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ふたりのイーダ/松谷みよ子のあらすじと読書感想文

2012年9月5日 竹内みちまろ

ふたりのイーダ/松谷みよ子のあらすじ

 小学4年生の直樹は、もうすぐ3歳になる妹のゆう子といっしょに、母親に連れられて、東京から瀬戸内海にある広島に近い花浦の祖父母の家に来ました。母親が「取材」の仕事で九州へ行く間、2人の子どもを祖父母に預けるためでした。父親についての説明は特にありません。

 祖父母の家に到着すると、母親達は世間話を始めました。直樹は、みんなが夢中になっている間に、家を抜け出して、おほりに出ました。夕日が差し込む風景に見とれていると、足元を誰かがコトリ、コトリと通り過ぎる音を聞き、「イナイ、イナイ、ドコニモ……イナイ……」というつぶやきを耳にします。直樹が見ると、背もたれの着いた木のイスが、ほりばたの白い道を、足を引きずるようにして歩いていました。直樹は信じられませんでしたが、確かにイスが歩いており、つぶやいています。イスが消えた辺りで立ち止まると、木の茂みの中へ脇道がありました。左手の木立にも道があり、今度は、イスが歩いて行ったように見えました。直樹は思いきって、うす暗い林の奥へ入っていきました。すると、城山のくぼみに、一軒の洋館のような家が建っていました。

 洋館には、大理石のしょんべん小僧の像があり、池もあります。直樹は、どうしてもこのまま帰りたくなくて、玄関のドアを開けました。玄関に置かれた壺の黒い花が音を立ててくずれ、直樹は振り返りもせず、外へ走り出しました。

 翌日、祖父母は留守で、ゆう子の面倒を頼まれた直樹は、昼寝から目をさますと、ゆう子の姿が見えませんでした。ゆう子を探しに出た直樹は、「あそこらへんにゆう子はいるにちがいない」と思い、洋館へ向かいます。門の中に踏み込むと、ゆう子が一人でおままごとをしていました。ゆう子はいきなり家の中へ駆け込んでいきました。直樹が洋館にあがると、ゆう子はイスにまたがって、体をゆすりながら奥から飛び出してきます。直樹を見たゆう子は、「だあれですかあ。」と尋ねました。直樹は遊び疲れて寝てしまったゆう子を祖父母の家に連れて帰りました。

 翌日、祖父母は、直樹とゆう子を宮島へ連れて行くと言いました。直樹は仮病をつかって留守番することにしました。洋館を一人で探険するつもりでした。祖父母とゆう子が宮島へ出かけたあと、祖母から様子を見てくれるように頼まれた近所の娘・りつ子が家に来ました。りつ子が帰ると、直樹は戸締まりをして、家を出て、洋館へ行きました。直樹が家にあがると、イスは「マッテイタ。」と直樹を迎えました。

 ゆう子には「イーダ」というあだ名がありました。由来は、直樹が「イーダ」とにくたらしい顔をしてみせたらそれをゆう子が気に入り、なにかいうとすぐにゆう子は「イーダ」をし、しまいには「イーダちゃん」と呼びかけると「ああい」と返事をするようになったのでした。直樹が洋館に行くと、イスは直樹へ「チイサナイーダガ、マタカエッテキタ」「イーダノオカアサンハ、シンダ」などと話し始めます。イスがいう「イーダ」は日本人で、アンデルセンの童話『イーダちゃんの花』がお気に入りだったそうです。直樹が部屋を見回すと、「6」という数字で終わった日めくりカレンダーがかかっていました。直樹は、イスが「キノウ」家を出てから帰ってこない「オジイサントイーダ」を待っていることを知りました。直樹がイスに「きみのまっているイーダと、ぼくの妹はちがうんだ。」などと告げていると、ゆう子が、「おかえりなしゃあい、ただいまあ。」と言いながら駆け込んできて、イスに腰掛けました。ゆう子は、「ギッチョー、ギッチョー、こめつけ、こめつけ」と、直樹が知らない遊びを始めました。

