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悪人/吉田修一あらすじと読書感想文

2012年4月18日 竹内みちまろ

悪人/吉田修一のあらすじ

 高速の開通で見捨てられた三瀬峠の峠道で、長崎市の土木作業員・清水祐一(27)が、福岡市の保険外交員・石橋佳乃(よしの)を絞め殺し、死体を遺棄した疑いで逮捕されました。

 佳乃は、その日、同僚の沙里(さり)・安達眞子(まこ)と3人で外食をしたあと、以前3人で天神のバーに行ったときに話をした、裕福な暮らしをする遊び好きな大学4年生の増尾圭吾(けいご・22)とこれからデートするとにおわせて、2人と別れました。佳乃は、バーで自分だけがメールアドレスを聞かれたことを誇りに思っていましたが、増尾とはその以降、一度も会っていませんでした。

 佳乃は、実際は、佳乃が送ったメールに増尾からの返事がなかなかこないことにじれて、つい退屈しのぎに登録した出会い系サイトで知り合った祐一と会う約束でした。佳乃は、祐一と2回会って、セックスをしていました。「ねぇ、写真、撮らせてくれんね」「三千円ならいいよ」という関係。佳乃は、祐一が車を持っていることから、増尾が乗っている高級外車・アウディ6の助手席に座る自分の姿ばかりを想像していました。高校卒業後、職を何度か変え、親類が経営する解体業の会社で働く祐一は、昨年の春先に生まれて初めて髪の毛を染めました。

 佳乃は自ら指定した「十時」を過ぎてから、待ち合わせ場所の公園へ向かいました。そこで、たまたまムシャクシャして、親に買ってもらったマンションに帰らず、車を走らせていた増尾に会いました。増尾は、祐一の白いスカイラインがクラクションを鳴らして佳乃がびくっと体を震わせる様子を見ていましたが、苛立ちを佳乃にぶつけられそうな気がしてドライブに誘いました。しかし、車の中で話をしているうちに、「一方的に喋り続ける」佳乃にいら立ってきた増尾は、三瀬峠で佳乃を車から蹴り降ろしました。頭をガードレールに打ち付けられて倒れていた佳乃を、車で追いかけてきた祐一が、助けるため抱き起そうとしました。佳乃は、「もしかしてつけて来たわけ?」「見とったわけ? もう信じられん!」「人殺し!」「ここまで拉致されて、レイプされそうになった」と警察に言ってやると発狂しました。祐一は、「俺は何もやっとらん!」と弁護する自分の姿を想像しましたが、母親に置き去りにされたフェリー乗り場で「母ちゃんはここに戻ってくる!」と叫んだことがフラッシュバックしました。佳乃は「誰があんたのことなんか信じるとよ!」と叫びます。佳乃のうそを黙らせないと、自分は何もしていないという「真実」が殺されてしまうと思った祐一は、佳乃ののどを必死に押さえました。

 翌日、沙里と眞子は、テレビで佳乃の殺害事件の報道を見て、上司に、佳乃が今朝出社していないことと、被害者の特徴が佳乃に似ていることを報告。上司が警察に連絡し、遺体を見て、佳乃であることを確認しました。眞子は、佳乃が女として自分を見下していることを感じていましたが、劣等感を持ったことがありませんでした。しかし、眞子は、佳乃からセックスするために祐一と会ったことを聞かされてから、祐一に愛撫される自分の姿を想像してしまい動揺することがありました。そのため、警察で事情徴収を受けた際、佳乃が出会い系サイトで知り合ったほかの男のことは告げても、祐一のことは話しませんでした。警察に言ってしまったら、自分も佳乃と同類の男だと思われそうだと思ったから。

 祐一の祖母の房枝は、男に捨てられた娘が幼い祐一をフェリー乗り場に置き去りにしてから、祐一を養子にして育てました。男の子に恵まれなかったこともあり、自分が与える食事で少年が男に成長していくさまをうれしく思っていました。また、房枝は、ひと月ほど前から街の公民館で開催されている製薬会社の健康セミナーに誘われて参加し、無理やり25万円以上払わされていました。家に、県警の刑事と顔なじみの巡査が来たときに、祐一が車を止めている駐車場の横の岡崎のばあちゃんが祐一の車は犯行が行われた日にずっと止めてあったと言っていたことを聞き、岡崎のばあちゃんは1、2時間車で出かけてもずっとあったというくせがあることを知りながら、「日曜日、祐一は出かけていない」ととっさに嘘をつきました。

