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2013年2月9日 竹内みちまろ
19歳の横道世之介は、東京・市ヶ谷にある大学に通うため、九州から飛行機でやって来ました。世之介とは、井原西鶴の「好色一代男」の主人公の名前と同じですが、世之介は、「昔の小説の主人公で理想の生き方を追い求めた男」と両親から聞いていました。JR新宿駅東口広場に降り立った世之介は、体がふらついてしまうほど重たい鞄を提げています。出発の朝、高校の卒業アルバム・学校ジャージ・土台が大理石の置き時計(心配になって詰め込んだ)などが入っています。家賃4万円で風呂付の鉄筋アパートを探したところ、不動産屋から埼玉県の手前の東京都東久留米市にある、花小金井駅からバスで8つ目の3階建て50戸ほどのマンションを紹介されました。西武新宿駅から準急電車とバスを利用してマンションにやってきた世之介は、203号室で目覚まし時計が鳴りっぱなしなのに気が付き、202号室に住むヨガ・インストラクターの小暮京子から、作り過ぎたというシチューを振る舞われます。京子は大学卒業後、食品メーカーに勤め、退職後、インドに留学し、現在は、近くのスポーツクラブでヨガを教えています。「なんかすごいですね。俺なんか世之介の由来くらいしか、自己紹介の時に話すことないですもん」と驚く世之介に、「何、言ってんのよ。これからいろんなもんが増えていくんじゃない」と京子は声を掛けました。
日本武道館での卒業式の後、指定された教室へ入ると、まだ友だちが出来ていない新入生たちが黒板に指定された席の通りに座っていました。経営学部の世之介は、一浪の倉持一平と、クラスに2人しかいない女子のうちの1人・阿久津唯と言葉を交わします。3人でサンバサークルに入りましたが、まぶたを糊で固めて二重にしていた唯のことを、一平が露骨に笑い飛ばし、唯は「……新しい人間になりたいって、そう思ったんじゃない」と泣きだしてしまいました。「あまり楽しい高校時代ではなかったらしい」と地の分で紹介されますが、唯から、「お詫びにサンバサークルに入りなさいよ」と言われ、成り行きで3人で入部してしまったのでした。
世之介が、早稲田大学(世之介は落ちた)4年生の従兄・清志の部屋にあいさつに行くと、毎週「ザ・ベストテン」を録音していた清志は、「踊るんだよ。若いうちは」などと、言い始めました。世之介は、高校2年の時に酒の勢いで好きだった大崎さくらの家まで行き、窓の外からさくらを呼んだときのことを思いだしました。「時間にして三十秒くらいだったが、さくらを待っていたあの三十秒間が世之介には今だに続いているように思えることがある」
世之介、倉持、唯の3人はゴールデンウィークに、サンバサークルの合宿で清里へ行きました。バス停へ向かう途中、世之介は、立ち話をしている倉持と唯を見つけますが、サークルの集合場所には、倉持と唯は別々にやってきて、さっきまで話をしていたのに「久しぶり」などとあいさつを交わしています。サークルの新入部員は3人だけでした。世之介は倉持と風呂に入っているときに、「お前ら、付き合ってんの?」と聞きます。「そこなんだよ。……なんかさ、あいつ、誰でもよかったみたいなんだよな」と話し始めます。二重瞼事件以来、なんとなく気まずくなっていた倉持と唯ですが、産業概論の授業が終わったあと、倉持が外濠公園を歩いていると唯も歩いてて、2人は飯田橋駅前のロッテリアに入りました。唯が本棚を組み立てられないという話をし、唯が中野のアパートに住んでいると聞き、「なんだ。わりと近いじゃん。俺が組み立ててやるよ」となり、紆余曲折の末、「そういうことになっちゃったんだよね」といいます。
世之介は、サンバサークルの先輩・石田から紹介されたアルバイトを始めます。ホテルの客室へルームサービスを運ぶ仕事でした。時代はバブルの絶頂で、ルームサービスは朝方までひっきりなしに続き、一本数万円のワインを何本も運びます。世之介は、チップとして1万円札をもらい、踊りながら、再生専用ではないビデオデッキを買おうかと、浮かれました。
