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おらおらでひとりいぐも/若竹千佐子のあらすじと読書感想文

2018年1月28日

おらおらでひとりいぐも/若竹千佐子のあらすじ

 ある日、突然に夫である周造を失ってしまった主婦、桃子さんはひとり暮らしをしている。桃子さんはいまでいう独居老人である。寂しさはあるが、それは自分ばかりではないだろうと思っている。それくらいの理解力はある老人だ。

 桃子さんには二人の子供がいる。長男は大学を中退後、連絡はくれるがあまり家に寄り付かない。長女は、桃子さんの家から車で20分の場所に住んでいる。男の子供を絵の塾に通わせたいからお金を貸してと言われて渋ると、「兄ちゃんばっかりかわいがって」と嫌味をいわれる。そんなつかずはなれずの関係のある平凡なおばあさんの主婦が、そろそろ自分の老いやボケなどを感じながら、現在と過去を往復しながらさまざまな記憶の糸をたぐりよせる。

 桃子さんによみがえってくる記憶の段階は3つある。1つは自分の幼少期のこと、なついていたおばあちゃんと、山が見える場所で過ごした田舎の記憶がある。もうひとつは、長年連れ添って突然先立たれてしまった夫である周造のこと。さらに現在とちょっとした過去がいりじまじるところである。この3つの記憶がランダムに現れる。記憶がはっきりとしていないのは、すでにボケがはじまっているせいなのかもしれない。

 桃子さんは母親から、あれこれ指図を受けて育てられてきた。親が言うままに地元の農協に就職して、そこでお見合い相手もお膳立てされる。そんなレールに乗った生活が嫌で、家で夜行列車に乗って飛び出したこともある。ただ今は、田舎で東北弁をあやつっていることからもわかる通り、都会には染まれなかった。それが後悔にもなっていないし、今が嫌というわけでもないが、家出の記憶がよみがえる。その家出では、電車のシートに座った男がウイスキーのポケットビンと柿の種を交互に飲んで食べる様子を思い出す。何十年も前の記憶なのに、そんな瑣末な場面だけを覚えている。それが老人の今、記憶としてよみがえってくる。母親の記憶から家出の記憶を思い出して、母親に自分がされてきたことを、知らず知らずのうちに娘にもしてしまったかもしれないとも、ちょっと後悔することもある。同時に親子は似てしまうし、変わらないものだなとひとりごちる。

 桃子さんは勉強熱心である。特にテレビの大自然もののドキュメンタリーが好きで、それを繰り返しみながら、図書館で新しい情報を調べてわかったことを「46億年ノート」に記している。なぜそのような作業をするのだろうか。まずは老人だからヒマというのもあるだろうし、ほかのことを考えなくて済むというのもあるだろう。あとは本当に新しいことを知りたいといった思いもそこにはありそうだ。

 桃子さんは幼少期に育った八角山の夢をよく見る。この八角山が見える場所で家族ともに育ち、学校の写生大会でもこの山を映した。さらに母を飛び越えて仲が良かったおばあちゃんとも一緒に山を眺めた。桃子さんの原点にあるこの山はなんだろうと考える。物語の終盤部で、桃子さんはこの山の姿は自分自身の姿なのだと気づく。その時出てきた山の姿はやせ細っている。これは自分自身の姿で、孤独がやわらいだせいかもしれないと桃子さんは思う。

 だが、こうした過去の美しき思い出に、入り込んでくるのがいきなり死んでしまった夫の周造のことである。夫のことを思い出すたびに、心がかきみだれる。言葉は冷静さを失って東北弁の叫びが炸裂する。だが、過ぎてしまったことはしょうがない。それでも寂しいけれどもしょうがない。「おらおらでひとりでいぐも」と思い直す。

 桃子さんはやたら考えをこねる。理屈っぽい人でもある。死んだらどうなるのか、そんなことばかり考えている。だが、夢で出てきた寂しい女たちの群れを見て「自分ばかりではない」と思い直すし、死は生の隣に口をあけて待っていると、あっけらかんとした答えに至る。いろいろ考えはしましたが、結局わかりませんでしたみたいな話だろうか。これはなによりも桃子さんの人柄である。

 桃子さんにとって夫はどういう存在であったのか。もうそこにいるだけで当たり前の存在である。だから桃子さんにとって周造がいないことよりも、周造の声が聞こえないことの方が切ない。あまりにも思い込みが激しすぎて周造の声が聞こえることもある。これは空耳ではなく、周造がいる世界がどこかにあると桃子さんは思い込む。

 桃子さんがずっと過去ばかりふりかえっているのは、季節が冬だからでもあろう。東北の冬は寒い。東北の言葉を使えば「しばれる」。だからこそ、頭の中には昔のことばかり浮かんでしまうのかもしれない。物語の最後には春がやってくる。

 孫娘のひな祭りのお祝いをする桃子さん。おばあちゃんと話をしていると、娘から誰と話しているのさと聞かれて我に返る。孫娘とふれあいながら桃子さんは今、自分は生きていると強く知覚するのだった。

おらおらでひとりいぐも/若竹千佐子の感想文

 この小説の主人公は桃子さんというおばあさんです。すでに子供は独立しており、悠々自適の暮らしをしています。しかし、夫に先立たれてしまったこともあり、やることがありません。朝はやく目がさめてしまうが、どうせやることがないので、無理やり眠ろうとする姿など、ちょっと切なさを感じさせます。

 しかし、桃子さんは孤独かといえばそうではありません。常に、子供のときの記憶がよみがえってきて、そこでは自分に影響を与えたおばあさんの姿がいます。人間の死というのは、心臓が止まって肉体的な死、物理的な死というものが訪れますが、しばらくはその人が死んだことに実感が生まれないものはありますよね。それは、誰かの記憶から忘れ去られた時が本当の死であるという考え方にも近いものでしょう。桃子さんの中にとっては、おばあさんも、さらに先立たれた夫の周造さんもまだ生きているのでしょう。

 この小説は、地の文で桃子さんと語りかける三人称の文章と、セリフの部分で桃子さんの一人称である「おら」が出てきます。桃子さんの会話はほとんどが地の文にとけこんでいますから、一見すると区別がつきにくいです。しかし病院でのお医者さんや事務員さんとの会話、実の娘との会話はカギカッコ付で表現されています。この区別は、桃子さんにとってのプライベートな世界と、そのほかの世界の境目なのかもしれません。構造が入り組んだ小説ですが、そうした区別をイメージしながら読んでいくとわかりやすいでしょう。

 もうひとつ作品で注目を集めているのが東北弁です。桃子さんは、特に親しい友人などがいませんので、ほとんどが独り言です。さらに、記憶の中である夫である周造との会話、おばあさんとの会話が思い起こされます。夫との思い出を呼び起こす場面では「おらしあわせだたも」と言葉少なげに語られます。つい口をついて出る本音の一言が方言に凝縮されていますので、そちらにも注目です。(下地直輝)


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