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クロイツェル・ソナタ/トルストイあらすじと読書感想文

2007年8月19日 竹内みちまろ

 「クロイツェル・ソナタ」(トルストイ/望月哲男訳)という小説をご紹介します。「クロイツェル・ソナタ」はシンプルな形式の作品でした。取り上げていた内容は、社会生活を営むことにどんな意義があるのかと苦悩する人間の心でした。芥川龍之介が「芸術その他」という評論の中で、単純さは尊い、芸術における単純さは複雑さの極まった単純さであると書いていました。「クロイツェル・ソナタ」の単純さは、複雑さの極まった単純さだと思いました。

 「クロイツェル・ソナタ」のストーリーを簡単にご紹介します。「クロイツェル・ソナタ」は、会話文を主体とする作品でした。舞台は、長距離列車の中です。語り手である私を交えて、車両に居合わせた商人や老紳士や貴婦人や弁護士たちが世間話をしています。話題は、このところ増えつつある離婚についてでした。老紳士が「なにせ教育のある人間が増えましたからな」と侮べつのまなざしで貴婦人を見つめます。貴婦人は「あら、ご老人、もうそういう時代は過ぎましたわ」とむっとした様子で返します。車両の中に、一人だけ離れた場所に座っていた紳士がいました。紳士は、話しかけられても会話に加わろうとしません。しぐさがぎこちなくて、ぎらぎらとした目を一つのものから別のものへと絶えず動かしていました。

 加速した列車がレールの継ぎ目の上を通るたびに車両が揺れます。列車は次の駅に止まり、車両に一駅だけの乗客が乗ってきます。車掌が一駅だけの乗客の切符をきりに来ます。老紳士は「まったく、女のしつけは早いうちにやっておくに限ります。さもないとすっかり台無しになりますからな」と言い捨てて去って行きました。老紳士が姿を消すと、「まったく旧約聖書の時代の旦那ですな」とみながいっせいにしゃべりはじめます。貴婦人が「ああいう人たちには本当に大事なことが分かっていないのよ」と愛によってきよめられた神聖な結婚の大切さをうったえます。すると、目をぎらぎらさせた紳士が笑い声をあげました。紳士は、一同の会話に興味をおぼえたのか、いつのまにか、席を移動していました。紳士は、ほほの筋肉をけいれんさせながら、いったいどんな愛が結婚をきよめてくれるんですと、貴婦人にからみます。相手が興奮していることを見てとった貴婦人は、なるべくおだやかで丁重な返事を返そうとします。貴婦人が「真実の愛ですわ」と答えると、紳士は「その真実の愛とは何を意味するのですか?」とさらにからみます。紳士は、どんどん興奮して持論を展開していきます。紳士は「あたなが今おっしゃった危険なエピソードというやつの関係者ですよ。私の場合は妻を殺したんですがね」と言いました。一同は、黙ってしまいました。

 列車が次の駅に停車します。貴婦人と弁護士は、別の車両に移ってしまいました。商人は、座席に寝床をこしらえて眠り込んでしまいました。例の紳士は、ひっきりなしにたばこを吸って、濃いお茶を飲んでいます。ふと、語り手である私と、目があいました。紳士は「私と同席しているのがいやじゃありませんか?」と声をかけます。私が「いや、とんでもない」と返すと、「それでしたら、召し上がりませんか?」とお茶を勧めてきました。紳士は、「連中がしゃべっていたのは……あれは全部でたらめですよ……」と言います。紳士を語り手、私を聴き手とする長い会話形式の独白がはじまりました。

 紳士が語ったのは、妻を殺すまでに至った自分の半生でした。語られた内容は、ロシアの青年貴族の生産性のない退廃した生活でした。紳士は、ほかの仲間たちと同じように、燕尾服や軍服に身を包んで舞踏会で若い貴婦人たちを物色することが正しくて立派なことだと思っていました。紳士は、それでも、自分はなにをやっているのだろうという疑問を持ちます。売春宿の女も、特権階級の女も、けっきょくは同じことをしているのではないかと思いはじめます。売春宿の女も、特権階級の女も、どちらも、同じドレスを着て、肩を出して、腰をひもで縛って、下あてで肉をかきあげた尻を男の目にさらしています。紳士は「上流階級の令嬢が、大はしゃぎする両親の手で梅毒男と結婚させられたケースをいくつも知っていますよ」と告げます。放蕩が人生の目的とは思えなくなった紳士は、自分は、他の連中と同じにはならないぞと心に決めます。自分にふさわしい純潔な娘を見つけて結婚します。結婚後は、愛人を作らずに、ひたすら妻との愛を育てようとしました。