飛行機で九州から一緒に上京した小沢は、スーツを着てパーティー券を売りさばき始めます。身入りが下の人間まで来ないので、独立してパーティーの企画を始めると打ち明け、世之介も誘われました。世之介は、パーティーに羽振りのいい男たちを引き連れて参加する正体不明のパーティーガール・片瀬千春に片思いをします。学食で50円を貸したことがある加藤ゆうすけを誘い、小指を立てて、実は、「これで、悩んでいて」と、付きあってもいない千春のことで浮かれ、飯を食べに行きました。世之介と加藤は、自動車運転免許の教習所に通うことになり、世之介は、夏の間、エアコンがある加藤の部屋に入り浸ります。
世之介と加藤は、教習所で、睦美と与謝野祥子の2人組と出会います。加藤は、「俺さ、男のほうがいいんだよ」とさりげなく告白しましたが、世之介は、「あ、そうなの?」とあっさり答えます。翔子は、いつもツバの広い帽子をかぶり、繁華街の待ち合わせ場所にも運転手付きの車で乗りつけるお嬢様でした。その翔子がいきなり、「海に行きません?」と、世之介の部屋にやって来ました。翔子の兄の勝彦たちと東京湾でクルーザーに乗りますが、そこに、パーティーガールの千春もいました。翔子は、世之介の実家が九州で、夏休みに帰省する話をしたら、「嬉しい! 私、九州ってまだ行ったことなくて」と喜びました。
7月31日の浅草のサンバカーニバルでは、深夜バイト明けの世之介は熱中症で倒れてしまうという失態を演じました。しかし、無事に免許を取得し、4か月ぶりに実家へ帰ります。世之介は、見慣れた風景に違和感を覚え、毎日歩いていた道を狭く感じます。「ただいま!」と感激に堪えながら玄関のドアを開けると、母親から、「遅かったねぇ、どこ寄り道してたのよ。翔子さん、もう来てるわよ」と叱られました。
翔子はすっかり世之介の両親と打ち解けて、4か月ぶりに戻った世之介に、冷たい麦茶を運んできます。世之介は、故郷で、4か月前までエロ本を回し読みしていた2人の仲間と、3人それぞれの彼女をつれて、ドライブに行きました。ジローの彼女は、世之介が高校時代に付きあっていた大崎さくらでしたが、さくらは、「祥子さんってほんとに世之介のこと好きなんだろうね」「だって世之介の同級生に好かれようと一生懸命じゃない」と声を掛けます。世之介は翔子と夜、海に行きました。ベトナムを小舟で出て、3週間程ほとんど飲まず食わずで漂流してきたボートピープルの上陸と、そのボートピープルを捕まえる警察に遭遇します。小舟から降りた一人の母親は、抱いていた今にも死にそうな赤ちゃんを世之介に渡し、身振りで、「逃げて、逃げて。赤ん坊を助けて」と伝えてきました。
東京に戻ると、世之介は、倉持一平から、阿久津唯が妊娠したことを告げられます。倉持は、「あいつといると、なんか自信が持てるんだ。別に何言われるってわけでもないんだけど、こんな俺でも何かできるんじゃないかって、そんな気持ちにさせられるんだ」と告げてきます。翔子は、警察に引き渡すことになったボートピープルの赤ちゃんのことが気がかりで、すっかり、ふさぎこんでいました。世之介が部屋に帰ると、玄関のドアに生まれて初めて受け取る電報が挟まれていました。「バアチャン ヨウタイ ワルイ デンワ クダサイ ハハ」
世之介は、文字通り、飛行機で飛んで帰ります。病室に行き、世之介は、「ばあちゃん」と祖母の遺体に背後から声を掛けます。心のどこかで母親が気を利かせて場所を譲ってくれると思っていましたが、取り乱した母親は、世之介に気付きもしませんでした。世之介は、自分と祖母の関係が浅く感じられ、母親と祖母の絆に驚きます。弔問に来た大崎さくらを送りがてらドライブし、さくらから「東京? 楽しい?」と聞かれます。
