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2007年5月23日 竹内みちまろ
「ルートヴィヒ」(監督:ルキノ・ヴィスコンティ、1972年/イタリア/西ドイツ/フランス、主演:ヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダー、トレヴァー・ハワード、シルヴァーナ・マンガーノ、アドリアーナ・アスティ、ソニア・ペトローヴァ)という映画をご紹介します。「ルートヴィヒ」は、バイエルン王国の国王ルードヴィッヒ2世の生涯を追った物語です。ルートヴィヒ2世は、9世紀からバイエルン地方を統治する名家に生まれました。1800年代初頭にナポレオンによってバイエルン王国が誕生します。フランスとバイエルンは、ともに聖ルイを守護聖人とするようです。初代の国王ルートヴィヒ1世は、ルートヴィヒ2世の祖父でした。ルードヴィッヒ1世が退位したあとに、マクシミリアン2世が王位を継ぎます。マリー王妃はプロイセン出身です。1864年に、マクシミリアン2世が急死します。18歳のルートヴィヒ2世が国王になりました。映画「ルートヴィヒ」は、ルートヴィヒ2世の戴冠式の様子からはじまります。1800年代の後半は、プロイセンによるドイツ統一の時代でした。1866年には、普墺戦争が勃発します。プロイセンとオーストリアの覇権争いでした。プロイセンにはイタリアが、オーストリアにはバイエルンが同盟して参戦しました。プロイセンは、オーストリアに大勝利を収めます。オーストリアは北部イタリアの領土の一部を失います。バイエルンは、プロイセンを敵に回して戦いましたが独立は維持しました。1870年には、普仏戦争がおきます。プロイセンとフランスのヨーロッパの覇権をかけた争いでした。バイエルンは、プロイセン側について参戦します。プロイセンはセダンで勝利を収めてナポレオン3世を捕虜とします。ヴェルサイユ宮殿で、プロイセン王が初代のドイツ皇帝になりました。バイエルンは統一ドイツ連邦に参加します。事実上は、プロイセンの傘下におさまったのかもしれません。
「ルートヴィヒ」では、ルートヴィヒ2世に仕えた者たちの証言が繰り返し挿入されていました。カメラは証言者の顔を真正面からとらえます。背景は真っ暗で証言者の顔も半分くらいが影に覆われているときもあります。証言者たちは、ルートヴィヒ2世に対してはあまりいいことは言いません。政治家や実務家たちはみな「財政がひっ迫して困った」とか「この時期の国王は国務に無関心だった」とか言います。軍人や国王に取り立てられた者たちは、政治家や実務家たちのようにはっきりとは言いませんが、困惑を浮かべた顔で慎重に言葉を選んでいました。証言は、どうやら、ルートヴィヒ2世に統治能力があるのかどうかの精神鑑定のために行われているようです。ラスト・シーン近くで、国務を投げ出して城に閉じこもるルートヴィヒ2世は退位させられます。精神科医はルートヴィヒ2世をパラノイアのために統治能力がないと鑑定しました。4時間の長い作品でしたが、証言の場面が散りばめられているために、全編が、ルートヴィヒ2世の精神鑑定という視点で統一されていて見やすかったです。
戴冠式を前にして、若きルートヴィヒ2世は神父に心のうちを告げていました。賢人や芸術家たちを呼び寄せて王国の名を不朽にすると理想に燃えていました。戴冠式を終えて、ルートヴィヒ2世が従姉に会う場面がありました。従姉は、サーカスの特設会場のようなところで、馬に乗っています。乗馬服を着ているようです。従姉は「私、曲芸士になろうかしら」と笑いかけます。従姉は「何年ぶりかしら?」と聞きます。ルードヴィッヒ2世は「6年と、6年と半年ぶりです」と答えます。従姉は「記憶力がいいのね」とほほ笑みます。ルードヴィッヒ2世は「あなたがここにいると知って来ました」と告げます。従姉は「変わったわ。前よりもハンサムになった」とルートヴィヒ2世のほほに手をあてます。幼なじみの2人が恋ができる年齢になって再会したような、ロマンティックな音楽が流れます。従姉は「ロシア皇女との結婚はどうなってるの?」ともちかけます。ルードヴィッヒ2世は「聞いているが、まだ18歳だし、結婚したくない」と言います。従姉は「私なんか16歳で結婚したのよ」と笑いました。エリーザベトという従姉の女性は、オーストリア王妃でした。2人は並んで歩きます。エリーザベトは、「夫にはすぐに嫌気がさしたわ」、「姑も嫌な人」、「子どもは取り上げられるし」、「あんなところで10年も我慢したなんて信じられないわ」と、幼なじみの前でしか言えないことを話します。エリーザベトは「それから旅にでたの」と言って訪れた島の名前を次々にあげていました。
ルートヴィヒ2世とエリーザベトは夜中に2人で遠乗りに出ました。林の中を歩きます。またまたロマンティックな音楽が流れます。エリーザベトのうしろを歩くルートヴィヒ2世は詩を朗読します。エリーザベトは「すてきな詩ね。音楽がなくても」と振り返ります。2人は立ち止まります。
