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山の音/川端康成のあらすじと読書感想文

2011年10月3日 竹内みちまろ

山の音/川端康成のあらすじ

 東京で会社社長をする尾形信吾(62)は、妻・保子(63)、長男・修一とその妻・菊子(20を出たばかり)と、鎌倉の家に暮らしている。信吾は、青年のころに夢見た保子の姉の面影をいまでも求めている。修一は、信吾の会社で働き、保子と菊子は家にいる。8人兄弟の末っ子という菊子は、信吾になじみ、信吾も菊子をかわいがっている。結婚して2年にならない修一の浮気を知った信吾は、会社秘書の谷崎英子に案内してもらって、浮気相手の家に行ってみたりする。信吾は、戦争で変わってしまったという修一をどこかさめた目で見ており、修一も表面上は信吾の面目を立てているが、信吾には心を開かない。信吾は、修一が浮気を始めてから、かえって盛んになった修一と菊子の夜の営みの声を聞いていたりする。

 鎌倉の家に、嫁に出ていた修一の姉・房子(30)が3歳の里子、赤子の国子をつれて戻ってきた。房子の夫・相原は麻薬の密売に手を出して身を崩していたというが、信吾は、下っ端として使われただけだろうなどと、どこか感情が欠落したようなことを口にし、ときに苛立ちながらも、何もせずになりゆきを見ている。信吾は自分にしか興味がなく、自分に都合のいい菊子はかわいがるが、家族の面倒を見たり、問題を解決したりすることはない。

 それでも信吾は、修一と菊子を別居させようと考え、電車の中で、菊子に「別居してみる気はないかね」と意向を聞いた。菊子は、訴えるような声で、信吾といっしょにいたいと答え、涙を浮かべた。死んだ同級生が所有していた能面を譲り受けていた信吾は、家で、菊子に能面をつけさせた。能面をつけた菊子のあごから、涙が流れ続けた。信吾が、修一と離婚したらお茶の先生になろうなどと考えたのだろう? と聞くと、能面をつけた菊子はうなずき、「別れても、お父さまのところにいて、お茶でもしてゆきたいと思いますわ。」と告げた。

 菊子に子どもができたが、修一が浮気をしている状態では産めないと、菊子は信吾にはだまって中絶をした。いっぽう、修一の浮気相手である絹子が妊娠した。修一は、中絶をせまり、ときに絹子を殴ったり、階段を引きずり下ろしたりしたが、絹子は、修一の子どもではないと主張し、また、産むと言い張って、沼津へ行った。

 10月の朝、信吾は、ふいに40年間つけているネクタイを結ぶことができなくなった。恐怖と絶望に襲われた。信吾は、保子に結んでもらったが、大学を出て初めて背広を着た時、保子の姉にネクタイを結んでもらったことを思い出した。「信州のもみじも、もうきれいだろうな。」と修一に告げる信吾は、故郷の山のもみじよりも、保子の姉が死んだ時に仏間にあった大きな盆栽のもみじの紅葉を思い出した。修一は「菊子だって、自由ですよ」と告げる。信吾は、家族に、皆で信州へ行こうと告げる。修一も、房子も、留守番をすると申し出た。食事のあと、信吾は菊子を呼んだが、洗い物の音で声が届かないようだった。

山の音/川端康成の読書感想文

 『山の音』は、ほんとうに美しい小説だと感じます。信吾自身は、保子の姉に象徴される自分一人だけの内面世界を持っていて、それを誰にも共有させようとしません。共有させようとしないといいますか、誰かと何かを共有するという発想を持っていないのだと思いました。また、誰も制止したり、矯正したりする人がいない家長という立場にあるため、自分勝手とは違うのですが、自分の内面世界だけを見つめていてもそれで通ってしまうわけで、他人から見たら、ある意味、何を考えているのかわからないところもある、得体の知れない存在に写るかもしれないと思いました。しかし、そんな信吾を、菊子はこの上なく慕っています。

 結末近くで、信吾が「菊子、別居しなさい。」と告げる場面がありました。菊子は、修一が怖いと言います。修一は菊子に暴力をふるうことはないようで、夜の生活も充実しており、戦争で性格が変わり、さめたり、しゃにかまえたりしているところがあります。しかし、菊子が怖いと言った理由は、修一が菊子に何かを訴えかけようとするからかもしれないと思いました。菊子は、修一にはわからないところがあると言います。信吾は、修一から、菊子は自由だと自分の口から言ってほしいと頼まれていたことを告げます。菊子は、修一からそのようなことは言われたことがなく、はじめは、きょとんとしていました。

 しかし、信吾は「うん、わたしもね、自分の女房が自由とはどういうことだと、修一に反問したんだが……。よく考えてみると、菊子はわたしからもっと自由になれ、わたしも菊子をもっと自由にしてやれという意味もあるのかもしれないんだ。」と告げます。菊子は、「私は自由でしょうか。」と涙ぐみました。

 従順で幼い菊子が信吾を慕う様子がほんとうに愛くるしいので、この場面は、心に染みました。川端康成は、女性の自立とか、自由とか、自我とか、人生とか、そういったことを訴えたり、キャラクターに託したり、ストーリーを展開させたりしたわけではなく、また、いい悪いやどうあるべきかの価値判断を挟むことなく、ただ、川端自身が見ていた内面の「まなざし」を通して信吾や菊子を描き、それが結果として、ある時代の日本や日本人の姿を描いてしまっているのかもしれないと思いました。

 また、新潮文庫収録の山本健吾の解説にあった、信吾が信州行きを提案したのは「もちろん、故郷の紅葉のもとに、菊子を立たせてみたいのである。そのことから私は、『源氏物語』に書かれざる「雲隠」の巻があるように、『山の音』にも書かれざる「紅葉見」の巻があることを、想像した」という文には、はっとしました。

 『山の音』を読んで一番に感じたことは、小説は、書かれていることよりも、書かれていないことのほうに、味わいがあるのかもしれないということでした。


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