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ソラリスの陽のもとに/スタニスワフ・レムのあらすじと読書感想文

2006年9月7日 竹内みちまろ

惑星ソラリス

 「ソラリスの陽のもとに」(スタニスワフ・レム/飯田規和訳)という本をご紹介します。「ソラリスの陽のもとに」はSFです。時代設定は、大規模な有人宇宙ステーションが恒常的に活動する未来です。「ばかなことを言うな。いまどき神を信じる人間なんかいるわけがないじゃないか」と主人公がたしなめられる場面がありました。人々が「神」を信じたことは過去の歴史的な現象になっているようです。しかし、惑星ソラリスの扱いをめぐっては「四カ国条約」や「国際連合の条約」でこまかな取り決めがあります。「ソラリスの海を核兵器で爆破すべし」と叫ぶ人々もいるようです。世界は大国間のパワーバランスに依存しており、狂信的とはいえ、核兵器でものごとの解決をつけることが一定の説得力を持っている世界のようです。ソラリスというのは惑星の名前です。「ソラリスの陽のもとに」は、ソラリスの上空に浮いている観測ステーションに1人の学者が到着することによりはじまります。観測ステーションに到着した主人公は、すぐにステーション内で異常な事態が起きていることに気がつきます。3人だけ残っていた学者のうちの1人で主人公の知人であった男が自殺していたことを知ります。主人公はステーションにいる残る2人の学者たちとコンタクトを取ろうとします。学者たちは主人公を避けます。主人公が部屋に戻ると10年前に自殺した妻が安楽椅子に座っていました。

 内容のご紹介の前に物語の背景を。ソラリスという惑星が発見されました。陸地はヨーロッパの面積よりも狭くて、惑星のほとんどは海に覆われているようです。軌道を計算すると、いずれは太陽に接触して消滅してしまう運命にあるようです。生物の存在も確認されずに取りたてて興味を湧かせる惑星ではありませんでした。しかし、観測を続けるうちに、惑星の軌道がなんらかの力によって修正されていることがわかりました。そのときから、ソラリスは最も注目すべき惑星になります。やがて、「ソラリスの海は思考力を持つ怪物である」と言われるようになりました。

語られない物語

 「ソラリスの陽のもとに」を読み終えて、難しい物語だと思いました。主な登場人物は主人公も含めた3人の学者なのですが、主人公以外の2人は部屋に閉じこもっていたり、主人公に隠しごとをしていたりします。物語にはテレビ電話を通して主人公と交わす会話や、主人公が受け取った伝言メモなどをとおして参加します。2人の学者はあまり物語の前面には登場しません。片方の学者の姿と物語は最後まで読者に語られません。片方の学者であるサルトリウスという男の部屋には、麦わら帽子をかぶった白痴の小人がいるようです。サルトリウスはソラリスの海の秘密を解き明かすために小人を使って実験をしているようですがその内容は語られません。

 主人公にしても心理学者ということは語られるのですが、どんなキャリアを持っているのか、どんな人生を歩んできたのか、そして、地球ではどんな生活をしてきたのかなどは、ほとんど何も語られません。ソラリス研究は打ち切り寸前の状態にありました。わずか3人しか残っていないステーションにはるばるやってくるような人物なので、なんとなく、日のあたる場所をまっすぐに歩いているようには思えません。主人公の前に現れた妻は、ソラリスの海が主人公の意識の中に侵入して作り上げた物体です。妻は、なぜ自分がここにいるのかもわかりません。記憶を持っていませんでした。そんな妻と対面した主人公の脳裏に、妻が自殺した当時の出来事がフラッシュバックします。主人公は妻の自殺のあとに友人たちからなぐさめられました。「しかし、友人たちは、その5日前に私がハリーに何と言ったかを知らなかった」と回想します。しかし、妻との間になにがあったのかは語られません。ラスト・シーン近くで、ソラリスの海に主人公の脳波を送り込む場面がありました。主人公は無意識的な不安に包まれます。妻の悲しすぎる顔が消えたあとに、主人公の意識の中に、一瞬、父親の面影が浮かぶ場面があります。父親は地球上に墓地を持っていないことが語られました。しかし、読者には、父親の物語や主人公と父親との関係は語られません。本編で語られるのは、ソラリスにやってきた、どこか影のあるうちぶれた学者が理解を越えた現象に遭遇して苦しむ姿でした。

