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戦争と平和/トルストイあらすじと読書感想文

2005年9月1日 竹内みちまろ

戦争と平和

 「戦争と平和」(トルストイ/工藤精一郎訳)の概要を簡単にご紹介します。時代設定は、19世紀のはじめです。1805年、オーストリアに遠征したロシア軍が、ナポレオンにこてんぱんにやられて逃げ帰ってきます。オーストリアでの戦争が終り、ロシアに束の間の平和が訪れた場面から、「戦争と平和」は、はじまります。ナポレオンは、プロイセン、オーストリアを個別に撃破しました。ポーランドを占領します。スウェーデンやトルコなどの弱国を除くと、ナポレオンに対抗できる勢力は、イギリスとロシアだけになりました。1812年に、ナポレオンがモスクワに入城する場面が「戦争と平和」のクライマックスです。トルストイは、フランスは自分が偉業を成し遂げるための道具でしかないと考えるナポレオンと、自分はロシアの歴史が流れていくための道具でしかないと考えるロシア軍の最高司令官の2人を対比させることにより、「歴史」を描きます。特定の人物の行動を軸にストーリーを作り上げる小説(主人公が登場して、行く手をはばむ敵が現れて、恋をして、というような)というよりは、歴史的な事件が起きて、その事件に飲み込まれていく人びとが、何を感じて、どう生きたのかを浮き彫りにしていく構造の小説でした。

思考回路

 トルストイの小説を読むと、ストーリーが持つ説得力に圧倒されます。なんで、トルストイの小説が心に響くのだろうと思います。その1つの鍵は、登場人物の描き方にあるのではないかと思っています。トルストイの小説にはたくさんの人間が登場します。それでいて、いかにも作者の都合だけで作り上げられたようなうそ臭い人間が1人もいません。トルストイは、「戦争と平和」の中で、人間の多様性に何回も言及していました。

「人生の現象には無数の分類が可能であるが、その中には、すべてを内容に重点に分ける方法もあるし、形に重点をおいて分ける方法もある」

 トルストイの小説が持つ説得力は、さまざまな思考回路を持つ人間の行動が積み重なって歴史ができあがるという視点からくるのかもしれないと思いました。世の中には、いろいろな人がいます。内容に重点をおくのか、形に重点をおくのかも、1つの多様性です。全体を見渡してから全体との関連の中で個別の判断をする人もいるだろうし、個別を分析してからそれとの関連を通して全体の判断をする人もいるのだろうと思います。

どうすれば?

 トルストイは、登場人物を描くときに、その人物の頭の中にある思考回路を浮き彫りにします。人間が行動を起こす背景には動機があると思います。トスルトイの小説を読むと、その動機は、その人が持つ思考回路と直結していると思えてきます。例えば、人間には衣食住を満たしたいという欲求があります。動物としての本能かもしれません。「戦争と平和」では、ロシアの社交界が描かれています。負債を抱えてどうにもならない青年貴族は、主人が明日に死んでもおかしくない老人で、その老人が死んだ後はその莫大な財産の全てを相続することになっている一人娘と、どうすれば、結婚することができるのかを考えます。

 また、戦争の場面もたくさん描かれていました。ある将軍は、まわりから自分が偉いと思われるためにはどうすればよいのかという思考回路で生きていました。将軍は、決戦の前夜に、金魚の糞みたいな取り巻きを何人も引き連れて、陣地を視察しました。ある部隊を見つけた将軍は、部隊をこんなことろに配置しても意味がないと言って、司令官に報告せずに、部隊を前進させてしまいました。取り巻きたちも声をあげて同意します。その部隊は、伏兵としての役割を果たすためにわざと敵からは見えない場所に配置されていたのですが、将軍は、「”なぜ”こんなことろに部隊を配置しているのか」と考えてみるという思考回路を持っていませんでした。

 軍人には、いろいろなタイプがあるようです。前線で指揮を取った経験がないある理論家は、どうすれば、自分が作り上げた右回戦術理論の正しさを証明する機会を作ることができるのかを考えていました。総司令部に通って、勝負は、火ぶたが切られる前の布陣と、戦いがはじまってからの部隊の移動で決まると、総司令官に自分の理論を採用するように詰め寄ります。理論家は、いったん戦闘がはじまってしまえば、総司令部からの移動命令など1つも前線には届かないことも、どんなに有利な陣地にいても、祖国を焼かれた恨みに心を燃やして「皇帝バンザイ」と叫びながら命を捨てた300人の歩兵部隊が突撃してくれば、飢えと寒さに苦しめられて、なんで自分が祖国を離れてこんなに遠くにまでこなければならないのかが全くわからない1000人の竜騎兵部隊は、「退路を絶たれた」と叫んで、一瞬にして壊滅するという現象を知りませんでした。

 「戦争と平和」に登場する人物たちは、素朴に生きている人たちを除くと、ほとんどが、「どうすれば」という思考回路で生きていました。「どうすれば」という思考回路で生きている人間たちは、共通して、「なぜ」と考えることをしないように見えました。

なぜ?