 翌日、イスがいう「イーダ」を探そうと思った直樹は、手がかりにするため、「6」という数字で終わった日めくりカレンダーを洋館から持ち出しました。資料館にいっしょに行ったときに直樹が洋館にあったのと同じイスに見とれたことから、りつ子がイスの製作者を調べてくれ、直樹は、イスの製作者が「宗方進吉郎」という人であることを知りました。直樹は、日めくりカレンダーを、りつ子に渡しました。翌日、直樹は、りつ子から、カレンダーの日付は1945年8月6日であり、その日、広島に原爆が落とされたことを聞きました。直樹は、りつ子を、洋館へ案内しました。りつ子は、しょんべん小僧を見つめ、「わたしね、これ、見たような気がするの、このへんのけしきを、そっくりね」と告げます。りつ子は、カレンダーがかかっていた柱から食器棚へ目を移し、本立てから『イーダちゃんの花』の絵本を取り出しました。後ろの見開きに「むなかた まきこ」と幼い字で書かれていました。その日はちょうど8月6日で、直樹は、りつ子に連れられて、列車に乗って、広島へ灯籠流しに行きました。直樹は、原爆慰霊碑の前で、(いすつくりのおじいさん、あなたのいすは、おじいさんやイーダちゃんを、まって、まって、まちつづけています)と語りかけます。りつ子は、「わたしは、こんなに/おおきくなりました。」と記された灯籠を流しました。夜、ふとんに入ると、祖母が、明日、母親が戻ることを教えてくれました。

 翌日、直樹は、ゆう子を連れて、洋館へ行きます。イスへ、おじいさんが「ヒロシマへいくって、いわなかったかい」「その日、おじいさんたちが出てから、ぴかっと光ったり、ドーンという音がしなかったかい」と尋ねます。直樹は、おじいさんとイーダが、原爆にあって死んだらしいと告げます。イスは、ムキになって否定し、ゆう子が「ワシノイーダダ」と主張します。「イーダ」の背中には3つ連なったほくろがあるので、ゆう子の背中を見せろといいます。ゆう子の背中にはほくろはなく、イスは、倒れて、バラバラになってしまいました。

 直樹が東京に帰ってから、りつ子から手紙が来ました。そこには、りつ子の祖父が「宗方進吉郎」で、母親が「牧子」、そして、りつ子自身が「イーダ」であることがわかったと記されていました。りつ子は、1945年8月6日、原爆投下後の広島をさまよっている時に現在の養父母に保護され、原爆による白血病に苦しんでいました。りつ子は、「直樹ちゃん、わたしは、きっときっと元気になってみせますよ。ぜったい、死んだりしませんよ。そして、あの家へ住もうと思うのです」などと書き記していました。りつ子の手紙を読んだ直樹は、「おねえちゃんは死ぬもんか。よくなるんだ。ぜったいよくなるんだ。そのときこそ、あの家も、いすも、よみがえるんだ。しあわせな日が、もういちどくるんだ」と思います。

ふたりのイーダ/松谷みよ子の読書感想文

 「ふたりのイーダ」では印象に残っていることがあります。ゆう子は、イスがいう「イーダ」ではないのですが、なぜか、初めて訪れる場所である洋館のことを知り尽くしていて、隣の部屋からクレヨンを持ち出して来たりします。また、祖父母の家で、直樹の原稿用紙を、祖父母や直樹には読むことができない不思議な文字でびっしり埋めていました。ゆう子自身は何を書いたのか語りませんが、原稿用紙に書かれたのは、人間がどこかで受け継ぎ、成長するにしたがって失われていく物語ではないかと思いました。祖父も、ゆう子がびっしり埋めた原稿用紙を見て、「三つにもならん子が、ひとりでなにを考えながらこれを書いたのじゃろうか。人間いうもんはな、赤んぼうのときに、いちばんなにもかもしっとるんやとわしは思う。大きゅうなるにつれて、世の中の俗事が一つ一つ頭にはいるかわり、たいせつなことを、一つ一つ、わすれていくのじゃと、わしは思うな。」と感心します。

 受け継がれていく記憶や意思というものは存在すると思えるような作品で、少年の一夏の冒険を、科学では解明することができない生命の始原的現象と重ね合わせることにより、原爆の記憶というものも、いっそう、鮮やかに浮き彫りにしている作品だと思いました。


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