「ワーグナーの詩と音楽は互いに結びつき不可分です。この融合によって新たな表現が生まれ、その表現が思想を広めるのです。どう説明したらいいか……、確かなことは、国民への偉大な贈り物で心を豊かにするのです」
ルートヴィヒ2世は、ほほを上気させて語ります。真理を発見した少年のようでした。
「バイエルンを音楽家の国にしたいの?」
エリーザベトがはぐらかすように笑いました。
「からかわないでください。私は真剣なのです。ワーグナーのおかげで勇気を得たのです。世界に貢献する。たとえ仲介者の役でも」
ルートヴィヒ2世は「あなたに会った3日間は幸せでした。純粋な幸せを感じました」と気持ちをさぐりあうことなんてまったく知らない少年のような顔をしてささやきます。2人はくちづけを交わします。月明かりが2人を照らしました。ルートヴィヒ2世にとっては、エリーザベトはダンテの神曲に出てくるベアトリーチェのような存在、久遠の女性なんだと思いました。
ルートヴィヒ2世は気持ちを抑えきれないようです。再びエリーザベトに会いに来ました。ルートヴィヒ2世は「あなたしか愛せない」とストレートに告げます。しかし、エリーザベトは、「愛は義務なの。現実に立ち向かいなさい。夢なんか捨てて。君主は歴史とは無関係なの」と叱るように言います。エリーザベトは、妹のゾフィーとの結婚を進めます。それがルートヴィヒ2世の義務だとさとしました。エリーザベトは、暗殺でもされない限りは王の宿命からはのがれられないと、ルートヴィヒ2世を突き放しました。
「ルートヴィヒ」は、多くの証言をはさみながら、若くして国王になったルートヴィヒ2世の姿をおいます。ルートヴィヒ2世はワーグナーのパトロンとなり「トリスタンとイゾルテ」の上演を国庫の負担で成功させます。しかし、財政難の批判を浴びました。普墺戦争の場面では、弟に前線をまかせて、自分は本拠地のミュンヘンに腰を据えもせずにどこかの別荘に閉じこもっていました。弟がルートヴィヒ2世に会いに来た場面がありました。不眠症に悩まされて精神的にもぼろぼろになっていることが一目でわかる弟は、それでも「同盟国のてまえもありますので、すぐに前線に戻ります」とけなげに言います。ルートヴィヒ2世は「私は戦争をのぞまなかった、だから、私には戦争は存在しない」と主張していました。また、ルートヴィヒ2世が義務を果たすために、いったんはゾフィーとの婚約を決意する場面もありました。しかし、どうしても、結婚にはふみきれなかったようです。ルートヴィヒ2世は、みんなのいる前で、婚約のお祝いを述べに来たエリーザベトを別室に案内していました。ルートヴィヒ2世は、新居として城を建設する、場所はいくつか候補があるとエリーザベトに聞かせます。城のスケッチを次々にとりあげて、この場所を覚えていますか、ここに行ってみませんかとエリーザベトに語りかけます。部屋に入ってきたゾフィーが泣きそうな顔で2人を見つめていました。普仏戦争の場面では、歯が痛いと言って急使にも会おうとしません。親プロイセン派だと思われるホルンシュタイン伯爵がバイエルン存続のために必死になってビスマルクにはたらきかけをしていました。ホルンシュタイン伯爵は「今となっては、こうするほかはありません」と親書の下書きを渡します。それを見たルートヴィヒ2世は、「私の祖国をもらってくださいと書けというのか、そんなことはできん」とだだをこねていました。
「ルートヴィヒ」には、「夏の嵐」には出てきたような戦争の場面はありませんでした。「山猫」には出てきたような自然を見渡すような場面もありませんでした。婚約に駆けつけたエリーザベトは「おめでとう。ミュンヘンは旗で埋め尽くされてるわ」と言いますが旗で埋め尽くされたミュンヘンの映像は映されません。オペラの場面もなく、ミュンヘンの町自体が写されたこともなかったように思います。登場人物たちがことあるごとに「ミュンヘン」というのでミュンヘンの町はどんななんだろうと見てみたい気持ちが自然とわいてきましたが、画面には現れてくれませんでした。「白夜」では、一段高いところから登場人物たちといっしょに場面ごときりとるようなカメラワークでしたが、「ルートヴィヒ」では、カメラは人間の目の高さに固定されることが多くて視界も狭かったです。証言の場面では暗闇のなかでどアップで顔だけ写すし、いつも視界は狭いし、室内もカーテンが閉められていたり薄明かりしか灯されていないような場面が続きます。たまに、昼間の庭の風景が一瞬だけ画面に現れたりすると、深呼吸ができたみたいにほっとしました。