 ナポレオンとロシア軍最高司令官の2人が物語の縦糸とすると、「戦争と平和」には、横糸の役割を果たす2人の人物も登場します。ピエールとアンドレイという2人の青年貴族でした。ピエールは、戦争嫌いの空想家です。アンドレイは軍人です。ピエールは、根気がありません。領地改革に着手してもすぐに結果がでなくて嫌になったり、管理人や地主たちからいいようにだまされたりします。一方、アンドレイは、持ち前の粘りと厳格な実務能力を生かして、ピエールが着手した領地改革などは、数年前に、全てやり遂げていたという感じです。それでいて、2人は、親友です。物語では、2人の人格が正反対であることが、(主にセリフを利用して)強調されます。ピエールは、いつもにこにこしているおデブちゃんです。アンドレイは、いつも陰気な顔をしている痩せのっぽというおまけまでついています。しかし、2人とも、軍や社交界では、嫌な奴と距離を置かれたり、ある種の「変人」と見なされたりしていました。トルストイが2人の人格が正反対であることを強調するのは、一種の「だまし絵」ではないかと思います。2人は、「どうすれば」という思考回路で生きている大多数の人たちからは浮いていました。また、2人も、「どうすれば」という思考回路で生きている人たちを相手にしないところがありました。「戦争と平和」を読み終えて、ピエールとアンドレイは、1人の人間を無理に2人に切り離して作られたキャラクターのように思えました。外見や性格は正反対なのですが、2人の頭の中にある思考回路は、まったく同じでした。言葉を替えると、2人は、まったく同じ思想で生きていました。それは、常に、「どうすれば」ではなくて、「なぜ」と問いかける姿でした。

アンドレイの旅

 アンドレイは、行動力がある人物として描かれていました。オーストリア遠征から戻ったあとに田舎に引きこもったりしますが、心の中で変化が起これば、再び、軍に戻ります。なんとなく、「アンナ・カレーニナ」の主人公の青年に似ていると思いました。アンドレイは、戦争を通して心の中に変化が起きていく姿が印象に残りました。オーストリア遠征に参加する場面では、アンドレイは、自分が作り上げた作戦計画を司令官に上奏します。しかし、アンドレイは、戦争を見たあとに、司令部が採用する作戦計画にはなんの意味もないことを悟りました。アンドレイは、オーストリア遠征と、モスクワを背にした最終決戦という2つの戦争に参加します。ともに、砲撃を浴びて意識を失います。消えゆく意識の中で、空を見上げます。しかし、オーストリア遠征から、最終決戦にいたるまでの、「なぜ」という真理を追求するアンドレイの旅を読んできた読者は、同じ場面の繰り返しの中で、アンドレイの中に変化が起きていることを感じます。決戦の前夜、自分を訪ねてきたピエールに、アンドレイは言います。

「要はここにあるのだ、つまり嘘を退けて、戦争を戦争として受け入れる。おもちゃではないのだ」

 アンドレイは、作戦が成功すれば「どうすれば」それを自分の手柄にすることができて、作戦が失敗すれば「どうすれば」その責任を自分以外の人間に押し付けることができるのかしか考えない人たちが、戦争をゲームにしていると言います。

(なぜ、人は、殺しあうのか?)

 アンドレイは、真理に迫ります。真理がわかってしまうことを予感したアンドレイの心は、張り裂けそうになります。

「ああ、きみ、このごろぼくは生きているのが辛くなった。あまりに多くのことがわかりかけてきたのだよ」

 アンドレイの真理を探求する旅は、明日の決戦で答えにたどり着くことを予感させます。ピエールは、アンドレイに会うのはこれが最後だろうと思います。

ピエールの旅

 ピエールは、内向的な人物として描かれていました。なんにでもすぐに心を動かされるのですが、一晩寝れば、昨日の決心はどこかに行ってしまうような性格でした。なんとなく、「復活」の主人公の青年に似ていると思いました。ナポレオンは、モスクワに迫ります。「どうすれば」命の安全が保障される後方任務に就くことができるのか、「どうすれば」モスクワが占領されても財産を守れるのか、(いい悪いは別にして)、そういった思考回路で生きている人たちは、みんな、ペテルブルグに避難していました。「なぜ」という真理を探求するピエールは、戦場に向かいました。アンドレイと同じように、真理にたどり着くには、戦争を見る必要があると(本能的に)感じていました。「戦争と平和」は、ナポレオンのモスクワ占領と、モスクワからの敗走でクライマックスを迎えます。負傷したアンドレイに代って、戦争の後半はピエールの視点を利用して、トルストイは、「歴史」を描きます。「戦争と平和」は、アンドレイが心の旅を終えた後に、ピエールが心の旅を終えることにより完結します。

(なぜ、人は、愛しあうのか?)

 ピエールは、真理にたどり着きました。ピエールの心の中から、「なぜ」という疑問が消えました。

「何故? という恐ろしい問題が、いまは彼には存在しなかった。いまは、何故? という問題に対して、彼の心の中には常に簡単な答えが用意されていた。それは、…」

 「それは、」に続く文章は、アンドレイとピエールという2人の青年に託された、トスルトイからの読者へのメッセージではないかと思いました。

「戦争と平和」のヒロインたち

 「戦争と平和」にも、「アンナ・カレーニナ」や「復活」に負けず劣らずの魅力的なヒロインたちが登場します。「見た目で選んでよかったね」というのはなんのテレビ・コマーシャルだかは忘れましたが、「戦争と平和」には、見た目はいいが心が卑しい女性たちが登場します。一方で、見栄えはしないが、心が清らかな女性たちも登場します。トルストイは、「きらきら輝く目」に託して、女性の美しさを描きます。「戦争と平和」には、エピローグがついていました。ナポレオンのモスクワ侵攻から7年が過ぎていました。エピローグには、本編に登場した人物たちのその後が書かれていました。マリアという女性がいます。外見は見劣りするのですが、物語が進むにつれて、瞳が輝きを増します。神々しいほどの、精神的な美しさをまとっていきます。エピローグには、幸せな結婚をしたマリアの姿も描かれていました。お腹には、赤ちゃんがいました。

「わたし、あなたに愛してもらえないような気がして、こんなにみにくいものだから……いつも……いまは……こんな身体……」

「おやおや、おかしなことを言う女だね、きみも! 美しいから愛しいんじゃない、愛しいから美しいんだよ」

 「戦争と平和」は、人間の美しさ、女性の美しさというものを考えさせる作品でもありました。


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