久しぶりにサークルに顔を出すと、倉持と阿久津が学校を辞めていました。世之介は、倉持の実家へ行きます。映画を見に行った世之介は、新宿でたまたま千春に会いました。千春は、いかにも田舎から出てきたという千春の母親と一緒で、母親は、「最後の最後になって、東京のお友達に会えて、母ちゃん良がったあ」と千春に告げます。千春は、まだ話し途中の母親を無理矢理歩かせました。11月は学園祭です。世之介は、サンバサークルの一員として、サンバを踊りながら学校中を練り歩き、翔子はそんな世之介の後ろについて歩きました。世之介は、見送りもなく実家を出る倉持の引っ越しを手伝い。倉持から「……世之介、俺さ、頑張るよ。生まれてくる子のためにも頑張ってみる。お前しかいなかったんだよ。引っ越しの手伝い頼めるの。ありがとな。唯と一緒にとにかく頑張ってみるよ」と、突然、泣きました。
世之介は祥子と待ち合わせをすると、祥子の車には、どうしてもついてくるといってきかなかったという祥子の母親が乗っていました。3人は、食事を取ります。海の幸に恵まれた長崎で育った世之介は、東京に来て始めて、テレビの旅番組やグルメ番組を見て、「うまそうなぁ」と思うようになっていたことに気がつきました。祥子の母親は、「あなた、祥子のこと、どうお考えなの?」「実家にまで連れて行っといて」と聞かれ、「一度、宅へ遊びにいらっしゃい」と誘われ、祥子に家に行き、祥子の父親に会いました。クリスマスに祥子が世之介の部屋に来て、粉雪が降ります。世之介が「あの雪、踏みに行こうよ」と外に誘い、それまで「世之介さん」と呼んでいた祥子が、「私、これから世之介さんのこと呼び捨てにしようかした」と告げ、目をつぶりました。世之介は、祥子にキスします。キスのあと、祥子はすぐに帰ってしまい、翌日、スキーへ行きました。
正月を実家で過ごした世之介が東京に戻ると、スキーで足を折った祥子が入院していました。世之介はお見舞いにいき、赤坂の公園で捨て猫を拾います。加藤に電話して「お前、子猫いらない?」と聞き、加藤の家の大家のおばあちゃんに飼われることになりました。祥子が退院する日、世之介は、「今夜、一緒にいようよ」と祥子に告げ、祥子は顔を真っ赤にして、「私だって、その日のことについては……、私なりに考えておりました。でも、あまりに急じゃありませんこと?」と恥ずかしがりますが、珍しく、世之介は譲りませんでした。
バレンタインデーでは、世之介は祥子からチョコを貰いましたが、それとは別に、世之介のアパートに郵便受けに、「井内芳子」からのチョコが入っていました。祥子と話した結果、住所を間違えたのだろうという結論になり、祥子と2人で、50世帯あるマンションの部屋を全部、回って聞くことにしました。106号室に住む、24、5歳のカメラマンの玉子の室田が「井内芳子」という名前に覚えがありました。世之介は、室田の写真展を見に行き、使っていないライカのカメラを借りました。室田の「彼女のヌードでも撮るつもりなんだろ」という冗談を真に受けますが、祥子も「……大丈夫。私、覚悟はできておりますから」と答えます。
唯が出産し、世之介は、倉持のアパートに住む韓国人留学生のキムといっしょに、病院へ行きます。世之介は、赤ちゃんを見つめるキムや周りの人たちの写真を撮りました。祥子が2週間の語学留学でパリに行くことになり、世之介は、成田空港に見送りに行きます。世之介は、おじいさんのポケットから落ちた搭乗券を拾って渡す若者や、子どもたちの写真を撮ります。「何、撮ってますの?」と問う祥子に、「いや、別に」と告げると、祥子は「どうせ、私には芸術なんて分かりませんわ」とすねてしまいました。祥子は、「初めて世之介が写した写真、最初に私に見せてもらえません?」と口にします。世之介は、了解し、「じゃあ帰国するまでに現像して誰にも見られないようにきっちり封して、表に『与謝野祥子以外、開封厳禁』って書いとくよ」と答えました。
『横道世之介』は、心に染みる作品でした。描かれていることは、くったくのない若者たちがのんびりと過ごす何でもない一年間だけなのですが、大人になった登場人物たちの回想と、世之介の母親の手紙が、世之介のいない場所から、その一年間にスポットライトを当てています。世之介とある一時期、同じ時間をいっしょに過ごした人物たちが大人になった姿を垣間見せられることで、世之介という存在と、世之介が生きた時間のかけがえのなさが伝わってきました。