 事件から9日後の土曜日、双子の妹と佐賀のアパートで暮らしている紳士服販売店勤務の馬込光代(29)は、出会い系サイトでメールをしたことがある祐一に、特段の用件はありませんでしたが、ひさしぶりにメールをしました。海や、灯台や、最近の過ごし方などをメールで話しました。光代が、友人の子どもが熱を出したため訪問を中止して折り返した際、乗るはずだった博多行きの高速バスがジャックされるという出来事が起こりました。光代と祐一は会う約束をして、会いました。祐一は、「……ホテルに行かん?」と誘い、光代は言われた意味がわからなくて呆然としましたが、じきに、ホテルに行っても良いと答えました。2人は丸一日以上いっしょにいて、祐一は日曜日の23時過ぎに家に帰りました。房枝が「ばあちゃんさ」「漢方薬の……」と言いかけたときに、相手は女の子で間違いがないという電話が携帯にかかってきて、この家に連れてこられてから20年間、房枝の前では見せたことのない幸せな顔で自室へ消えていきました。

 祐一と光代は、月曜の夜に電話で3時間、話をしました。お互いに会いたい気持ちを募らせます。火曜日の18時過ぎ、祐一が光代に電話しました。長崎の祐一はすでに佐賀の光代のもとに車で向かっていましたが、2人は会いました。光代をアパートまで送り、車のラジオをつけると、重要参考人として指名手配されていた増尾が名古屋のサウナで捕まったことを知りました。「あいつが捕まった」とつぶやくうちに、父親に会いに行くと連れ出され、母親にフェリー乗り場で置き去りにされたときのことを思いだしました。母親は祐一を捨てたのですが、祐一は、切符を買って戻ってくると告げた母親の言葉を信じて、一晩中、そこで待っていました。携帯が鳴り、祐一は車を路肩に止めました。「家」からの電話で、房枝が「今、警察の人」が来ていることを告げました。祐一は、光代のアパートに引き返し、アパートの階段に座り込んでいた光代を車に乗せました。乱暴な誘いでしたが、光代には、「祐一の震える手首がとても弱々しく」感じられました。祐一は乱暴にキスを続け、光代は「なんのあったとか知らんけど、安心してよかとよ。私、ずっと祐一のそばにおるけん」と告げました。祐一は「ここで別れたら、もう会えんような気がして」「一緒におりたかった。でも一緒におるにはどうすればよかとか……、それがわからんようになって」「子供のころ、おふくろと一緒に親父に会いに行ったことがあって……、そのときのこと」と支離滅裂なことを口し始めました。「祐一が何か問題を抱えていることは分かる」という光代は、「今日はどっかに泊まって、明日、仕事さぼって二人でドライブせん?」と告げました。

 翌日の昼前、祐一と光代はイカ料理の店に入りました。祐一は、光代へ、佳乃を殺したことを話しました。「約束を破ったのは佳乃なのだから、一言謝ってほしかった」。祐一は、自首すると言いました。光代は「怖かったとやろ?」「一緒なら行けるやろ?」と祐一を励ましました。しかし、唐津警察署の前で車を止め、祐一が、迷惑がかかるため光代に「ここで降りたほうがよか」と告げると、光代の脳裏に、一人の少年にバスジャックされる博多行きのバスの切符を買うために行列に並んでいる場面がフラッシュバックしました。「イヤ、もう、あのバスには乗りとうない!」「車出して! お願い」「お願い! 私だけ置いていかんで!」「一緒に逃げて!」と叫びました。

 2人は、佐賀と長崎の県境をいったりきたりしながら夕方に安いラブホテルに泊まっていました。あるホテルを出る際に、清掃担当者の女性が駐車場で祐一の車のナンバーをじっと見つめて、2人に声を掛けました。無視して車に乗り込んだ2人は、有田で車を捨て、光代が「灯台に行こうよ」と提案しました。バス停前にはガソリンスタンドと、チェーン店ではないコンビニと、民家があるだけの場所にある、使われていない灯台へ行きました。

