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夏の花/原民喜のあらすじと読書感想文

2015年6月15日 竹内みちまろ

夏の花/原民喜のあらすじ

 文庫「夏の花」(夏の花三部作「崩壊の序曲」「夏の花」「廃墟から」収録)を読みました。あらすじと感動をメモしておきたいと思います。

 「夏の花」は、広島で軍需産業となっていた森製作所を営む本家に、妻を失ったことで東京から戻ってきた正三の視点を中心に語られる物語です。「崩壊の序曲」には、ラジオが「硫黄島の急」(硫黄島は1945年3月に米軍によって占領)を告げていたころから、1945年8月6日の広島への原爆投下直前までの様子、「夏の花」には原爆投下後の広島の惨状、「廃墟から」には原爆投下以降から数カ月後までの出来事が記されています。

 「崩壊の序曲」には、正三の1番上の兄の順一とその妻の高子、中学生の甥2人、次の兄の清二とその妻の光子、姪と国民学校1年生の甥、30歳半ばの妹の康子(病弱な夫は他界)と妹の子どもたちをはじめ、森製作所の従業員や、街に住む人たちなどが登場します。正三は、職に就くわけでもなく、本家の2階の部屋で朝寝と夜更かしを繰り返したり、何ということもなしに街をぶらぶらと散歩したり、たまに森製作所の雑用を手伝ったりしていました。

 正三には、どこか厭世的なところがある一方で、思索的な一面もありました。康子は、度重なる失踪をする兄嫁・高子が再び姿を消すと「まあ、立派な有閑マダムでしょう」と皮肉ったりしましたが、正三は、「だが、この戦争の虚偽が、今はすべての人間の精神を崩壊してゆくのではないかしら」と口にしたりしていました。

 実家に戻ってきた正三は、長い間離れているうちに、実家が異様な空気に包まれ、兄や妹たちがひどく変わっていたことに気が付きます。自身も含めて、「みんなが、みんな、日ごとに迫る危機に晒されて、まだまだ変わろうとしているし、変わってゆくに違いない」と感じ、「ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。−−これが、その頃の正三に自然に浮かんで来るテーマであった」と記されていました。

 広島上空にもアメリカ軍の艦載機が姿を現し九州へ向かったりしました。4月に入ると、森製作所で働いていた元気で気配りの細かい片山のもとに召集令状が届き、ある朝、初めてB29が広島上空に姿を現します。森製作所の縫工場(ぬいこうば)にいた学徒の女学生たちは一斉に窓から見上げて、空に残る飛行機雲に見とれ、「綺麗だわね」「おう速いこと」など口々に歓声をあげました。

 正三は、近所の国民学校の講堂で毎晩行われていた点呼の予習に参加しまいた。教官が大声で参加者を怒鳴りつけながらも急に「よせよ、ハイで結構だ。折角、今までいい気分でいたのに、そんな返事をされてはげっそりしてしまう」に苦笑いを浮かました。正三は、「馬鹿馬鹿しいきわみだ。日本の軍隊はただ形式に陶酔しているだけだ」とハッと気が付きます。

 隣県の岡山市に大空襲があり、呉も焼かれました。広島が大空襲を受けるという噂が立つ一方で、広島は大丈夫、広島は助かるなどの噂も広まります。家財道具を郊外に運んだり、子どもだけでも疎開させたり家も出てきました。8月6日を迎えます。

夏の花/原民喜の読書感想文

 「夏の花」を読み終えて、原爆投下によってもたられた広島の惨状が未曽有のものだったことを感じました。後世を生きる私たちは、記録写真や記録映像、証言や資料、さらに、物語や映画、マンガ、小説などの表現手段を用いての伝聞に触れる機会が多いのですが、それでもなお、「夏の花」を読んで、原爆の使用が未曽有の惨状を起こしたことを痛感しました。

