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2005年7月28日 竹内みちまろ
「アンナ・カレーニナ」(トルストイ/木村浩訳)のあらすじと読書感想文です。アンナ・カレーニナは、作品に登場する女性の名前です。解説を読むと、「最も大きな魅力は女主人公アンナの不滅の形象にある」と書いてありました。また、「アンナは女らしい優しい魅力と豊かな精神力にみちあふれている」とあります。人類史における普遍的な女性像、理想の女性のトップバッターとして、「アンナ・カレーニナ」の名前があげられる場合も多いのではないかと思います。一言で言うと、アンナ・カレーニナは「究極の女」だと思います。今回は、「究極の女の謎」に迫ってみたいと思います。
小説を読むまでは、「アンナ・カレーニナ」のストーリーを詳しく知りませんでした。既婚女性が道ならぬ恋をする悲劇という印象がありました。「アンナ・カレーニナ」の世界は、もっと広かったです。一番印象に残った点は、アンナはサブキャラクターであり、アンナの物語はサブ・ストーリーだったことでした。じゃあ、「なんで題名がアンナ・カレーニナなんだよ」と突っ込まれそうですが、残念ながら、理由はわかりません。解説には、いろいろ考えた後に最終的に「アンナ・カレーニナ」になったとありました。それだけ、トルストイの思い入れが深かったのかもしれません。「アンナ・カレーニナ」の主人公は、一人の理想主義的な青年貴族です。青年の物語が、メイン・ストーリーになります。サブ・ストーリーのアンナの物語と併走する形で、作品世界は構築されています。しかし、青年とアンナは、直接的な関わりを持っていません。作品の中でも、1回しか顔を合わせませんでした。
「アンナ・カレーニナ」の魅力は、登場人物たちが成長していく姿ではないかと思います。主人公である青年には、家を離れていた兄がいました。青年は、身を崩している兄と会うようになります。兄は、青年に「変化」が訪れるきっかけを与える役割を持っています。青年は、兄との議論を通して、「共産主義」にふれるようになります。また、無神論者だった青年は、兄の病気を通して、「死」や「信仰」を考えるようになります。青年が兄に会う場面は、長い物語の中に、何回も訪れます。そのたびに、余剰賃金の分配について議論したり、献身的な看病をする青年の妻がベッドをはなれた瞬間に気分がよくなったふりをやめて弟に本音を漏らす兄の姿などが、何ページもかけて描写されます。そんな場面の後には、青年に訪れた「変化」が、わずか数行で添えられていました。それは、兄が言っていた「共産主義」とか言うものが頭から離れなくなった青年の姿であり、人が死にかかっているときに何をすればいいのかを全く知らない自分に気が付いた青年の姿だったりします。「共産主義に興味を持つようになった」、「信仰を考えるようになった」と書けば一行で済むのですが、そうはせずに、それこそ、警察から追われている兄の友人の身の上話から、「兄が死にかけているという手紙」が原因で起こったささいな青年夫婦の喧嘩のてん末までを引っ張り出してきて、余すところなく書き込んでいます。ぜいたくな描写だと思いました。
作品世界の中で成長するのは、メインのキャラクターたちだけではありません。サブ・キャラクターたちにも、さまざまな変化が訪れます。アンナの9歳になる息子は、家を出て恋人のもとへ走った母親には会えずに、父親と一緒に暮らしています。そんな少年は、彼なりに、家庭を取り巻く環境を理解しています。たえず椅子を揺すったり、机にナイフを突き立てたりと落ち着きがないのですが、それでも父親を悲しませないために、父親が頭の中に描いているよく本に出てくるような空想上の子どもと同じ態度をとろうと努めます。少年の父親であり、アンナの夫でもある男は、アンナのスキャンダルのために役所での昇進も止められて、世間の嘲笑を一身に浴びます。アンナから「長官の仕事をする機械」とまで言われた夫は、それでも、一連の不幸を経験する中で、生まれてはじめて、相手の立場でものごとを考えるということをはじめました。アンナの夫は、正式に離婚して、すでに情夫といっしょに暮らしているアンナのもとに息子を送り出しても、結局は、ろくな教育を与えられずに、また、アンナも、1、2年もすれば捨てられるだろうし、もしくは、別の男を作るだろうと判断します。侮蔑には耐えることを覚悟しました。アンナと息子を最悪の事態から守るために、男は、改めて、離婚はしないことに決めました。それが、いいのか悪いのかは、誰にも決められません。一つだけ言えることは、男なりに犠牲を払った上でのスジを通した決断でした。