 光代はコンビニ前で警官に声をかけられ、派出所へ行きました。警官が電話をしている間に、「お手洗い……」と断ってトイレに行き、ドアを閉めてよいかしぐさで聞きました。話中の警官はうなずきました。衝動的に光代は、トイレの窓から逃げ、灯台へたどり着きました。警官が灯台にやってきて、祐一は「俺は……、あんたが思うとるような、男じゃない」と光代の体に馬乗りになり、光代の首に手をかけました。そこに警察が来ました。光代は、祐一の証言が報道されてから、「無理やり連れ回されとった被害者」になり、自分へも、実家へも嫌がらせがなくなったことを話し、祐一と毎日を過ごした日々を「未だに懐かしかとです」と振り返りました。

 重要参考人として指名手配され、「逃げ切れるわけがない」と同時に「納得いかない」という思いを持っていた増尾は、名古屋のサウナで捕まりました。しかし、佳乃の首に残っていた手の跡と増尾の手が「決定的に違う」。増尾は、「逃亡生活の全貌教えてやる」と仲間を集め、「ただいま自由の身となりました!」と、おもしろおかしく話し始めました。増尾の友人・鶴田公紀(こうき)は、佳乃からのメールを自慢げに友人に見せる増尾に虫唾が走るような嫌悪感を覚えました。

 被害者の佳乃の父・石橋佳男(よしお)は、佳乃が殺された峠に3日間、通って、そこで眞子に会いました。増尾の住所を尋ねると、眞子はいったんは「知らない」と答えましたが、増尾のマンションの隣にある、誰でもわかるような建物の名前を告げました。佳男は、犯人よりも、車から蹴りだされる佳乃の姿が思い浮かんでしまい、増尾が住む博多へ向かいました。スパナを持って増尾の前に現れ、「なんで……、佳乃を峠に置き去りにした!」と怒鳴りました。増尾が佳男を振り払った時に、増尾が佳男を殴ったかたちになり、倒れた佳男は増尾の足にすがりました。増尾は無理やり歩きだし、反射的に佳男の肩を蹴りつけました。佳男の意識が消えそうになったときに、鶴田が現れ、佳男は病院で意識を取り戻しました。増尾の居場所を教えてほしいという佳男に、鶴田はちゅうちょしたのち、増尾がいるレストランへ佳男を案内しました。増尾は、仲間に佳男が現れた話をおもしろおかしく話していました。佳男が現れると、増尾は後ずさりしました。「人の悲しみを笑う増尾のことがわからない」佳男は、悲しくなり、スパナを増尾の足元に投げました。「そうやってずっと、人のこと、笑って生きていけばよか」。佳男が久留米市の自宅に戻ると、事件発生から閉めたままだった床屋を、妻の里子が開店させていました。

 祐一からの連絡が途絶えて6日目の大晦日の夜、健康食品の男から一方的な「来月分の配送」の電話がかかってきました。年が明けてから、また電話がかかってくるようになり、房枝は、報道陣に囲まれた家を出ました。バスに乗ると報道陣も乗りこんできましたが、バスの運転手が「車内で取材はさせられんよ」「ばあさん、苛めたって仕方なかろうが」と報道陣を追い払いました。運転手は、バスを降りる房枝に、「……ばあさんが悪かわけじゃなか、しっかりせんといかんよ」と声を掛けました。励まされた房枝は、夫を見舞い、スカーフを買って首に巻きました健康食品の事務所へ行き、「……これまで必死に生きてきたとぞ。あんたらなんかに……、あんたらなんかに馬鹿にされてたまるもんか!」と叫びました。

悪人/吉田修一の読書感想文

 「悪人」は、語り方が印象的でした。3人称で書かれているのですが、語り手の視点は場面ごとに異なり、中心的に語られる人物に焦点が合わされています。後半では、一人称の供述も登場し、しかも、語り手は、客観的(いわゆる神視点)ではなく、視点を据えられた登場人物の主観にそって描写や説明をしていきます。一人称で「私は」と語るわけではないのですが、情報の取捨選択や、意味づけという点において、中心となる登場人物のフィルターがかかっているということです。

 たとえば、祐一の祖母の房枝に語り手の視点が定まっているときは、「この家にやってきたとき、祐一はすでに母親を信じていないように見えた」と書かれています。続いて、祐一が「お母さん、お母さん」と甘えながらも母親を見ていなかったことも、母親を信じていないように見えたことが語られます。祐一が母親を信じていなかったことも、見ていなかったことも、うそではないと思います。しかし、それは、母性本能をくすぐられ、どこまで優越感や満足感を持っていた房枝に見えていたことであり、同時に、そういった房枝には気づかなかったこと、見えなかったこと、見なかったこともあると思います。また、当然のことではあるのですが、房枝には、祐一の心はわかりません(他人なので)。

