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風の又三郎/宮沢賢治のあらすじと読書感想文

2012年4月23日 竹内みちまろ

風の又三郎/宮澤賢治のあらすじ(内容はネタバレ含)

 谷川の岸にある全校生徒48人の小学校に、9月1日の朝、4年生の転校生・高田三郎がやってきました。赤い髪の毛をしており、父親はモリブデンという鉱石の採掘関係の仕事をしています。学校のうしろの山が風にゆられ、高田三郎に「風の又三郎」というあだ名がつきました。

 翌日、登校した三郎は「お早う」と告げましたが、先生以外とは「お早う」などと言葉を交わさない小学生たちは面食らってしまいました。9月4日の日曜日、6年生の一郎をはじめ数人が、三郎の家の近くの湧水で待ち合わせをし、野原に行きました。牧場の馬が20匹ほどおり、三郎の提案で「競馬」をすることに。「競馬」といっても自分の馬を決めて、追い立てて走らせるだけですが、うち2頭が柵を超えてしまいました。三郎と嘉助らが追います。雷が鳴り、嵐になりました。一郎の兄の助けを借りて、馬を捕まえることができました。

 「競馬」をした翌日は、学校が終わってから、たばこ畑へ行きました。三郎は、専売局の役人からしかられることを知らず、たばこの葉を採ってしまいました。後日、専売局の担当者が歩いてきた際には、一郎からの「みんな又三郎のごと囲んでろ囲んでろ」という指示で、仲間たちが三郎をかくまう場面も。泳ぎに行った川で発破が行われて魚が流れてきたりと、毎日、遊び回ります。

 9月12日月曜日、一郎と嘉助が雨風にびしょ濡れになりながら学校へ行くと、三郎は、モリブデンの鉱脈に当分、手をつけなくなったという父親の仕事の都合で転校していました。先生は「日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです」といいます。

「やっぱりあいづは風の又三郎だったな」

風の又三郎/宮沢賢治の読書感想文

 読み終えて、子どもだった時代を、思わず回想していました。転校の経験はないのですが、転校生というものは、出会いも別れも、子どもにとっては一大イベントでした。しかし、思い出そうとしてもぼんやりとしたイメージや、記憶の断片だけが浮かんできて、顔や名前は思い出せません。現在であれば、インターネットを利用して、出身校らを手がかりに、検索したりすることも可能なのでしょうが、『風の又三郎』を読んでしまうと、そういったことはしたくなくなります。

 『風の又三郎』の舞台の村のモデルは、宮沢賢治の故郷の盛岡市や花巻市でしょうか。学校のうしろの山のモデルは鉱物採集に夢中になった賢治が登山を繰り返したという岩手山かもしれません。それにしても、『風の又三郎』では、天気がよく変わっていました。霧が出て学校のうしろの山が見えなくなったり、登校時は雨でも、2時間目が過ぎたころから急に日が差したり、遊び回っていたら急に雲行きが怪しくなって雷が鳴ったりと。そういった天候の描写からイメージが喚起され、『風の又三郎』では、文章から、音やリズムが伝わってくるとともに、移り変わりの激しい空や空気のにおいまでにじみ出てくるような感じがしました。

 そんな自然の中で育まれた、三郎と仲間たちの別れは、「やっぱりあいづは風の又三郎だったな」という言葉だけで十分なのだなと思いました。素朴に生きている子どもたちには「思い出を作る」などという発想はなく、目の前にある時間をただ夢中で過ごすだけです。「心の中に刻む」だとか、「思い出作り」だとか、「出会いと別れ」だとかいう大人の都合で生み出された言葉とは無縁に生きている時間の中から、「思い出」というものが、あとになって生まれてくるのかもしれないと思いました。


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