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ひとりでも生きられる/瀬戸内寂聴のあらすじと読書感想文

2013年8月2日 竹内みちまろ

 1973年(昭和48年)に刊行された瀬戸内寂聴さんのエッセイ集『ひとりでも生きられる』を読みました。あらすじと感想をメモしておきたいと思います。

 まず、あらすじなのですが、「前章」「終章」を含めて18章からなるエッセイ集で、エッセイ集という形態もあり、あらすじというほどのストーリーはありません。「前章」では、8年間続いた妻のある男性との関係を清算したいと考え始めた寂静さんが、それをテーマに取り上げて密かに小説を書き続けていたことが紹介されます。寂静さんは親の進めのままにお見合い結婚をして、夫の勤務地である北京へ行き、子どもを生み、1945年(昭和20年)6月に夫が現地召集で徴兵され、1歳前の子どもと取り残されました。そこで、嫁入りの時に母親が7つの行李に入れて持たせてくれた着物をすべて中国人に売り払い、職探しを始めるなど、初めて活動的になったそうです。突然の終戦を迎え、また、妻と成ってから初めて男性を好きになり、夫以外のその男性を好きになることで初めて、恋心というものを知ったことも書かれていました。寂聴さんの25歳の恋は周りの人間たちを傷だらけにして終わり、「こんな生活とはちがう、こんなはずじゃない」「成長したいのに!」と慟哭する様子は、小説『夏の終り』(1963年に女流文学賞受賞)にも記されています。

 『ひとりでも生きられる』には、寂静さんが感じた「愛」や「恋」や「自立した女性」や「性」へ対する考え方などが記されています。トピックとしては、1972年に未婚のまま女児を出産しシングルマザーとして育てることを発表した女優の加賀まりこさんの生き様や、1972年になくなった小説家・平林たい子さんの葬儀で夫の丹羽文雄さんが読んだ懇切の弔辞などを取り上げていました。

 『ひとりでも生きられる』には、はっとさせられる言葉や文章がいくつもありました。とりわけ心に残ったのは、「重要なのはこの日常茶飯の出逢いをどのように自分の実人生に繰り込み、深い有縁(うえん)のものと消火し、血と肉にして、自分と同時に他者の人生を肥えふとらせていくかという心構えと、生活技術ではないだろうか」との文章でした。寂聴さんは男から別れ話を切り出された時に狂乱したものの、別れた後、男にみれんが残っていないことに気がついたことがあるそうです。「結局、私は男を一時にせよ愛したと思っていたのは錯覚で、男をかばう自分を愛していたのにすぎないのだとわかってきた」と記していました。「人間は究極は自分が可愛いのである」とも。様々な恋をして、たくさんの人を愛し、女性の自立や「自立した女」にも深い考えを持つ寂聴さんが、気持ちよりも、「心構え」と「生活技術」が大切と記していたことが印象深いです。「本当に恋をし、恋を輝きのまままっとうさせようとしたら、心中しかないと私は思う」とまで書いている寂聴さんの言葉であるゆえにいっそう、心に残りました。また、「妻も、もっと、大胆に、恋愛をしてはどうだろうか」「世間の貞淑な妻たちが、さりげなく、夫の目を盗んで姦通にのぞみ、その新しい経験を通して、まったく知らなかった自分を発見する時、世の中は、もっとすっきりと明るくなると思うのは、あまりにとっぴな夢物語だろうか」と記しています。現代は、離婚率が上昇し、シングルマザーを選ぶ女性も少なくはなく、「自由恋愛」というものに対する考えも昔と比べて変わってきていますが、発表当時の時代背景と、その後の社会の潮流を照らし合わせると、寂聴さんがみていたものは、「夢物語」ではなく、世の中に本質的にくすぶっている問題だったのだなと改めて感じました。

 あと、『ひとりでも生きられる』は、「終章」がよかったです。自らの恋を精算するため血反吐を吐きながら書き綴った『夏の終り』の主人公・知子を、長い年月が過ぎてからの視線で振り返っていました。文章は客観的に書かれているのですが、行間から、どこか知子をいとおしく思うような寂聴さんの温かい“まなざし”が感じられ、最後にまた、はっとさせられました。読み終わったあとに考えさせられる作品です。


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