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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/悪いこびとたちにつかまらないように…

2013年5月10日 竹内みちまろ

 『1Q84 BOOK3』以来の長編小説となった村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。同作にも、『1Q84』で垣間見られたような科学では説明することができない不思議な現象が散りばめられていました。今回は、作中に登場する不思議な現象を考えてみたいと思います。

 まず、不思議な登場人物として、主人公・多崎つくるが通う工科大学の2年後輩で、物理学科学生の灰田文昭がいました。つくるが大学3年の6月に、大学のプールで知り合いました。さめた性格も帯びてしまっていたつくるが、駅を作りたいために入学したことを話すと、灰田は、「限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」と告げました。灰田は大学のキャンパスに近い学生寮に住んでいましたが、つくるといっしょに時間を過ごすようになり、週に2、3回は夕食を共にするようになります。ひんぱんに、つくるの部屋に泊まるようになりました。

 その灰田は、つくるが4年生に進級する春休みに、秋田の実家に戻るとだけつくるに告げ、そのまま、つくるの前から消えてしまいました。新学期が始まって、つくるが寮を訪れたときには、荷物を引き払っていました。

 灰田が、自身の父親の話として、つくるの部屋に泊まった夜に語った物語があります。1960年代末の大学紛争の嵐が吹き荒れていた時代のことですが、灰田の父は、東京の大学に在学中、納得のできない、おろかしい出来事を目の当たりにして、政治闘争に愛想を尽かし、活動から身を引き、大学を休学し、一人で全国を当てもなく歩き、大分県山中の小さな温泉で下働きをしていたそうです。そこで、緑川というジャズピアニストに出会います。緑川から、今、東京で持ち上がっていることに君は関心を持たないのかと聞かれた灰田の父親は、でんぐり返るのは世界ではなく人間、人間のそんな姿を見逃しても惜しくないと答え、その答えが気に入られたのか、ある日、緑川から晩酌に付きあってくれと誘われます。緑川は、ある人物から死を告げられたため、自分の寿命があと1か月だと言い始めました。別の人に死を引き受けてもらえば、寿命が尽きることはなくなりますが、死を引き受けた人間は、人間が誰しもが本来持っている色が見えるようになるなど、様々な能力を得ることができるといいます。緑川は灰田の父親にその話をした2日後に、ふらっと宿を引き払ってしまいました。

 また、そんな不思議な話を聞いたつくるにも、その夜、不思議な出来事が起きました。父親の話をした灰田はつくるの部屋に泊まりましたが、夜、つくるは、こつんという小さな乾いた音で目を覚まします。しかし、体を動かすことはできません。気付くと、灰田が、つくるを見つめていました。何か語りかけたいことがあるようですが、言葉に変換することができないように見えます。つくは身動きができず、灰田は長い時間そうしていましたが、やがて、灰田は去って行きます。つくるは再び眠りに落ちます。夢の中で、16歳か17歳で、全裸のシロ(白根柚木)とクロ(黒埜恵理)がつくるの両脇に寄り添い、指と舌先を使って、執拗につくるの体を愛撫します。シロがつくるの挿入を受け入れ、つくるは射精しました。しかし、つくるの射精を受け止めたのは、シロではなく、灰田でした。灰田はすばやくつくるのものを口に含み、シーツを汚さないように、口の中で受け止めます。朝、つくるが目覚めると、灰田はすでに着替えていて、ソファで本を読んでいました。

 灰田の父親の話は、現実の世界と異世界の境界線で起きたような物語でした。この世には、理屈では説明のできない、「あちら側」とでもいうようなものが存在するのだなと思いました。また、つくるの夢は、人間が寝ている間に夢を見ますが、その夢はもしかしたら現実に、別の次元で実際に起きていることでもあり、また、体は寝ていますが、意識とでもいうようなものは体とは別個に存在し、さらに、他者や、他者の意識と関わることがあるのかもしれないなどと思いました。

 36歳になったつくるが、過去を確かめるためにフィンランドまでクロを訪ねる場面も印象的でした。クロは、つくるに、シロが心を病んでいたことを話します。「あの子には悪霊がとりついていた」「あるいは悪霊に近い何か」とつくるに告げました。別れ際、つくるに、「悪いこびとたちにつかまらないように」とも言います。「このあたりの森には大昔からいろんなものが住んでいるから」

 クロと再会する場面を読んで、人間の世界とは別に、自然界には、「悪霊」や「悪いこびと」という言葉に象徴される、人知の及ばないものが存在しているのかもしれないと思いました。クロは、生まれてきた子どもに、シロの名前の一部である「ユズ」と名づけましたが、クロは、「少なくともその名前の響きの中に、あの子の一部は生き続けている」と言います。人間は、寿命がつき、動物として生命活動を停止したら終わりではなく、精神といいますか、人間存在というものには、それだけではない面があるのかもしれないと思いました。つくるは夢や妄想の中で、シロと性行為をしていましたが、クロの話を聞いて、つくるは、シロが浜松で絞殺されたという時、自分の中の何かが、自分でも気づかないまま浜松まで赴き、そこで彼女の鳥のように細く、美しい首を絞めたのかもしれないと感じていました。

 精神や魂というものは人知の及ばないもので、ときに、不可思議な現象を起こすのかもしれません。また、人間に関わる精神とは別に、外部世界や自然の中には、「悪霊」や「悪いこびと」と呼ばれるものたちが存在し、近づいてきた人間に、大きな爪痕を残すのかもしれないと思いました。


→ 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/村上春樹のあらすじと読書感想文


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