自分をうつす鏡

 印象に残っている場面があります。ソラリスに残っていた学者が主人公に演説をはじめます。学者は、ソラリスで地球中心主義的な考え方を持ち出すことのおろかさを訴えます。学者は「われわれは謙遜して、声に出して言うようなことは決してないが、しかし、心の中では、自分たちはすばらしい人間だと思っている。ところが、それが嘘なのだ」と言います。自分たちのことを「聖なる接触の騎士」だと思っていますが、そのじつは、未知なるものとの遭遇など求めておらず、地球の領域を宇宙に拡大することしか考えていないと言います。「われわれに必要なのは自分をうつす鏡だけ」であり、「われわれには地球だけで充分だ」と主張します。

 「ソラリスの陽のもとに」はラスト・シーンも印象的でした。ソラリスの海に脳波を送り込んでから主人公たちをノイローゼにしていた現象が終わりを告げました。虚脱感にとらわれた主人公は、ふと、学者に「一体、きみは、その……神を信じているかい?」と聞きます。学者の目に不安の色が浮かびます。主人公は、かつて信じられていた人間の特質が誇張されたような不完全な神への信仰ではないと、必死になって、弁解します。

「人間はみかけに反して自己の目的を創り出すことはしない。生まれた時代が人間に目的を押しつけてくる。しかし、それに奉仕するにしろ、逆らうにしろ、奉仕の対象なりは外から与えられたものだ。目的探求の完全な自由さを味わうためには1人でなければいけないと思うよ。さもないとうまくいかない。なぜかと言えば、人間は人間のなかで育てられるからこそ初めて人間になれるのだからね」

 心のなかで何かが起こった主人公は、ソラリスの海に現れた陸地に下り立ちます。主人公は、ソラリスの海が自分たちの理解を超えていることに気がつきました。主人公の中からいかなる希望も消えました。しかし、絶望したわけではないようです。ソラリスを去ってしまうことは、たとえ自分たちが勝手に想像した産物だったとしても、未来に隠されているかもしれないチャンスを永遠に捨てることになると思います。主人公の心の中には、消えてしまった妻が残していった期待がありました。主人公は、何を期待しているのか――事件か、嘲笑か、苦悩かがわかりませんでした。「ソラリスの陽のもとに」は「しかし、私は、驚くべき奇蹟の時代はまだ永遠に過去のものとなってしまったわけではない、ということを固く信じていた」という文で終わります。「ソラリスの陽のもとに」はそんな場面で終わる物語でした。

 前述したように「ソラリスの陽のもとに」は、難しい物語だと思いました。書かれていた内容は、未知なるものと遭遇した人間の行動と思念です。主人公たちは、ソラリスの海が自分たちの記憶に侵入する目的や、ソラリスの海が作りだした物体(=主人公の妻など)の本質はニュートリノであるとか、いろいろな仮説を立てて、それを立証しようと努めます。しかし、結果として、ソラリスの海は、人間中心的な考え方では理解することが出来ない対象であることを思い知ります。そんな主人公が、ふと、「神を信じているかい?」と口にしました。その場面を読んで、うまく言えませんが、「理解する」とは科学的な作業の結果としておとずれる活動であり、「信じる」とは精神的な現象の結果として発生する状態なのかもしれないと思いました。うまくイメージを伝えられませんが「ソラリスの陽のもとに」を読み終えてそんなことを思いました。「ソラリスの陽のもとに」は、だからどうなのかや、けっきょくなんなのかは、なにも書かれていない物語です。読み終えた人の数だけ感想や解釈が存在する本だと思いました。


→ 映画「惑星ソラリス」と原作「ソラリスの陽のもとに」について


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