「ルートヴィヒ」では、印象に残っている場面があります。ゾフィーとの婚約が破綻してからは、ルードヴィッヒ2世は国務を放棄して親類や古参の従者たちを遠ざけました。怪しげな者たちを拾ってきてはそばに置いていました。ルートヴィヒ2世は、城の建築だけに熱中したようです。ずっと疎遠になっていたエリーザベトが、ルートヴィヒ2世が建設した3つの城をたて続けに訪れる場面がありました。「ルートヴィヒ」のクライマックスだと思いました。エリーザベトは、地味な馬車からおりました。動きやすそうな服を着ています。従者もひとりしか連れていません。日傘を自分でさしてさっそうと歩きます。パプスブルク帝国の王妃というよりは、外を出歩くのが好きなお嬢さんという感じでした。人生には、堅苦しいこと以外にも価値のあることは存在するというような心の持ち方は、どこか、ルートヴィヒ2世に似ているような気がします。しかし、エリーザベトの表情やふるまいは、ときに冷酷とも思えるほどに気品に満ちていました。エリーザベトが城を訪れる場面の映像には思わず見とれました。気持ちがいいくらいのよく晴れた日でした。城は、城砦というよりは、とてつもなく大きな洋館という感じでした。エリーザベトは門を通ります。画面には、門のむこうまで見あげるように写されています。しかし、画面のどこにも建物は見えません。門をくぐってから丘を超えて、ようやく、かなたに城が見えるというという規模のように思えました。できたばかりだからでしょうか、城には、人の気配がまったくありません。じゃりを敷き詰めた庭は整然としています。落葉一枚も見あたりません。直立している歩哨すら彫刻に見えます。カメラは、それまでとは違って、すこし遠目からエリーザベトを映しはじめました。これでもかというくらいのロマンティックな音楽が流れます。何もかもが制止した夢の世界をエリーザベトが一人でさまよい歩くような印象がありました。建物の入り口にたどり着いたエリーザベトは、太陽の光をいっぱいに浴びた白い壁を見上げます。信じられないという顔をします。リンダーホーフ城のヴィーナスの洞窟では呆然と立ち尽くしていました。ヘレンキームゼー城の鏡の回廊は豪華絢爛でした。鏡は横に並べられているのですが、床一面もぴかぴかに磨き上げた鏡のようだと思いました。回廊の向こうはそのまま空になっていて、青空と回廊がつながっているようでした。夢の世界に、エリーザベトの足音が響きます。そして、エリーザベトの何かをあざ笑うかのような笑い声が響きました。
映画がはじまってすぐに、ルートヴィヒ2世は、必死に言葉を探しながら「国民への偉大な贈り物で心を豊かにするのです」と瞳を輝かしました。はにかみながら「あなたに会った3日間は幸せでした。純粋な幸せを感じました」とエリーザベトに告げました。ルートヴィヒ2世が建てた城は、ルートヴィヒ2世の少年のような純粋さを集めたかのように美しいと思いました。そんな夢の世界の中を久遠の女性のエリーザベトが歩きます。エリーザベトは、最後には、笑いだしてしまいます。しかし、鏡の回廊に響く笑い声すらも、はかなくて、美しいと思いました。久遠の女性というものは、プラトニックに、心の中だけで愛する存在なのかもしれません。狭苦しい映像も、証言者のどアップも、この場面が終わってからラストまで続く光をなくした夜と雨の映像も、全てがこの場面の美しさのためにあるのかもしれないと思いました。ルートヴィヒ2世が持っていた少年の心が現実とは相容れなかったことは歴史が証明しているのかもしれません。現実と折り合いをつけることができなかったルートヴィヒ2世は、狂気の沙汰とも言われた城の建設をてがけるしかできることがなくなってしまったのかもしれません。映画では、ルートヴィヒ2世はそんなふうに描かれていました。ただ、エリーザベトがルートヴィヒ2世の精神世界とも言える城を訪れる場面は、たとえエリーザベトが笑いだしてしまったとしても、薄いブルーの霧がかかったように幻想的に描かれていました。
「ルートヴィヒ」は、ルートヴィヒ2世の精神鑑定の結果が出たことで結末に向かいます。バイエルンの重臣たちがルートヴィヒ2世に退位をせまります。ルートヴィヒ2世は軟禁状態におかれます。翌日でした。雨が降っていました。ルートヴィヒ2世は、散歩に出かけます。重臣たちは、散歩までは禁止できないと、しぶしぶ、認めていました。夜になってもルートヴィヒ2世は屋敷に帰りませんでした。謎の銃声がとどろきます。ルートヴィヒ2世の人生の終えんが描かれて「ルートヴィヒ」は幕を閉じました。
その後のドイツの歴史はみなさんご存知のとおりです。普仏戦争が終わってからは40年以上も大きな戦乱のない平和な時代が続きます。1914年のことでした。サラエボで、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人青年の手により暗殺されます。オーストリア・ハンガリーがセルビアに戦線布告をします。ルートヴィヒ2世の死に駆けつけたエリーザベトは、彼は狂っていない、ただ夢を見ていただけと言ったそうです。エリーザベトは、1898年に暗殺されました。
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