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みずうみ/川端康成のあらすじと読書感想文

2004年8月30日 竹内みちまろ

 「みずうみ」は、みずうみのほとりにあった家と、そこでいっしょに暮らした母を想う男の物語です。劣等感に悩んでいる男は、女のあとをつけまわします。今風に言えば、ストーカーです。言葉で説明することはできませんが、世の中には必ず存在するのであろうある種の人間たちの姿が、知りたくもないことを無理やりに垣間見せられてしまうような文章で描かれていました。

 両親を失った桃井銀平は、東京で教職を得ますが、女とすれ違った瞬間に理性を失い、気が付いたら、いつの間にかその女のあとをつけています。「みずうみ」は、女からの告発を恐れた銀平が、季節はずれの軽井沢に逃げてくる場面からはじまります。銀平は、場末のトルコ風呂を訪れていました。幼さを残す湯女に体をあずけながら、銀平は、自分があとをつけまわした女たちを思い浮かべます。

 「みずうみ」のストーリーの展開としては、銀平の行動を追った現在の時間軸を基本にして、適時、銀平の回想と女の物語が語られます。銀平の回想の中には2人の女が、現在の時間軸の中には1人の女が登場します。女たちの描写は、理性では理解できない人間の宿命を感じさせます。川端は、登場人物たちに「魔性」という言葉を言わせています。努力や知性では得ることができない一種のオーラとでも言えるのかもしれません。

 銀平が軽井沢に逃げ出すキッカケとなった女は、老人に囲われています。若さを浪費するやるせなさと老人への復讐のために、すれちがった男たちに自分のあとをつけさせます。その姿は、家政婦や老人のセリフをとおして描写されます。

「また男を引きまわして歩いたんですか」

「鬼ごっこという遊びがあるが、男にたびたびつけられるなんて、悪魔ごっこじゃないの?」

「魔性の女かねえ」

 男にあとをつけられるのは美貌のせいではなくて、自分が発散している魔性のためだと自覚している女は、人間の中には魔族がまぎれこんでいると言います。男が女のあとをつける一方で、女も男にあとをつけさせるという設定です。見知らぬ2人がすれ違った瞬間に、男は女のあとをつけることを、そして、女は男にあとをつけられることを確信します。理論だてて説明することはできませんが、どうしても出会ってしまう人種なのかもしれません。人ごみの中で同類を見つけたときに燃やす一瞬の火花は、お互いの心の中で、世の中が終わるような恍惚感へと昇華します。

 一方、銀平の回想の中に登場する少女は、銀平によって魔性を見出される女として描かれています。銀平の中学の教え子である女は、銀平にあとをつけられるうちに、下腹部の底から沸きあがるような快感を覚えます。銀平に陶酔していく少女の姿は、思春期の少女の一途な性向と重ねあわされて描写されていきます。

 物語は、銀平が第3の少女を見つけたことにより大きく展開します。少女を見つけた瞬間に、銀平の心の中で火花が散ります。しかし、少女は、そんな銀平を鼻にもかけずツンとすまして通り過ぎてしまいます。それまでにつけまわした女たちとは明らかに違う少女と出会い、銀平の心には、自分を魔界から救い出してくれるのではないかという予感が湧き上がります。清らかな乙女による救済という設定は、『伊豆の踊子』の「薫」や、『雪国』の「葉子」の存在に近いかもしれません。

 作品は、救いを求めた銀平の希望はかなわずに、銀平がみずうみのほとりを永遠にさまよい続けるような運命を暗示して終わります。「みずうみ」は、普通の人生を歩むうちは決して出会うことはありませんが、世の中のどこかに必ずいるであろう人間たちの姿を、とろけるような文章で描きだした小説だと思いました。こんな作品を書いてしまった川端も、魔界の住人だったのでしょうか。


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