 原爆の投下時、正三は起きてすぐにトイレに行っていたため一命を取り留めました。前の晩に2回も空襲警報が出た末に何事もなかったため気を緩め、久しぶりに服を全部脱いで寝間着で寝たので起きたときはパンツ一枚の姿でした。妹が「やられなかった、やられなかったの、大丈夫」と叫び、正三はそんな妹に「とにかく着るものはないか」と告げ、妹は崩壊した押入れからなんとかパンツを取り出していました。

 トイレにいた正三は、「突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた」という状態でした。急に、「誰か奇妙な身振り」の人間が家の中に入ってきました。顔を血だらけにしたシャツ一枚のその男は工場の人でしたが、「あなたは無事でよかったですな」と言い捨て、「電話、電話、電話をかけなきゃ」と呟きながらどこかへ行ってしまいます。

 家を出ると、やや遠くに見える鉄筋コンクリートの建物のほかは目標になるものが何もないほどに街は崩壊していました。隣の製薬会社の倉庫から炎が上がり始めます。全壊を免れた家から、正三は、ポックリと折れ曲がった楓のそばを踏み越えて出ていきます。

 正三が踏み越えた楓の木は、少年だった正三が夢想の対象にしていたものでした。正三は、春にこの家に戻ると、「もう昔のような潤いのある姿が、この樹木からさえ汲みとれない」ことを、つくづく奇異に思っており、郷里全体が「やわらかい自然の調子を喪って、何か残酷な無機物の集合のように感じられる」こともあったことが記されています。庭に面した座敷に行くたびに、エドガー・アラン・ポーの小説のタイトル「アッシャ家の崩壊」を思い出したりしていました。

 感受性が豊かで、物事の本質に気が付くクレバーなところもあり、詩的な一面も持っていた正三ですが、崩壊した家屋を乗り越えて逃げ出すと、怯えきった相で「おじさん」、「助けてえ」と後をついてくる少女や、路上に立ちはだかって「家が焼ける、家が焼ける」と泣きわめく老女や、避難民が集まり始めた栄橋の上から誰かが「元気な人はバケツで火を消せ」と呼び掛けるのを目の当たりにします。

 正三は、長い間脅かされていたものがついに来たと感じます。その時がくれば、ふたつにひとつは助からないと予感していたのですが、ふと、自分が今、生きている意味が自分を「弾いた」と記されています。「このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相を殆ど知ってはいなかったのである」とありました。

 正三は、ある使命感のようなものを感じたのだと思います。そして、原爆投下直後から数カ月の間に起きた惨状を書き記します。

 しかし、正三が「このことを書きのこさねばならない」と感じた以降に書き記されていた文面、あるいは言葉からは、豊かな感受性も、物事の本質を言い当てる明晰さも、詩的な一面もありませんでした。以前は、星空を見上げて、トルストイの「戦争と平和」の登場人物の目に映る大自然の眺めや静まり返った心境に思いを馳せていた正三ですが、いつも使っている“自分の言葉”を放棄してカタカナで印象を残す場面すらありました。

 そんな正三が書き記す、無機質とも思えた文面や、「その顔は約1倍半も膨張し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしをのこしている」女性を目の当たりにして「一目見て、憐憫よりもまず、身の毛のよだつ姿であった」などと記す人間性が麻痺したとも思える描写に触れて、原爆がもたらした惨状は、正三が予感していた事態はもちろん、正三がそれまでに持っていた感性や、知性や、経験、そして、表現手段や言葉すらをも超えた現象だったことを感じました。

 この文章を書いている今は2015年6月です。あと2か月足らずで、原爆の投下から70年が経ちます。70年が経つ現在も、後遺症をはじめとする原爆の被害は世代を超えて続き、苦しみ続ける人々が存在します。今後も、いかに原爆の使用が非人間的行為であったのかという「空襲の真相」がさらに明るみにされることを思うと、原爆の投下が前代未聞の行為だったことを伝えている「夏の花」の重みを痛感しました。


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