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2012年4月22日 竹内みちまろ
夫を送り出したあと、佳子はファンレターなどの郵便物を確認していました。中に、原稿らしき封書がありました。表題も署名もなく、「奥様」という呼びかけで始まっており、佳子はひきこまれていきました。
封書は、外見が醜く内弟子と2人で暮らしているイス職人の男が「数カ月の間」送っているという「悪魔のような生活」について書かれています。
男は注文品の立派なイスを完成させると、ふとした思い付きで、いったんイスを分解し、腰座と背もたれの裏側を利用してイスの中に人間が忍びこむスペースを作ります。首のわきに小さな棚をつくり、水筒と軍隊用の堅パンを忍ばせ、椅子の中に入り込みました。イスは西洋人を相手にするホテルのラウンジへ運ばれます。
男の目的は盗みを働くことでした。が、イスに座ったダンサーや政治家の太もも、背中の感触、におい、息遣いらを感じているうちに、「このイスの中の世界こそ、わたしに与えられた、ほんとうのすみかではないか」と思うようになり数か月を過ごしました。
しかし、西洋人相手では「ほんとうの恋を感じる」ことはできないのではないかと思い始めました。その矢先、イスが競売に出され、ある官吏の家に買われていきました。著作に没頭する夫人は一日じゅうイスに座り、男は「はじめてほんとうの恋を感じ」、夫人に自分の存在を感じてもらうため、苦心しました。男はやがて、「たったひと目、わたしの恋人の顔を見て、そして、言葉を交わすことができたなら、そのまま死んでもいいとまで」思いつめるようになりました。
男の手紙には、「わたしの恋人」と書かれています。「わたしの恋人」とは佳子のことであり、「一生のお願い」なので、会ってほしいとありました。男は「昨夜、この手紙を書くために、お屋敷を抜け出し」、佳子は手紙の半ばで気づいていましたが、ともかく読み続け、「おお、気味のわるい」と悪寒を感じていた時に、使用人が別の手紙を持ってきました。
佳子の愛読者からの、別便でお送りした「創作」の批評をいただけたらという内容でした。
読み終えて、ああ、やられた! と思いました。心地よい、爽快感。
まず、読んでいる途中は設定に対する、ありえないのでは、という疑問ばかりでした。一日中イスの中にいるとしても、トイレや食事はどうするのだと思っていました。ホテルや屋敷という設定でしたので、皆が寝静まった夜に食糧をあさったり、トイレを済ませたりするのでしょうが、皆が起きている20時間近くも、はたしてトイレを我慢できるのかと思ってしまいました。
読んでいる途中はその疑問がどうしてもひっかかってしまい、半信半疑だったのですが、最後に、実は創作でしたというオチ。やられました! トイレについてどう説明するのだろうと思っていた疑問を見事にすかされた感じです。途中に、夜にホテルを出歩く場面などがあり、それがかえって、皆が起きている時の「トイレはどうするの?」「食事はどうするの?」という疑問をわざと起こさせる仕掛けなのか、などと思ってしまったほどでした。ただ、冷静になって考えてみると、イスの中で汗をかいたりすれば匂いは出ますし、シャワーも浴びなければならず、必ず何らかの気配は出ると思います。「トイレは?」「食事は?」という、すぐに思いつく疑問に読者の注意を向けさせ、「匂いでバレないの?」「息遣いでバレないの?」「風呂、入らないの?」などという疑問を読者に起こさせない仕掛けかもしれません。
キャラクターという点では、男は、やけに、「芸術」にこだわっているなと感じました。ホテルでは、西洋人のダンサーの座られごこち(!)が執拗に描写され、また、欧米の強国の大使で詩人の男をイスの中からナイフで刺したら、政治のみならず、芸術の世界においても大いなる喪失のはず、などと男が妄想を膨らませていました。また、夫人も作家です。男は手紙の中で何度も、「芸術」「芸術家」という言葉を使い、いっぽう、自身もすばらしい職人のくせに、自分のことは卑下します。もちろん、芸術の世界で名を挙げ、活動するには、たんに芸術的才能や資質があるだけではだめで、世に出る勇気や、社交性、作品を発表するための努力、営業、処世術、コミュニケーション術など多くの才能と努力が必要になります。男は、世に出るための努力をせず、自分はどうせダメだからとひがんでいるような性格なのですが、『人間椅子』という作品は、男のように芸術家へあこがれを持ちながらも芸術家になれない人間や、それでいて芸術家の周りをうろちょろしたい人間を描いているのかもしれないと思いました。
そう思ったきっかけは、冒頭の手紙を仕分けする場面で、夫人が、かさ高い原稿らしき封書を見つけ、「多くの場合長々しく退屈きわまるしろもの」と感じていた場面があったことと、手紙の中で男が「恋をする」ではなく「恋を感じる」と表現していたことと、オチでもある2通目の手紙で作者が1通目の手紙を「創作」と呼んでいた点があったことでした。『人間椅子』という作品に、何か表面的に流れるストーリーのほかに、根底に流れる「まなざし」のようなものを感じ、その『まなざし』は、「芸術」や、「芸術家」や、「創作」や、それらに関わる人たちへ向けられているような気がしました。
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