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火花/又吉直樹のあらすじと読書感想文

2015年9月9日 竹内みちまろ

火花/又吉直樹のあらすじ

 熱海湾に面した沿道で、漫才コンビ『スパークス』の僕(徳永/20歳)は中学からの同級生で相方の山下と、黄色いビニールケースの上にべニア板を渡したステージで、花火大会の余興の漫才を披露していた。浴衣姿のカップルや家族連れはみんな打ち上がる花火に歓声をあげ、『スパークス』の漫才に耳を傾ける者はいなかった。

 持ち時間の15分を終えて舞台から下りた僕は、次に漫才を披露する『あほんだら』の神谷(24歳)から、すれ違う時に、「仇とったるわ」とささやかれた。神谷は、大衆に喧嘩を売るかのように怒鳴り散らし始めた。僕は、神谷に「弟子にして下さい」と頭を下げた。神谷は条件があると口にし、「俺の伝記を作って欲しいねん」と告げた。

 『スパークス』は地方営業と小さなライブハウスでのライブが仕事のほとんどだった。大阪の大きな事務所に所属していた神谷が相方の大林と上京。『あほんだら』は、世間的には無名だが、素行が悪く、芸人の間では悪評もあった。高円寺の家賃2万5千円の風呂なしアパートに住んでいた僕は、神谷と頻繁に会うようになった。

 『スパークス』は何年も変わらずの活動を続けていたが、『スパークス』がが所属する事務所に、大手の事務所から数組の後輩が移籍し、バラエティ部門が活気づいた。後輩たちはすぐに事務所ライブを企画し、成功させた。事務所ライブでは『スパークス』は最も長い芸歴を持ちながら8組中6位。僕は、「名称のついていない場所で一人立ち尽くしていた」。

 僕は自分を見失いかけた時に神谷に会いたくなった。久しぶりに会った神谷は様子が違った。僕は、上石神井のアパートに住んでいる神谷の彼女の真樹の家に、「荷物取りに行きたいからついて来て欲しいねん」と頼まれた。真樹は風俗店で働いていたが、真樹の部屋に行くと、顧客として通っていた作業服の男が、僕と神谷を一瞥した。

 真樹と別れたあと、神谷は知り合いの家を転々とし、最終的に池尻大橋と三軒茶屋の間にある三宿のアパートに住み始めた。神谷の借金は膨らんでいた。神谷は、真樹と別れてから、「箍(たが)が外れたように駄目になった」。

 僕は28歳になっていた。『スパークス』は若者に人気の深夜番組に出演するようになり、注目の若手として雑誌で取り上げられるようになった。僕は、下北沢の家賃11万円のアパートに引っ越し、漫才だけで生活できるようになっていた。

 都内最大級のライブハウス・Zepp東京で若手芸人たちが漫才を2つずつ披露するイベントが開催された。『スパークス』も出演したが、その日一番の笑いを取ったのは『あほんだら』だった。しかし、漫才を見に来た客の前で平然と事件を起こし、周囲に媚びることができない神谷は、一部の芸人から賞賛される一方で、敵も多く作っていた。審査委員は『あほんだら』の漫才を否定する発言をした。

 珍しく早い時間に仕事が終わった日、僕は神谷を誘った。夜中に、由貴という女のアパートに行く約束をしていた神谷は、銀髪で全身黒という僕と同じスタイルをしていた。僕は、神谷と居酒屋で合流し、由貴のアパートへ行った。由貴の部屋にあがると、テレビの深夜番組で、『スパークス』の漫才が始まった。

 『スパークス』のネタが終わったあと、僕は震える声で、神谷に「駄目ですかね」と尋ねた。神谷は「せやな、もっと徳永の好きなように面白いことやったらいいねん」とつぶやいた。僕は「出来ないんですよ」と口にし、「頭に血がのぼっていく感覚があった」。「面白い芸人になりたかった」という僕は、「僕の前を歩く神谷さんの進む道こそが、僕が踏み外すべき道なのだと今、わかった」。僕は、「ごちゃごちゃ文句言うんやったら、自分が、オーディション受かってテレビで面白い漫才やったら、よろしいやん」と神谷に告げた。僕は、感情を神谷にぶつけて行ったが、神谷は「徳永、すまんな」と小さな声で口にした。

