」(44)、娘の中野竹子(22)と中野優子(16)ら6人の女性も、城門が閉ざされていたため城に入ることができず、入城できなかった時を想定して、あらかじめ決めておいた集合場所に集まりました。いったんは、照姫が避難したと聞き、避難先へ向かいましたが、照姫はいませんでした。

 女性たちの一行は会津藩の正規兵と合流しました。髪の毛を切り、男装し、武装して婦女隊となりました。のちに、娘子軍(じょうしぐん)、娘子隊(じょうしたい)とも呼ばれれる婦女隊ですが、夜、こう子が、娘の竹子と、敵に捕まり慰みものになるよりはと、美麗な下の娘・優子(16)を殺そうと相談しました。そのときは、ひそひそ話を耳にした別の女性から、蕾を空しく散らすよりはともに戦いやむを得ぬときに自刃しても遅くないのではと止められたそうです。

 会津軍は、越後から引き上げてきた部隊と合流して城下へ向かう作戦でした。娘子軍も加わりました。新政府軍とは、城下へ入る涙橋で激突。髪の毛を切り、男装はしていても、どこから見ても女性だったため、婦女隊を見た新政府軍は、捕捉して強姦するために「生け捕れ、生け捕れ」と殺到します。涙橋の戦いで、中野竹子は額を撃ち抜かれました。

 また、足手まといと思われていた優子も奮戦し、竹子が銃弾に倒れた後は、「お姉さまの御首級を敵に渡してはなりません」と果敢に竹子に近づき、会津藩兵に守られる中、竹子を介錯し、首級を包みました。

 竹子は会津城下では羨望の的でした。当時、会津の銭湯はどこも混浴でしたが、竹子は、1、2度、銭湯にいったことがあり、美貌とふくよかな体が、男たちの目を釘付けにしたそうです。

 戦闘に臨む竹子は、辞世の句を書きとめた短冊を長刀(なぎなた)に結びつけていました。

ものの夫(ふ)の猛(たけ)き心にくらぶれば

  数にも入らぬ我身ながらも

 会津女性の心を表した句だと思いました。



→ (1)会津落城


→ (2)会津落城−戊辰戦争の悲劇


→ (3)女たちの会津戦争−死んで後世の審判を仰ぐ


→ (4)女たちの会津戦争−照姫、若松賤子、日向ユキ


→ (5)女たちの会津戦争−西郷千恵


→ (6)女たちの会津戦争−山川艶、山川二葉、山川咲子(大山捨松)


→ (7)女たちの会津戦争−中野竹子、中野優子


→ (8)女たちの会津戦争−神保修理、神保雪子


→ (9)女たちの会津戦争−高木時尾


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