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百年泥/石井遊佳のあらすじと読書感想文

2018年2月5日

百年泥/石井遊佳のあらすじ

 インド南部の都市・チェンナイのIT企業で、社員のために日本語を教えている女性教師。チェンナイに来て3ヶ月半ほどしたある日、100年に一度の洪水に遭遇する。地元の川は氾濫し、外に出られず、仕事にもいけない状況になった。

 女性教師がチェンナイに来た理由は、男に借金を背負わされてしまったせいだ。特に日本語教師の資格なんかもっていないのに、元夫の紹介で、とんとんと話が決まったという経緯がある。

 洪水から3日後、女性教師は仕事先に向かおうと家を出る。仕事先へは橋を渡らないといけない。すでにたくさんの見物人が橋におしかけていた。 女性教師はそこで、奇妙な光景を目撃する。100年ぶりの洪水ということで、川の中の泥が撹拌され、そこらじゅうにはみだし、橋はひどいことになっていた。その泥の中から、いろんなものがかきだされていた。日用品や思い出の品、行方不明になっていた「人間」までも……。

 そして、昨日までまったくわからなかった「タミル語」が手に取るように分かるのだ。

 橋の上で、女性教師は教え子の、デーヴァラージと会う。デーヴァラージは熊手を持ち、泥かきの最中だった。デーヴァラージは小生意気で、扱いにくい教え子だったが、一番日本語がうまく。授業中には何気なく、女性教師の授業のフォローもしてくれていた。

 女性教師は、【百年泥】を前に、これまでのことをあれこれ思い出す。チェンナイに来る前のこと、来てからのこと、デーヴァラージの生い立ち、そして自分と母との話や、これまで通りすぎていった男たちとのことなど。

 泥まみれの中で、どれが私の記憶で、どれが誰の記憶かわからなくなっていく……。

百年泥/石井遊佳の読書感想文

 「百年泥(じゃくねんどろ)」。

 どんな内容なのかがさっぱり分からないタイトルだ。ほぼ前情報なく本書を手に取った。著者はインド在住とのこと。どうやらインドに関する内容らしい、ということだけ頭に入れて、読み始める。

 主人公はチェンナイに住み、IT企業に勤めるインド人に日本語を教えている女性教師。100年ぶりに洪水が起きたところから、物語はスタートする。

 そのあまりにリアルな描写から、はじめは、「え、エッセイ?」と思わされるのだが、読み進めていくうちに、奇想天外なエピソードがあふれ始め、やっぱり小説なんだ、と納得させられる。

 【百年泥】とは、100年ぶりに起きた洪水で、川が氾濫し、そこにたまった100年分の泥のことを意味しているようだ。この泥から、それはそれは、いろんなものがかきだされてくる。それは「思い出の品」だったり、「人間」だったり……。

 そもそもその思い出の品が、主人公が知っているものばかりなのに驚く。なんでそんな身近なものが、100年ぶりにあふれてきた泥の中の中からでてくるのか? しかも日本にまつわるものまである。そうもやもやしているところに、「生きた人間」がかきだされ、平然と物語は進む。でてきたひとたとは生きているのだ!

 七年間も行方知らずだった子供や、泥の中で? 眠りこけ、10年前の母親の葬儀にも出ていない60代の男など、、、。彼らを見つけた家族や知人らしきひとたちは、明るく、「おまえ、なにしてたんだよ」と笑いあうのである。

 さらには、インド人が空を飛んでいる! 翼をつけて出勤している、有翼飛行者なるもの。これは特権階級のようで、選ばれたひとたちしが使用できないようだが、スマホを見ながら飛行し、前を見ていないために他人とぶつかって、川に落ちる、などという描写が、現代人をうまく表現し、ユニーク極まりない。

 インドに行ったことがない身としては、「え、もうこんなことになってんの?」と思わされたが、そんなわけはない。もしかしたら近い将来そうなる?? そうしたら、通勤電車で苦労することもないなとか、でもお金持ちしか無理か、などと想像を掻き立てられる。

 こんなファンタジーが、とてもリアルに感じてしまう、そんな不思議な力を持つ作品なのだ。

 そもそも、主人公がインドに向かった理由が、これまたひどい。

 つきあっていた男のために、サラ金から金をかり、とんずらされてしまったのだ。そして助けを求めた元夫に紹介されたのが、このインドでの日本語教師だった。

 はじめこそ、エッセイだと思っていたので、ちょっとやんちゃな女性が、自伝的に物語を書いてるのかしら? と思ったが、読了後に著者が東大卒の才媛であったと知った。こんな荒唐無稽なそのストーリーが思い浮かぶなんて、想像力豊かで、賢く、さらに面白い人なんだと思った。

 インド人に日本語を教えていくエピソードは楽しく滑稽で、賑やかな風景が目に浮かぶ。さらりとインドの風習みたいなことも描かれる。これは地元に住む強みだろう。

 その中で、主人公やデーヴァラージの悲しい生い立ちや、トラウマなども綴られていく。だいぶ重めなエピソードもあるが、決してそれを作品全体にはひきずらない。むしろ軽快に物語が進むのだ。著者のリアルな体験と、想いや妄想がうまい具合に撹拌されて、作品に昇華されているんだと感じた。

 授業中、小生意気で、なんとなく反抗的な態度をとっていたデーヴァラージ。主人公も彼を受け入れられず、どこか苦々しい思いを抱えていた。

 そんなデーヴァラージは、苦しい生活を強いられた幼少時代、実は日本人に一番、感謝を感じているエピソードがなんとも心を打つ。たぶんこの経験から、誰よりも日本語を覚え、いつか日本人に恩返しをしようと思ったのだろう。

 最後は、デーヴァラージが素直な一面を見せ、主人公に好意を持って終わろうとするが、それを簡単に受け入れないところが、主人公のキャラをむしろ際立たせている。

 次の一文が印象に残る。

 かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌、話されなかったことば、濡れなかった雨、ふられなかった唇が、百年泥だ。あったかも人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ。

 【百年泥】はただの泥ではなく、一生懸命生きてきたひとたちの、たくさんの人生である。

 ミスマッチなものが組み合わさり、終始目新しく、いい意味で「もやもやして読めた」作品だった。 (スギ タクミ


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