 漫才の深夜番組は1年で終わった。僕は、相方の山下から突然、呼び出された。要件は聞かなくても分かっており、入籍した彼女のお腹に双子の赤ちゃんがいる山下と2人で事務所にコンビ解散を伝えた。事情を説明すると誰からも止められなかった。

 『スパークス』は、出演する最後となった事務所ライブで、最後の漫才を行った。僕は、「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました。僕達が覆せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです」と告げ、山下が「あかんがな!」と突っ込み、笑いが起こった。漫才がクライマックスを迎えると、観客は笑いながら泣き、神谷は、客席の一番後ろで一番泣いていた。「この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う」。

火花/又吉直樹の読書感想文(ネタバレ)

 『火花』を読み終えて、すげえ!と思いました。

 『火花』は、久しぶりに、言葉の力を感じることができた作品でした。一番、読み応えがあったのは、ラストライブの様子を描いた場面でした。『スパークス』が行ったのは、あえて反対のことを言うと宣言した上で思っていることと逆のことを全力で言うという漫才でした。「お前は、ほんまに漫才が上手いな!」などと笑いを取るためのセリフが、「」でくくられたセリフとして描写されていきます。

 文字で書かれたお笑いのネタ(台本)は見たことがありませんので、勝手な想像になりますが、それだけを読んでも面白いものではないのだと思います。以前読んだ小説に、漫才の場面が『火花』と同じように言葉で描写されていました。が、それを読んでもぜんぜん、面白いと感じることができず、退屈なだけでした。芸人によってステージで実演されている場面を想像してみても面白いと感じることができませんでした。それは、頭で必死に考えてしまっていたからかもしれません。お笑いのネタは、やはり、芸人さんによって演じられて、はじめて心に届くものだと思いました。しかし、『火花』では、文字だけで、お笑いのネタの迫力が伝わってきました。

 『火花』のラスト漫才の場面は、反対の言葉を使うというネタをそのまま描写していますので、僕も、山下も、「だけどな、相方! そんな天才のお前にも幾つか大きな欠点があるぞ!」と断った上で、「そんな、お前とやから、この十年間、ほんまに楽しくなかったわ! 世界で俺が一番不幸やわ!」と口にします。ファンにも、「お前等は、スパークスは最低だ! 見たくもねえ! とか言って、僕の人生を否定するわけですよ。ほんまに大嫌い!」などと思いをぶつけていきます。それを聞いてファンは、笑いながら泣きます。表面上の言葉とは反対の意味を頭で変換しながら読み進め、同時に、同じように頭で変換しながら思いを受け取って行くファンの様子を読み進めるうちに、不思議な高揚感と興奮に包まれました。言葉って、こんなにも、登場人物たちの心の中に存在する“想い”というものを伝えられるのだなと感動しました。

 もう一つ、ラストライブのネタの場面では、進行するネタと同時に、「僕」の心も、ストレートな言葉を使って、地の文で、「僕は、天才になりたかった。人を笑わせたかった」などと描かれています。神谷に感情をぶつける場面でも、「僕は面白い芸人になりたかった」と書かれています。不器用な「僕」は、現実世界では思うように感情を伝えられないのですが、強く、純粋で、真っ直ぐな想いを持っているのだと思いました。

 現実世界での不器用さと、内面の純粋さが同時に描かれていく場面を読んでいるうちに、そんな場面を描くことができる作者の又吉さんの心の中にもきっと、「僕」と同じように、例え上手く表現できなかったとしても、伝えたい純粋な想いがあるのだと思いました。想いを伝えることは難しく、伝わらないもどかしさは果てしがないと思いますが、言葉によって、そんな想いの純粋さを描いた『火花』は、久しぶりに出会った、すげえ!と感動させてくれる作品でした。


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