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赤毛のアン/モンゴメリのあらすじと読書感想文

2005年7月25日 竹内みちまろ

 「赤毛のアン」(モンゴメリ/村岡花子訳)の舞台はカナダです。孤児のアンの物語です。アンを引き取ったのは、マシュー(男)とマリラ(女)という老兄妹です。どちらも独身です。農業をしながら2人で暮らしていました。兄妹は、農園を手伝わせるために、孤児院から男の子を引き取ることにしました。駅に迎えに行くと、真っ赤な髪の毛をした、そばかすだらけの女の子が待っていました。アンは、手違いから、引き取られることになりました。「赤毛のアン」の魅力は、登場人物たちが生き生きと描かれているところではないかと思います。最初はとまどっていたマシュウとマリラですが、いっしょに過ごすうちに、だんだんと変わっていきます。アンの教育を任されたマリラは、子どもを育てた経験がありません。プロテスタント者としての信仰にのっとり、厳しく躾をします。それでも、アンが可愛くて仕方がないマリラは、泣きながら寝入ってしまったアンのほほに、そっと接吻をしたりします。マシュウは、偏屈で変わり者ですが、こちらも、アンが可愛くて仕方がありません。マリラには内緒で、流行のフリルの付いた洋服を買ってあげるために、こっそりと町に行ったりします。しかし、店に見知らぬ女性店員がいただけで、もじもじしてしまい、挙句のはてに、「熊手をください」などと言って、本当に熊手を買って、服を買わずに帰ってきてしまいます。美しい風景の中に描き出されたエピソードを積み上げることにより、登場人物たちの姿が、手に取るように伝わってきました。

8割を読み終えて

 アンと、アンを取りまく人物たちの魅力に引き込まれて、すぐに8割を読み終えていました。ここで、いったい「赤毛のアン」は、どのような形で終わるのだろうと想像してみました。「孤児モノ」の小説の落としどころは、「身の上の悲惨を心に封じ込めて、けなげに振舞う主人公の成長」と「主人公の影響を受けて、いつのまにか周囲の人間に訪れていた変化」が王道ではないかと思います。しかし、8割を読み終えて、「赤毛のアン」では、アンの身の上は、ほとんど問題にされていないことに気が付きました。アンが孤児院に引き取られるまでの経緯は、アンの口から語られます。しかし、アンの性格には、孤児としての身の上が影響しているようには思えませんでした。アンには、物を欲しがらずに我慢するという傾向があります。しかし、それとて、アンが欲しいと言えば何でも買ってあげちゃうマシュウがいる限りは、落しどころにはなりません。おてんばで、おしゃべりで、元気いっぱいに野山を駆け回るアンを、残り2割で、「実は孤独を心に封じ込めて、けなげに振舞っていたのだ」とすることは、いくらなんでも無理だろうと思いました。あのおてんばぶりは、どう考えても天然です。「赤毛のアン」には、読者を落とすためのどのようなカラクリが隠されているのか想像がつかないまま、残りの2割を読みました。

ラスト2割のカラクリ

 「赤毛のアン」を読み終えたときに、半べそをかいてしまいました。「赤毛のアン」が名作たるゆえんは、しっかりと、ラスト2割に隠されていました。ラスト2割で語られたのは、「アンの成長」でした。アンは、進学をしました。マシュウとマリラの元を離れて寄宿しました。少女としての時間を終えたアンは、おしゃべりをしなくなりました。だれしもに訪れる思春期の変化として描かれていました。アンは、奨学金を獲得して、女学校を終えました。アンには、大学進学の道が開けました。卒業式に出席したマシュウとマリラは、誇らしげに壇上のアンを見つめます。

「あの子を育ててよかったじゃないか? マリラ」

「よかったと思ったのは、これがはじめてではありませんよ」

 家に帰ったアンは、悲しそうに言います。

「もし、わたしが男の子だったら、いま、とても役にたって、いろいろなことでマシュウ小父さんに楽させてあげられたのにね」

 マシュウは、アンの手をさすります。

「エイヴリーの奨学金をとったのは男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな? 女の子じゃないか――わしの娘じゃないか――わしのじまんの娘じゃないか」

 しかし、悲劇が、アンを襲います。モンゴメリは「それがアンに悲しみが訪れる前の最後の夜だった。そして一度その悲しみの冷たい、神聖な手にさわられると人生は二度と、もととおなじにはならないのである」と書いていました。その夜、マシュウは、死んでしまいました。アンに思春期の変化が訪れていたように、マシュウとマリラにも「老い」という変化が訪れていました。マリラは、農園を売ることに決めました。アンは、奨学金をあきらめました。マリラに、2人でマシュウの農園を守ろうと言います。奨学金を獲得したアンには、未来が開けていました。しかし、アンは、マシュウを失って、生まれてはじめて、大切な人を失う悲しみを知りました。アンは、大切な人を失うことにより、生まれてはじめて、「家族」という人生で一番大切なものを手に入れたのではないかと思いました。最初の8割では、モンゴメリは、美しい自然の中で元気いっぱいに育つアンと、アンを取りまく人々のあたたかい視線をたっぷりと描いています。ラスト2割では、人生の悲しさを知るアンの姿を、抑えを効かせた描写で淡々と描きました。そんな文体の違いが、無邪気な少女だったアンが大人の女へと成長していく様子を、読者の心に刻み付けるのかもしれないと思いました。

希望

 「赤毛のアン」は、「希望」で終わっていました。ギルバートという青年が、いい味を出します。ギルバートは、アンと成績を競った青年です。ギルバートは、アンが奨学金を捨てて、大学への進学をあきらめたことを知りました。ギルバートは、何も言わずに、すでに決まっていた村の学校の教員の職を辞して、別の学校へ行く手続きをしました。アンに、村の学校の教員の職を譲るためでした。マリラは、そんなアンに、隠されたロマンスを語ります。マリラは、昔、ギルバートの父親と、つまらないすれ違いから、そのままになってしまったのでした。マシュウの死から家族の大切さを教えられて、マリラからロマンスを受け継いだアンは、もはや、引き取り手のない孤児ではありませんでした。「赤毛のアン」は、アンとギルバートが言葉を交わす場面で終わります。黙って通り過ぎようとするギルバートを、アンが呼び止めたのでした。


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