 祐一が母親の依子と会うときの様子が語られる場面があります。祐一は、七味唐辛子をうどんに大量に掛けるのですが、祐一は、母親の前ではしょうゆでも、ケチャップでも大量に使います。祐一は、房枝の味付けが薄いと母親に愚痴をこぼします。母親は祐一が大切にされていると感じるのですが、仮に、房枝にとっては“祐一はお米が好きで、ごはんばかり食べている”となったとしても、祐一にしてみれば、“房枝の味付けが薄くておいしくないので、ごはんばかりを食べている”ということになるのかもしれません。

 「悪人」では、房枝に焦点が合わされている場面では、“祐一はお米が好きで、ごはんばかり食べている”としか語られません。後になって別の場面で、“房枝の味付けは薄いのでおいしくなく、それでごはんばかりを食べている”というような現象が語られていきます。そういったことが繰り返され、事件の真相というサスペンス的な要素としては、「真実」はどこにあるのかというスリルがあります。クライマックスの灯台の場面や、祐一と光代の供述の場面では、「はたしてほんとうに悪人なのか」と読者は考えさせられます。被害者の父親の石橋佳男は、人の悲しみを笑う増尾のことを「わからない」と思いますが、増尾だけではなく、他人の心というものはわからないもので、また、そもそも、人間は、自分も含めて心というものが「わからない」のかもしれないと、「悪人」を読み終えて思いました。

 また、増尾と同じ大学に通う土浦と、佳乃の同僚の仲町鈴香が埼玉の高校の同級生で、高校時代、土浦が福岡の大学に進学することになった際、皆がどうして「よりによって九州なんだ」と言ったときに、鈴香だけが、「どうせなら、学生時代の数年間、誰も知らないところで過ごしてみたい」という土浦の気持ちに共感していたところも印象的でした。埼玉に住んでいるのであれば、東京の大学に通うことのほうが福岡に行くよりも楽でしょうし、また、埼玉にも大学はたくさんあります。それなのになぜ九州、と思うのが多数の感情かもしれません。しかし、誰も知らない場所に行きたいという気持ちと、その気持ちに共感する心というものは、どこか悲しいのですが、そういった気持ちを持ってしまったり、実際に土浦と同じように行動してしまう人は多いような気がします。知っている人が誰もいない場所へ行きたいという気持ちは、家族や友人をはじめ、知っている人がいる場所から離れたいという願いの表れかも知れないと思いました。

 上記もあって、「悪人」は、九州という場所についても興味深く読みました。鈴香が街中で3回、偶然に増尾とすれ違ったことが書かれていました。東京ではあまり考えられないのですが、冒頭で取り立てて珍しくもない土地柄をひたすら描写していたことが印象的だったこともあり、「悪人」を読んでいる間は、土地、あるいは場所というものについて、独特の感覚を持つようになりました。

 「悪人」では印象に残った場面があります。祐一が祖父母の養子となり、名字が「本田」から「清水」に変わったのち、解体業を営む親類が、中学生の祐一にお年玉をあげる場面がありました。親類は、冗談まじりに、「本田祐一より、清水祐一」のほうがかっこいいだろう? と聞きました。祐一は、「いや、HONDAのほうがかっこよか」と畳の上に書いたそうです。車やバイクに興味があったからという理由が提示されていますが、はたして、それだけだろうかと思います。

 祐一は何が楽しくて生きているのか周りの人間には分からず、それでいて仕事は寝坊せず真面目で、祖父母をはじめ頼まれれば近所の老人たちを病院へ送り迎えし、米などの買い物も引き受ける。いっぽうで、祐一は自分に自信が持てず、コミュニケーション能力もなく、しゃべるときはどうしても頭が言葉を遮ってしまい、それでいて、出会い系サイトで知り合った女生へメールを打つ時だけは、言葉がすらすらと出てくる青年の孤独を感じました。幼いころから加減というものを知らず、船競漕であるペーロンでは手のひらがすりむけてしまうほど練習してしまい大会当日には使いものにならなかった少年。過去への思いやこだわりがあるために、どうしても未来へ向かって、あるいは、現在を生きることができず、少年のまま体ばかりが大きくなって、お手本になる人も、指導者もなく、社会に放り出された祐一の姿は、現代という時代の世相を反映しているのかもしれないと思いました。


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