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2015年11月10日 竹内みちまろ
黒柳徹子さんの『小さいときから考えてきたこと』を読みました。『窓ぎわのトットちゃん』以来20年ぶりに出版されたエッセイ集のようです。2005年に文庫版が発行されています。あらすじと感想をメモしておきたいと思います。
『小さいときから考えてきたこと』は、「この頃、小学校1年に入った子が、授業中、ウロウロ歩きまわっていて、ちゃんと机の所に座らない」と、新聞で、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥・多動性障害)について書かれたと思われる記事を読んだことが紹介されて始まります。
『窓ぎわのトットちゃん』で詳しく紹介されていますが、黒柳さんも、教室の机にじっと座っていることができず、小学1年生で入学した学校を3カ月で退学になっていました。「いまの子どもが、どんな理由があってウロウロしているのかは、分からないけど、私には、理由があった。六歳の子どもでも、それなりの理由があった」と記されています。6歳だったころを思い起こすと、「自分なりの、感受性とか判断力とかが、あったように思える」とも。
「だから、自分が小さなときに考えていたこと、それを書くことは、いま、ウロウロしている子どもと、同じくらいの子どもって、どんな程度のものかが分かると思うので、書いてみることにした。つまり、優秀な子どもではなく、小学校一年生で退学になった子の、考えていたことが、こういうことだった、って」
「私はLDだったの?」というエッセイの中で、黒柳さんが、「お母さんたちの間では、黒柳さんはLDだってことになってるようですよ」と言われたエピソードが紹介されています。
ただ、黒柳さんは、小学校を3カ月で退学になった後に通うことになったトモエ学園と、トモエ学園での恩師である小林校長先生の思い出を振り返り、LDの子どもを取り上げたテレビ番組を見て、「結局、小林校長先生は、LDなんてことを知らなかったのに、LDだったかもしれない私に完璧に適した教育をしてくださったことがハッキリした」と涙を流したエピソードが紹介されていました。
『小さいときから考えてきたこと』には、ほかにもたくさんのエッセイが収録されていますが、感想に移りたいと思います。
『小さいときから考えてきたこと』を読み終えて、黒柳さんは、子どもの心をいつまでも持ち続けているのかもしれないと思いました。
印象に残っているエピソードがあります。「祖父のこと」というエッセイの中に記されている、おじいさんとの思い出です。
黒柳さんが一度、会ったことがあるという黒柳さんの母方の祖父は北海道に住んでおり、開業医でした。
戦争が激しくなる少し前の夏休みに、黒柳さんは母に連れられて、祖父の家に行きました。
忙しい祖父とはほとんど話をしなかったそうですが、ある朝、唐突に、祖父から「一緒に来るか?」と言われ、看護婦さんと祖父と一緒に家を出て、汽車から2頭立ての馬車に乗り換え、牧場を超え、長いこと走りました。その間、祖父は何もしゃべりませんでしたが、牧場が終わり、荒地が続いた所で馬車を下りると、大勢の人が一列に並んでいる木の家がありました。
その家は、無医村になりたかった祖父が建てた診療所でした。帰りの馬車の中で「冬は、このあたり、雪だから。真白で、きれいになるんだよ」としか言わなかった祖父は、生涯、無医村の医師であることを守り通したそうです。
このエピソードを読んで、子どもだった頃の黒柳さんは、信念を持って人生を誠実に生きた、たくさんの人たちから愛されたのだなと思いました。
黒柳さんの祖父は無口な人だったのかもしれませんが、小さな黒柳さんを無医村の診療所に連れて行くだけで、かけがえのないモノを、黒柳さんの心の中に残したのだと思います。
子どもは大人の背中を見て育つもので、大人の鏡とも言えると思います。LD(学習障害)やADHD(注意欠陥・多動性障害)については分かりませんが、例えば、イジメを例に取れば、大人の世界でイジメがなくならなければ、子どもの世界でのイジメは絶対になくならないと思います。
黒柳さんが子どもの心をいつまでも持ち続けることができるのは、子どもの頃に、立派な大人たちの背中をたくさん見ていたからかもしれないと思いました。
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