本文へスキップ

読書感想文のページ > パレアナの青春

パレアナの青春/エレナ・ポーターのあらすじと読書感想文

2005年9月19日 竹内みちまろ

 「パレアナの青春」(エレナ・ポーター/村岡花子訳)は、「少女パレアナ」の続編です。「少女パレアナ」は、孤児になった10歳のパレアナが、不平ばかりをこぼす叔母の家に引き取られる物語でした。パレアナの「何でも喜ぶ遊び」を軸に、叔母や町の人びとの心の中に変化が訪れます。パレアナが交通事故にあい、下半身が付随になる場面で終わる作品でした。「パレアナの青春」は、サナトリウムの場面からはじまります。パレアナは、リハビリを続けて歩けるようになりました。パレアナは、サナトリウムでも持ち前の明るさと「何でも喜ぶ遊び」で人気者になっていました。

サブ・キャラクターたちの活躍

 「パレアナの青春」の前半は、サナトリウムの看護婦の仲介でパレアナがある夫人の邸に冬の間だけ預けられる物語でした。夫人の邸は、ボストンにありました。田舎町しか知らないパレアナの都会での冒険がはじまります。パレアナは、不平ばかりをこぼしながら暮らしている夫人の心を溶かします。公園では、貧しい少年と少女に出会いました。2人は、後半では、重要なサブ・キャラクターとして登場します。ここまでは、前作と同じような展開でした。パレアナの元気いっぱいの活躍が語られます。そして、本書の読みどころは、後半部分にありました。本書を名作として残しているのは、パレアナを取り巻くサブ・キャラクターたちの活躍ではないかと思いました。後半では、パレアナは、20歳になっていました。本書は、3人称で書かれています。語り手は、特定の人物に焦点をすえることをしません。物語世界を上から見下ろしています。パレアナの描写は、パレアナのセリフを通してされることが多いです。地の文でパレアナの心が描写されることは、ほとんどありませんでした。

大人になるための試練

 20歳になったパレアナは、「何でも喜ぶ遊び」をしなくなっていました。周囲の人間も、無邪気な少女なら構わないが、分別のない大人がやれば「何でも喜ぶ遊び」は嫌味になることを知っていました。パレアナは、貧しいながらも両親や教会の婦人会の庇護の下で、愛情に満ちた幼年時代を過ごしていました。10歳のときに叔母に引き取られてからは、裕福な家庭で不自由のない暮らしをしています。一方、パレアナがボストン公園で知り合った少年と少女は、社会の底辺を生きていました。直接的な説明はされませんが、少女は、全てを承知の上で、少女売春市場の商品として、自分を売り飛ばす寸前でした。少年は、貧しさの中で、生まれつきの障害と共生していました。2人は、パレアナとの出会いがきっかけとなり、夫人に助けられます。少女は、(今では立派な家で育てられていますが)、貧困や障害とともに暮らす人間の気持ちがわかります。少女は、会話の中で障害を持つ青年が黙り込んでしまったら、さりげなく話題を別の方向へと持っていくような大人に成長していました。また、前作から登場する孤児の少年は、立派な青年となって本作にも登場します。青年は、たとえ自分の正統な権利だとしても友人の幸福を壊さないためには知らん顔をするような勇気と誇りを身につけていました。パレアナは、そんなサブ・キャラクターたちの気高い心遣いに気が付くことができませんでした。周囲の人間の目をとおしてパレアナを客観的に描写する構造が、パレアナが本能的に「何でも喜ぶ遊び」をしなくなった理由を浮き彫りにしていました。

笑顔の先のある希望

 後半部分で描かれたパレアナには、どこか影がありました。それは、少女が大人になるための試練かもしれません。「パレアナの青春」は、パレアナよりも一足早く大人になっていたサブ・キャラクターたちの思いやりとやさしさに包まれて、パレアナ自身が「喜び」を取り戻す場面で終わりました。現実は過酷です。笑顔だけで人生を変えることはできません。しかし、人間の尊厳を知り、心に気高さと思いやりを持つ人間は、たとえ現実が変わらなくても、笑顔を絶やさずに生きようとするのかもしれません。「パレアナの物語」を通して著者が伝えたかったことは、誠実に生きる人間だけが持つことを許される「希望」ではないかと思いました。


→ 少女パレアナ/エレナ・ポーターのあらすじと読書感想文


→ 赤毛のアン/モンゴメリのあらすじと読書感想文


読書感想文のページ

運営会社

株式会社ミニシアター通信

〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→ about us (問い合わせ) 



読書感想文のページ