まず、冒頭の4月の章がよかったです。おのぼりさんと言ってしまえばそれまでなのですが、新宿で人ごみの多さに圧倒されたり、電車を乗り換えて準急で30分の街へ向かったり、母親が鞄に入れてくれた雑巾でワンルームの床を拭いたりする様子が描かれると、自分がこれまでに体験してきた新生活の何でもない思い出が蘇ってきました。4月というものは特別なシーズン。3月にお別れをして、4月に新しい何かが始まります。その昂揚感が愛しく思えてきました。また、「……新しい人間になりたいって、そう思ったんじゃない」と泣きだしてしまう唯へ対する、春の陽だまりのようなやさしい「まなざし」も流れています(ストーリーとしては、屈託のある唯のその後の人生は辛く描かれています。屈託のない祥子が生き生きとし、同じく屈託のない世之介は、どう生きるか、何をするのかとは別の次元の現象に遭遇します。この3つの人生を描くことにより、作品が立体的になり、深みを増していると思いました)。
また、登場人物たちもよかった。世之介の屈託のなさは、すがすがしいくらいです。祥子の母親から、食べ方一つを見ても大切に育てられたことが分かる、と言われていましたが、世之介は、学祭で太陽を頭の上に乗せてサンバを踊ったり、加藤の家に夏中、我が家のごとく入り浸ったておきながら、夏が過ぎるとまったく連絡しなくなり、それでいて、捨て猫を拾うと加藤に電話して「とつぜんなんだけど、お前、子猫いらない?」と聞いたりします。
『横道世之介』には、スーパーマンや、スーパーヒロインは出てきません。どちらかというと、少し無理をしながら、それでも、自虐や復讐や欲望のためではなく、未知の世界(もしかしたら、それが人生というものかもしれません)にあこがれ、都会に出てきて、少し背伸びをしながら生きている千春は特によかったです。都会に来ると、田舎しか知らない母親の姿が急に恥ずかしくなりますが、大人になってある画家の誕生に立ち会おうとする千春の姿を垣間見ると、そんな時間を過ごし、そんな母親がいたことが、意識しなくとも、千春にとっては大切な財産になっていることが伝わってきました。千春以外にも、倉持は、唯との間に生まれた智世を育て(智世のエピソードはせつないのですが)、加藤は男の恋人といっしょに暮らしています。国連職員として難民キャンプで働く祥子は、『与謝野祥子以外、開封厳禁』と記された封筒を開け、なんで封筒に『与謝野祥子以外、開封厳禁』と記されているのか分からず(心に何かがひっかかることすらない)、中に入っている写真もちんぷんかんぷんでした。しかし、世之介が、「絶望ではなく希望を撮り続けていた素晴らしいカメラマンだったのだということだけ」は、はっきりと感じます。
千春も世之介のことは忘れていました。世の中には、どうしても後ろ向きに生きたり、陰を持って生きたりしてしまう人もいて、世之介のことをはっきり覚えている倉持や加藤がそうかもしれませんが、世之介同様、大切に育てられたのであろう千春や祥子は、未来を夢見るわけでもなく、自分を装うわけでもなく、大人になってからも、今その瞬間の自分の人生を生き続けています。2週間のパリ留学から帰ったあと、祥子と世之介が会うことはなかったのでしょうが、4月に始まり、そのときは祥子も世之介も永遠の別れになることなんて想像もしていなかった空港の場面がある3月で終わるという作品の構成もよかったです。
幸せというものは、今その瞬間には気づかず、あとになってみないと、分からないものなのだと思いました。作品に描かれた一年間は、世之介にとっても、ほかの登場人物たちにとっても幸せな時間であり、また、劇的なストーリーや、登場人物の心の傷や、登場人物の成長がなくても、心に染みる作品というものがあるのだと思いました。
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