 「クロイツェル・ソナタ」の魅力は、併走する物語ではないかと思います。列車が滑走と停車を繰り返すたびに、紳士の口からは核心に迫る物語が語られていきます。規則的に挿入される私の質問や紳士が光を嫌がってブラインドを下げたというような描写が、作品をテンポよく進めます。紳士は、妻を殺してすべてを失ってしまった現在の心と、真実の愛を求めて苦悩した妻を殺すに至るまでの心という、2つの心を持っていました。紳士は、一般論を語るときは、妻を殺したあとに悟りの境地に至った心でいます。「連中がしゃべっていたのは……あれは全部でたらめですよ……」というせりふの延長で、紳士は「女性の権利が不在だというのは、なにも選挙権がないとか裁判官になれないとかいう意味ではありません。そういうことにかかわるのは別に何の権利でもないからです。そうではなくて、女性が性的な交渉において男性と平等でないこと、つまり自分の欲望に従って男性と交わったり交わらなかったりする権利、男性から選ばれるのではなく、自分の欲望に従って男性を選ぶ権利を持っていないことが問題なのです」と私に語りました。しかし、妻の浮気に苦悩していたころを回想する段階では、心と頭が別のことを感じていたことを告げています。紳士は「そもそもおそろしいのは、この私が妻の体をまるで自分の体のようにみなして、自分にはそれを支配するだけの、疑問の余地のない十全な権利があると自認しながら、同時に自分にその体を支配する力がないこと、つまり、妻の体は私の所有物ではないのだから、彼女こそそれを自由に扱う権利があり、しかも彼女はそれを私の望むのとは違った風に扱いたいと思っているということを、感じていたことなのです」と語っていました。そして、紳士が真夜中に家に帰って来て妻が愛人と会っていることを知ったときには、頭でも心でも理解のできない感情がわきあがったことが語られます。紳士は「するとわが身に対する感傷はたちまち消え去り、かわりに奇妙な感情がわいてきました。しかもそれが、まさかとお思いでしょうが、喜びの感情なのです。いまこそ自分の苦しみは終わる、いまこそ妻に罰を下し、妻から自由になれる、いまこそ自分の憎しみを思う存分解き放つことができるという、喜びの感情だったのですよ」と語ります。

 「クロイツェル・ソナタ」のクライマックスは、紳士の口から、妻を殺したときの様子が語られる場面でした。紳士は、「よく怒りの発作に駆られて自分がなにをしたのか覚えていないと言う人がありますが、あれはでまかせの嘘ですよ。私は何もかも覚えていましたし、一瞬たりとも記憶が途絶えることはありませんでした」と冷静に語ります。紳士は、喜びの感情がわいてしまったことを知って恐ろしくなります。このまま引き返すべきかと悩みます。しかし、悪魔にささやかれて部屋に乗り込みました。妻と愛人が振り向きます。紳士は、妻のとっさの表情に、恋人と二人でいる幸せを邪魔された腹立ちが浮んだのを見てしまいました。すぐに、この場をどうやって騙しとおそうという疑問の表情に変わりました。紳士は、もう感情を抑えられませんでした。短剣を妻のわき腹に突き刺します。そのままの格好で紳士が愛人をにらみつけます。愛人はピアノの下をくぐって出口に向かって一目散に逃げていきました。紳士があとを追おうとしたときに、妻が腕をつかんで離さないことに気が付きます。紳士は「俺は今完全に怒り狂っており、きっと恐ろしい形相をしているだろう」と感じてうれしさがこみ上げてきます。左腕を思い切り振り上げてひじで妻の顔面を殴打します。妻は叫び声をあげて紳士の腕を放します。愛人を追いかけようと思った紳士は、ふと、妻の情夫を靴下一枚で追いかけるなんてこっけいだろうと思います。紳士は、「恐ろしいほどの怒りに燃えていながら、私は終始自分が他人にどういう印象を与えるかを意識していましたし、ある意味ではそうした印象が私の行動を支配していたのです」と語っていました。

 「クロイツェル・ソナタ」の味わいは併走する物語にあるのではないかと書きました。「クロイツェル・ソナタ」の併走する物語のなかで、一番に心を奪われたのは、怒りに狂って感情にまかせた行動をとりながらも、常にそんな自分をもう一人の自分がさめた目で見下ろしていて、現実世界の自分の行動をコントロールしている精神の構造でした。本人は怒りに狂っているつもりですが、もしかしたら、紳士の中にいるもう一人の自分が、ここは怒り狂わねばならない場面なので感情にまかせたと思われる行動をとることにしよう、と現実世界にある生身の自分に「怒り狂った自分」を演じさせていたようにも感じました。紳士は人からどう見られているのかを意識するうちに、いつのまにか、感情のままに行動することができなくなってしまったのかもしれないと思いました。人から侮べつを受けても、怒りが沸くようなことはなくて、「ああ、今、俺はこいつに侮べつされたな」と他人ごとのように捉えてしまうのではないかと思いました。同時に、相手の心の中や何もかもが一瞬にして見えてしまい、「ああ、こいつは何もわかっていない可愛そうなやつなんだ」と哀れみすらを覚えてしまう反面、侮べつされておきながらそのままでは体裁が悪いので、とりあえずは、怒りをあらわにして言い返しておく必要がある、からまれてしまった以上は仕方がないし場合によっては決闘も止むを得ないと、現実世界にある生身の自分に「侮べつされて怒りを表した自分」を演じさせるような気がしました。さらに、侮べつされて怒りを表明した姿を演じている自分が相手からどう見られているのかをさめた目で見極めて、”凄い形相をして無鉄砲な行動をとったので俺は今完全に怒り狂っていると思われているだろう”と感じることに至福の喜びを見出しているように思えました。感情のままに行動できなくなってしまった人間が感情のままに行動していると思われることに喜びを見出す様子は、不気味でもあり、哀れでもあると思いました。


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