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セロ弾きのゴーシュ/宮沢賢治のあらすじと読書感想文

2011年8月29日 竹内みちまろ

セロ弾きのゴーシュ/宮沢賢治のあらすじ

 町はずれにある水車小屋に住むゴーシュは、午前中は畑の手入れをして、午後に、活動写真館でセロを弾いていました。金星音楽団の中でも一番下手で、楽長からは注意をされ、皆からは気の毒そうに目を背けられたりしています。

 コンサートの10日ほど前、ゴーシュは、セロを持ち帰って、夜に小屋で練習を始めました。三毛猫、かっこう、子狸、野ねずみが家にやってきて、ゴーシュは訪問者をどなりつけたり、出て行けと追い出したり、野ねずみの子どもをセロの中へ放り込んでしまったりします。同時に、猫の口笛に「トロメライとはこういうのか」と感心したり、かっこうの鳴き声の方が自分のセロよりもドレミファソラシドにあっていると感じたり、子狸の「二番目の糸をひくときはたいてい遅れるねえ」の言葉にはっとしたりもします。最後にやってきた野ねずみにはパンを分けてあげることもしました。

 それから、6日目の晩、町の公会堂のホールでコンサートが開かれました。金星音楽団は、第6交響曲を演奏し、拍手の嵐を受けます。観客はアンコールを求め、楽長はゴーシュに、「何か出て弾いてやってくれ」と頼みます。ゴーシュは「わたしがですか」とあっけにとられますが、半ばやけになって演奏をし、楽屋へ戻りました。誰一人笑っていない楽団の反応を見て「こんやは変な晩だなあ」とゴーシュは思いますが、楽長も仲間たちも皆、「よかった」とほめました。

セロ弾きのゴーシュ/宮沢賢治の読書感想文

 『セロ弾きのゴーシュ』は、読み終えて、何だか、キツネにつままれたような印象がありました。途中からなんとなくストーリーの予想はつくのですが、それにしても、ゴーシュは怒ったり、どなったりと、『銀河鉄道の夜』や『よだかの星』に登場するジョバンニやよだかが持っているような、純粋さや、詩的素質や、謙虚さなどは持ち合わせていないように感じました。また、コンサートでは、ゴーシュの演奏が皆を感銘させたのですがゴーシュ一人がそのことを分かっていませんでした。さらに、楽長や皆から、演奏が良かったことを知らされたあと、楽長が向こうで言っていた「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうからな。」という言葉が書かれていたり、家に帰ったゴーシュが、かっこうが飛んでいったと思った遠くの空を眺めながら「ああかっこう、あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と言ったせりふが書かれていたりします。意味深には感じるのですが、それが、作品の中でどのような意味を持つのか、皆目検討がつきません。わざと、めでたしで終わる単調な作品にしなかったり、また、ゴーシュの葛藤や成長の物語にしなかったりしたようにすら思えました。あるいは、さらに進んで、わざと謎を残すような終わり方にしたようにも感じました。しかし、それでも、なぜそうしたのかという宮沢賢治の意図は、まったくわかりません。

 『セロ弾きのゴーシュ』は、宮沢賢治の実質的な最後の童話で、死の直前まで推敲がなされたそうです。作品が意味深な形で終わっているのは、死の直前に書かれたことと関係があるのかもしれないと思いました。

 また、『セロ弾きのゴーシュ』を読んで、宮沢賢治は「4度の繰り返し」が好きなのかなと思いました。作中で、三毛猫、かっこう、子狸、野ねずみが4夜に渡りやって来ます。また、『よだかの星』では、主人公のよだかは、オリオン座の星、大犬座の星、大熊座の星、鷲座の星の4つの星に向かって、そばに行かせて下さいと頼んでいます。「3度の繰り返し」は古今東西を問わず多くの作品で使われますが、「4度の繰り返し」はあまり見たことがなかったので、宗教観なども含めて、何か独特の思想なりがあったのかもしれないと思いました。


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