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窓ぎわのトットちゃん/黒柳徹子のあらすじと読書感想文

2015年7月2日 竹内みちまろ

窓ぎわのトットちゃん/黒柳徹子のあらすじ(講談社文庫、第1刷は1984年)

 太平洋戦争が始まる前、オーケストラのコンサートマスターでバイオリンを弾く父親と母親の間に生まれた黒柳徹子は、「トットちゃん」のニックネームで親しまれていました。両親は初めての子どもができると、親戚や友人たちから「男の子に違いない!」と言われ、名前を「徹(とおる)」と決めました。女の子が生まれると少し困りましたが、「徹」の字が気に入っていたので、「子」を付けて「徹子」と名付けました。

 小さい頃から周りの人たちは「テツコちゃん」と呼びましたが、本人は、「テツコちゃん、テツコちゃん」と呼ばれるのを「トットちゃん、トットちゃん」と呼ばれていると思い、「トットちゃん」と言い続けました。周の人たちからも「トットちゃん」と呼ばれるようになりましたが、父親だけはいつの頃からか「トット助(すけ)」と呼ぶようになっていました。

 小学1年生のトットちゃんは、前の学校を退学になっていました。授業中に窓際に立って「チンドン屋さーん」と大声でチンドン屋を呼び込んだり、授業中に机のフタを何度も開け閉めし、用もないのに開け閉めしてはいけませんと叱られると、ノートや鉛筆、消しゴムなどを使うたびに机から出してすぐに戻すということを繰り返しました。

 トットちゃんは母親に「ねえ、学校って、すごいの」「学校のはフタが上にあがるの」などと嬉しそうに話しますが、母親は先生から、授業にならない、と苦情を言われ、決心します。母親は、色々な場所を探し回り、大井町線の自由が丘の駅を降りた先にある「トモエ学園」を見つけました。

 トモエ学園が完全な学校として始まった1937年(昭和12年)は、4月にはナチス・ドイツの空軍がスペイン戦争中のゲルニカを空襲し、7月には盧溝橋事件を発端に日本と中華民国が全面戦争に突入し、12月にはイタリア王国が国際連盟を脱退した年でした。トットちゃんが生徒になったとき、トモエ学園は6台の電車の車両を教室に使うというユニークな学校でした。母親は前の学校を「退学」になったことを、トットちゃんには伝えていませんでした。

 母親とトットちゃんは朝の8時に校長室に入り、校長先生である小林宗作氏に会います。校長先生は、髪の毛が薄くなっていましたが、顔の血色は良く、ヨレヨレの黒の三つ揃いをキチンと着ていました。

 トットちゃんが「私、この学校に入りたいの」などと声を掛けると、校長先生は、「じゃ、僕は、これからトットちゃんと話がありますから、もう、お帰りくださって結構です」と母親を帰します。「さあ、なんでも、先生に話してごらん。話したいこと、全部」と声を掛けると、トットちゃんは嬉しくなって正午までの4時間、話し続け、校長先生はずっとトットちゃんの話に耳を傾けました。トットちゃんの話が終わった時、校長先生は、トットちゃんの頭に手を置いて、「じゃ、これで、君は、この学校の生徒だよ」と告げます。トットちゃんは、生まれて初めて本当に好きな人に遭ったような気がしました。

 トモエ学園の全校生徒は50人くらいで、1年生はトットちゃんを入れて9人。教室が電車の車両で「かわっている」と思ったトットちゃんが次に「かわっている」と思ったのは、席が決まっておらず、みんな、その日の気分で好きな机に座ることでした。そして、なによりも「かわっていた」のは、トモエ学園の授業のやり方で、時間割が決まっておらず、朝にその日にやる時間割の全部の科目を黒板に書き出し、「さあ、どれでも好きなのから、始めてください」と言われたこと。作文が好きな子は作文を書き始め、物理が好きな子はアルコールランプに火を付けます。嫌いな教科もその日のうちにやればよく、上級生になるに従い、子どもたちの興味や個性が分かってくる授業の方法でした。

 トモエ学園での第1日目、トットちゃんは足を引きずって歩く男の子(山本泰明)を見ます。「どうして、そんなふうに歩くの?」と聞くと、「僕、小児麻痺なんだ」とのこと。トットちゃんは、泰明ちゃんと友達になりました。

 トモエ学園では、お弁当の時間で誰か一人がお話をしたり、ほとんどが畑だった自由が丘でみんなで九品仏の池まで散歩に出掛けたり、プールにはみんな丸裸で入ったりします。夏休みが始まるとテントを張って野宿をしたり、校長先生は各家庭に「一番わるい洋服を着せて、学校に寄こしてください」と言ったりしていました。

 トモエ学園の校長先生の教育方針には、トットちゃんの両親さえ“大丈夫かな?”と思うことがありましたが、子どもたちは伸び伸びと育っていきました。親の方針で転校させられる子どもは、トモエ学園と離れたくないと泣き、何度も振り返って手を振りました。

