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黒い雨/井伏鱒二あらすじと読書感想文

2012年8月17日 竹内みちまろ

黒い雨/井伏鱒二のあらすじ

 三方を山に囲まれた高原にある小畠村。広島県の蘆田川と岡山県の小田川に注ぐ分水嶺です。過疎化が進むその小畠村に住む閉間重松(しずま・しげまつ)は、数年来、姪の矢須子(やすこ)が原爆病患者であるといううわさに心を悩ませています。また、重松と妻のシゲ子が矢須子の原爆病を隠しているともいわれており、矢須子に縁談があっても、聞き合わせに来る人がそのうさわを聞きつけ、縁談を断られてしまっていました。

 たしかに、原爆が落ちたとき、重松とシゲ子と矢須子は広島におり、重松は原爆病と診断されています。が、矢須子は「被爆者定期健康診断」では「異常なし」と診断されています。その診断は、終戦から4年10か月目のことですが、矢須子に喜ばしい縁談が持ち上がっていたときで、重松は、仲人へ、矢須子の健康診断証明書を郵送しました。すると、仲人は、小畠村のどこかの家に矢須子の健康について聞き合わせに来たとみえて、矢須子の原爆投下の日から小畠村へ帰るまでの広島における足取りを知りたいと手紙で伝えてきました。

 矢須子とシゲ子は納戸に入って泣きましたが、矢須子は、1945年度の矢須子の日記をたんすの引き出しから取り出し、重松に無言で手渡しました。

 重松は、先方へ送るため、8月5日からの矢須子の日記を書き写し始めます。重松は、途中から達筆なシゲ子に日記の書き写しを頼みます。シゲ子は「黒い雨」を浴びた個所を省略したほうがよいのでは、と重松に相談しました。「あの頃なら、黒い雨のことを人に話しても、毒素があることは誰も知らんので、誤解されなんだでしょう。でも、今じゃ毒素があったこと、誰でも知っています」とのこと。重松は、自身の「被爆日記」を書き写して、縁談の世話人へ送るといい始めました。

 重松の「被爆日記」には、8月6日に重松が横川駅で被爆してから、玉音放送があった15日までの様子が記されています。重松は空襲があった際の避難場所と打ち合わせていた広島文理大学のグラウンドでシゲ子と落ち合い、消息を伝える貼り紙をするためにガラスの破片が散乱し南南東に15度ほど傾いた家に戻ったとき、矢須子と合流していました。

 寂しい村に年中行事が立て込む時季、重松は、坂道の脇にある好太郎の家に届け物に向かいます。好太郎の家には先客がおり、縁談先の人が矢須子の「原爆病」のことを聞き合わせに来ていたのでした。重松は「矢須子が晒しものにされているようで可哀そうでならない」ため、「意地でも」と思い、「被爆日記」の書き写しを続けました。しかし、あと3日分を清書すれば書き写しが終わるという時、矢須子の病気が急に悪くなり、「素人目にも殆ど絶望的」になります。重松は、重傷の被爆患者で「息を吹き返した」人の手記を取り寄せて読み、何をおいても矢須子に「必ず生きるという自信をもたせなくてはいけないのだ」と思います。3日後が8月6日だと気付き、「そうだ、あと三日だ。筆記を急がねばならぬ」と、「被爆日記」の書き写しを続けました。

黒い雨/井伏鱒二の読書感想文

 『黒い雨』は、どんどん引き込まれて、一気に読みました。戦時中ということもあり、原爆が投下されたあと、人々は特種な爆弾で攻撃されたことはすぐに理解していました。ただ、はたしてどのくらいの被害なのかはまったく把握していなかったことが伝わってきました。重松が甚大な被害を受けた市内で出会った女性は、銀行振り込みをしないと物資の供給がとまってしまうため、被爆直後の広島市で、これから取引先へ行ってお金を受け取ってくると言い残し、重松と別れていました(女性はその後、戻ってこなかったことも記されています)。

 『黒い雨』で一番印象に残ったのは、「意地」でも「被爆日記」を書き写すという重松の執念でした。重松自身は、「被爆者」として診察され、軽い症状もあり、安静な生活を送っています。重松は、「黒い雨」が「被爆」であることを知っています。「黒い雨は黒い雨、誤解は誤解、卑屈は卑屈」と口にし、矢須子の日記の黒い雨を浴びた個所を読みました。そして、矢須子の日記ではなく、自身の「被爆日記」を先方へ送ることにしました。しかし、重松の日記にも、矢須子が黒い雨を浴びたことは記されています。縁談先へ矢須子が黒い雨を浴びたことを伏せたいのであれば、矢須子の日記も、重松の日記も、どちらも見せるわけにはいきません。ただ、その重松の、もはや矢須子の縁談を成立させるためには何の役にもたたない自身の「被爆日記」を、それでも書き写し続けるという行動には、鬼気迫るものがあり、言葉では説明のできない説得力を感じました。重松の「被爆日記」は、主義・主張を唱えたり、自分が遭った被害を訴えたり、何かを表現したりすることよりも、目で見て五感で感じた事実を、記録として淡々と記していました(例えば、黒い塊につまずいたので何かと思って見たら、黒こげになった人間の死体だった、など)。それゆえに、そんな淡々とした記録を、もはや先方に見せても、縁談を成立に導くという当初の目的を果たすことができないとわかっていてもなお、何かあるたびにじっと口を閉じて筆写を続けて行く重松の後ろ姿が、どんどんと重いものに感じられ、同時に、人間の尊厳というものを考えさせられました。

 また、矢須子が養父母である重松とシゲ子に迷惑をかけないよう、体調が悪くなった時に自分で治そうとし、「こりゃ原爆病や、しまったと思っ」たときには入院するはめになっていたエピソードも心に響きました。矢須子も、重松も、シゲ子もつつましく生きる市井の人間で、村人や、廃墟と化した広島をさまよっていた人たちも、みな、平凡な生活者でした。『黒い雨』は、非戦闘員である市民を襲った原爆を描くことを手段として「戦争犯罪」や「被爆者」への対応のあり方などを取り上げた作品ではなく、原爆に襲われた平凡な人間たちの姿と心を描いた作品であり、それゆえに、『黒い雨』は傑作なのだなと思いました。


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