「アンナ・カレーニナ」の冒頭の一文を引用します。
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
「アンナ・カレーニナ」のテーマは、「変化」だと思いました。「変化」というのは、「成長」と置き換えても同じ意味です。「アンナ・カレーニナ」には、「不幸」という言葉が何回も出てきます。なかでも、一番連発するのは、アンナ自身でした。
「ねえ、あたしの神さま! あたしのように不幸な女が、この世にいたことがございましょうか?」
アンナがまだ恋人のもとに走る前のことです。夫から今ならまだ許してやるからひとまず帰って来いと言われたときに、アンナは、「神さまがあたしをこんな女につくってくださったからといって、あたしが悪いわけじゃないし」と思ううちに、一人で盛り上がってしまいました。「あたしがなにをしなければいけないか、それがいえるのはあの人だけですもの」と、恋人に会いに行ってしまいます。その状況では、考えうる限りの中で、最悪の選択肢だろうと思われます。
「でも、あたしの中には、もうひとりの女がいるんですの。あたしにはその女が怖ろしいんですの。その女があの人を好きになったんですの」
「あたしがなにをしたというの」
「あたしだって苦しんでいるのだし」
「あなたが、あなたがみんな悪いのよ!」
アンナは、何かあるとすぐに逆上します。周囲の人間の言うことには一切耳を貸しません。感情に身をまかせます。そうやって、アンナは、考えうる限りの中で最悪だろうと思われる選択肢だけを取り続けます。迷宮に迷い込みながらも、上から見下ろせば、「不幸」という札が貼られた行きどまりに向けて最短距離をたどって走っていく子どもみたいでした。アンナは「不幸だ、不幸だ」と言いながらも、いまだ手に入れていない「本当の不幸」を手にするために、確実に「不幸」になる選択肢だけを本能的に積み重ねます。結果として、アンナの息子の9歳の少年が、誕生日にお忍びで会いに来てくれたアンナの顔を見て、ああ、ママは不幸なんだと瞬時に悟ってしまうくらいに、不幸でした。しかし、そんなアンナにも、「変化」が訪れます。作品において他の登場人物たちに訪れる「変化」は「成長」でした。しかし、アンナに訪れる「変化」は、ある種の異常な「変化」でした。アンナは、作品においては、唯一の「成長しない人物」かもしれません。アンナ・カレーニナが「究極の女」と言われる所以は、まさにその「変化」にあるのかもしれないと思いました。
「アンナ・カレーニナ」の中では、アンナの美しさが、ことあるごとに強調されます。その美しさはアンナを憎む者さえも、いつのまにか虜にしてしまいます。アンナは、「不幸」を重ねるごとに、美しさを増します。夫と息子を捨てて、アンナが恋人のもとへ走ったあとでした。アンナは、恋人が自分に苛立ちを覚えているのを感じました。
「あの人があたしのことをきらいになったらどうしよう?」
アンナは、捨てられるんじゃないかという恐怖を本能的に抱きます。恋人は、「アンナの内部でなにか変わったことが起きつつあるのを見て取」りました。ここからの描写は、背筋がゾクゾクしました。トルストイは、それまではしていたアンナの心理描写をしなくなりました。醒めた目で、何か厳粛な魔性のオーラのようなものをまとったアンナの姿を、客観的に淡々と描いていきます。アンナな「きらきら輝くひとみ」で、恋人を「おびやかす」ようになりました。アンナは、ドレスを着ました。「そのきわだった美貌を、さらに効果的にし」ます。アンナは、劇場に行くと言いだしました。恋人は驚愕します。
(それは自分が身を滅ぼした女であることを自分から認めることになるばかりでなく、社交界に挑戦することに、つまり永久に社交界と断絶することになるんだよ)
同時に、恋人は、不思議と、そんな「アンナを美しいと思う気持ちがますます強くなってくるのを感じ」ました。恋人は、劇場にいくアンナに同行しました。アンナに同行することにより、前途悠々たる青年は、その一生を棒に振りました。不幸を積み重ねた女がその美しさに最後の磨きをかけるのは、瞳の奥に宿した「炎」だと思いました。
最初にも書きましたが、アンナはサブ・ストーリーのヒロインです。メイン・ストーリーには、主人公の青年のほかに、アンナとは別のヒロインがちゃんと登場します。アンナの物語が終わったあとに、メインの物語が終結を迎えて、「アンナ・カレーニナ」は終わります。アンナの物語とは別に、メインの物語も、そして2つの物語が併走して完結する「アンナ・カレーニナ」という物語も、読み応えのある、すばらしい作品でした。
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