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映画「家族の肖像」ルキノ・ヴィスコンティのあらすじと感想

2007年4月29日 竹内みちまろ

監督:ルキノ・ヴィスコンティ (1974年/イタリアフランス)
主演:バート・ランカスター、シルヴァーナ・マンガーノ、ヘルムート・バーガー、クラウディア・マルサーニ、ステファノ・パトリッツィ

 「家族の肖像」の舞台は、ローマです。隠棲生活を送る教授の家に、2階を間借りしたいという一家が訪れます。教授は断りますが、あやふやなうちに住み付かれてしまいました。2階に住み込んだ青年が、絵画の写真を教授に見せる場面がありました。教授は、絵画を収集しています。青年も見る目があるようです。

「するどい観察だ。美術史を学んだのかね」

 青年の説明を聞いた教授が問いかけます。

「少々、好きだった」

「なぜ、止めた」

「時代が違う」

 青年は学生運動にのめり込み、今では身を崩しているようです。

 「家族の肖像」は室内劇です。教授の家の中でストーリーが進みます。押しかけ間借り人となった一家は、ずうずうしくて常識がありません。一家の女の子は、「お腹が減った。何かありません」などと平気で言います。しかし、教授は、「こちらに来たまえ」と、まんざらでもない顔でキッチンの扉を開けます。

「凄いわ、みんな来て」

 キッチンには、贅沢な珍味がところ狭しと並べられていました。教授も、うれしそうに、チーズにナイフを入れてあげたりします。

 夜中に、3人で教授の部屋に押しかける場面もありました。教授は、一人だけの時間を過ごしていました。壁を埋めている本棚が、探偵映画でも見るように、こちら側に開いていました。一家の男の子は、「おい来てみろ。隠し部屋だ」などと平気で言います。

「戦争中は、大いに役に立った」

 隠し部屋のことを聞かれた教授は、政治犯やユダヤ人を匿ったことを告げます。青年が教授を見つめます。教授は、ポツリポツリと自分のことを語りはじめました。

「進歩の代償は、破壊だ」

 「家族の肖像」を見終わって、教授の過去の物語に強く引かれました。「家族の肖像」の中では、教授の物語は語られません。孤独と共生する教授は、自分の話をしようとしません。観客は、わずかな回想シーンとセリフから教授の過去を垣間見ます。ときに若者たちを諭すような教授のセリフから、教授が何かと戦いながら人生を歩んできたのではないかと思いました。

 「家族の肖像」は、教授が一家を食事に招待する場面でクライマックスを迎えます。食事を終えた教授と一家は、談話室に移動しました。青年と男の子が、口論をはじめます。口論というよりは、憎悪を口にしてしまった後戻りのできないののしり合いでした。青年は、階級制度や資本主義を否定します。教授が青年に理解を示すような口を挟みました。教授に敬意をはらう男の子は、それでも「知識人はみんな左翼を気取っている。だが幸いなことに、生活や態度には表れない」と言い捨てます。教授は答えます。

「私の世代のインテリは、政治と道徳のバランスを求めようとした。不可能なものを」

 この一言に、「家族の肖像」では語られることのなかった教授の過去を見たような気がしました。若き日の教授は、「不可能なもの」を追い求めてしまったのではないかと思いました。教授が戦った相手は、うまく言えませんが、”歴史”だったような気がします。「家族の肖像」は、そんな教授が死の物音を聞く場面で終わります。教授を理解した青年も、謎の死を遂げていました。破壊を代償とせずにバランスを実現するための戦いは、忘れ去られていくのかもしれないと思いました。


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