 トットちゃんがトモエ学園で過ごすと同時に、世界中で戦争の嵐が吹き荒れます。作文を読む子どもたちの知らないところで太平洋戦争が始まります。やがて、トットちゃんの近所でも、毎日、おじさんや、お兄さんたちが、日の丸と「ばんざい!!」に送られて出征していきます。食料も日に日に不足していきます。トットちゃんの父親は、バイオリンが好きなために家や親戚から勘当にされていましたが、バイオリンで軍歌を弾けば食べ物が手に入ると知りながらも、「……僕のヴァイオリンで、軍歌は、弾きたくない」と拒み、母親も「そうね。やめれば? たべものだって、なんとか、なるわよ」と言いました。

 やがて、B29が日本の上空に姿を見せるようになりました。トモエ学園は、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼けました。校長先生は、黒の三つ揃いの上着のポケットに両手を突っ込んだまま、トモエ学園が焼け落ちるのをじっと見つめます。そばに立っていた校長先生の息子で大学生の巴(ともえ)に、「おい、今度は、どんな学校、作ろうか?」と声を掛けます。

 その頃、トットちゃんは、満員の疎開列車の中で、大人に体を挟まれながら東北へ向かっていました。トットちゃんは、別れ際に校長先生が言った「また遭おうな!」の言葉と、校長先生がいつも言ってくれた「君は、本当は、いい子なんだよ」の言葉を忘れないようにしようと、暗い窓の外を見ながら考えていました。

窓ぎわのトットちゃん/黒柳徹子の読書感想文

 「窓ぎわのトットちゃん」を読み終えて、校長先生である小林宗作氏の子どもたちに対する心構えが印象に残りました。

 校長先生は、初めてトットちゃんに会った日も、トモエ学園が焼けてしまった日も、黒の三つ揃いを着ていました。それは紛れもなく正装であり、子どもたちに敬意を持って接するという校長先生の気持ちの表れだと思います。

 校長先生の三つ揃いは、作中では、ヨレヨレの黒の三つ揃いを着ていたとしか表現されていませんが、きっと、テーラーが心を込めてしっかりと作ったもので、かつ、校長先生はきっと、ただ着ていただけではなく、しっかりと、“着こなしていた”のではないかと思いました。

 「窓ぎわのトットちゃん」では、印象に残っている場面があります。トモエ学園でトットちゃんがお財布をトイレの中に落としてしまった場面です。当時のトイレはくみ取り式で、お財布を拾うため、トットちゃんは、トイレの外壁から1メートルほど離れた地面にある丸いコンクリートのフタを外して、ひしゃくで、くみ取りを始めました。すくった汚物を穴の周りに積み上げながら、すくい続けましたが、なかなか、お財布は見つかりません。

 そんなときに、校長先生がトイレの裏の道を通り掛かります。校長先生は「なにしてんだい?」と声を掛け、「お財布、落としたの」との返事を聞くと、「そうかい」と言って、いったんは行ってしまいました。お財布は依然、見つからず、穴の周りの汚物の山はどんどん大きくなりますが、校長先生がまた通り掛かり、「あったかい?」と声を掛けます。「ない」とのトットちゃんの返事を聞くと、友達のような声で、「終わったら、みんな、もどしとけよ」と言い、どこかへ行ってしまいました。

 結局、トイレの池をほとんどすくったにもかかわらず、お財布は出て来ませんでした。それでも、トットちゃんはもう満足で、汚物の山を完全にトイレの池の中に戻し、コンクリートのフタをしました。そして、この事件以来、トットちゃんは、トイレに入ったときに絶対に下を見ないようになりました(=トイレにお財布を落とさないようになりました)。

 “やめなさい”と言ったり、トイレに入ったら下を見ないようにしなさいと注意したりしないで、「終わったら、みんな、もどしとけよ」とだけ言う校長先生は、トットちゃんをひとりの人間として尊重し、かつ、子どもであるトットちゃんが、トイレでお財布を落とさないように導いたのだと思います。何かを伝えるためには、言葉で言ったり、ましてや、注意したりするよりも、効果的であり、かつ、相手の心を尊重できる方法があるのだと思いました。

 また、「窓ぎわのトットちゃん」で印象に残ったのは、大人になった黒柳徹子さんの視点で語られていたことでした。

 上記したトイレの場面でも、大人になった黒柳さんの言葉で、以下のように記されていました。

 本当は、その満足の中に、『校長先生が、自分のしたことを、怒らないで、自分のことを信頼してくれて、ちゃんとした人格をもった人間として、あつかってくれた』ということがあったんだけど、そんな難しいことは、トットちゃんには、まだ、わからなかった」

 教育というもののありがたみはそのときには分からなくても、大人になるにつれて、どんどん思い出されるものなのかもしれません。何が正してく、どうあるべきかは一概に言えることではありませんが、あえて書くと、校長先生が行った教育は“正しい”ものだと思いました。また、その“正しさ”は、子どもたちに敬意を持って接するために毎日、身に着けていた三つ揃いに込められた心から生まれたものだと思いました。

 子どもというものは、言葉で上手く説明したり、頭で理解したりできなくても、ちゃんと人間の性根とでもいうものを感じ取ることができ、同時に、心というものは、子どもたちを含めて、周りの人間達には全て筒抜けになってしまうものだと改めて感じました。思えば怖いことですが、それだけ、常に心を磨いて、誠実に、正しく生きなければならないのだなと思いました。


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