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百の夜は跳ねて/古市憲寿のあらすじと読書感想文(ネタバレ)

2019年10月7日

百の夜は跳ねてのあらすじ(ネタバレ)

 ビルのガラス清掃員として働く翔太は、ある日、ビルの高層階の清掃をしていると、中に住む老婆と目が合った。翔太がこの仕事について、1年以上経つが、清掃をしている部屋の中の人は、たいてい清掃員が来ても、その存在をなかったことにすることが多い。清掃員からは中の住人の生活が丸見えなのに、こちらの存在は無視される。しかし、老婆は翔太がいる窓までまっすぐ歩いてきて、その窓に「3706」という部屋番号を書き記した。

 翔太はその日の仕事終わりに、老婆がいたビルに向かった。清掃員の時は業者用の入口から入るが、今回は住居者用の入口を探して入った。翔太は、何重にもセキュリティがかけられたビルの「3706」号室を目指して進んだ。自分が老婆に何を期待しているのか、翔太には分からなかった。

 やっと部屋のあるフロアまで到着し、部屋の扉の前に立つと、翔太はなぜか緊張して指が震えた。思い出すのは、就職活動中に何度も見た面接室の扉であった。翔太は子供の頃から要領が良くあまり失敗したことがなかった。頑張らなくてもそれなりに勉強もできたし、就職活動も自分は成功するものだと思っていた。しかし、周りの友達が大手企業から内定をもらっていく横で、翔太は最終面接に進むことすらできなかった。

 翔太がインターホンを押すと、老婆が迎えてくれた。部屋の中に通されて、天井の高いリビングを見回すと、数えきれないほどの箱が並べられていて、床がほとんど見えない状態になっていた。

 老婆は翔太に自己紹介もせずにある依頼をした。それは翔太が清掃している部屋の写真を撮ってきて欲しいという依頼であった。特に、どのビル、どの部屋という指定もなく、どんな部屋でも良いから写真を撮ってきて欲しいと言う。人の部屋を盗撮するのは問題のあることだとはわかっていたが、翔太は老婆の依頼を受けることになった。老婆は、経費と言って翔太に50万円を渡した。

 翔太は休みの日に老婆から渡されたお金でカメラを購入した。そのカメラを作業着の胸ポケットにばれないように隠して仕事に向かった。ガラス清掃は基本的に2人1組でゴンドラに乗るため、同僚にばれないように撮影しなければならない。さすがにカメラを出して撮影することはできないため、翔太は動画が撮れるカメラを胸ポケットに仕込み、あとから撮った映像から画像を切り出すことにした。その日一緒にゴンドラに乗ったのは中村という一つ上の先輩だった。中村は真面目だけが取り柄の男で、仕事に集中していれば気づかれないだろうと翔太は思った。翔太は緊張しながら録画を開始した。

 翔太は家に帰り写真を印刷した。自分が1日でこんなに沢山のガラスを清掃していることに驚いた。写真を確認していると、田舎の母から半年後の市議会選に立候補するというメールがあった。小学校教師である母は、ヨモギ会という地元の人が集まる会に所属している。母は、市が道路建設によってヨモギ畑を壊そうとしていることに反対しているのだった。翔太の母と父は小さい頃に離婚している。トラック運転手であった父のようにはなるな、と母は日頃から言っていた。母は今の翔太の仕事について何も口を出してはこない。自分の母が選挙活動をしている姿は見たくないと思ったが、何もメールを返すことができなかった。

 翔太は老婆に写真を渡しに「3706」号室を訪れた。老婆は翔太が持ってきた写真を見て、わざとらしいくらい喜んだ。老婆は写真を見ながらあれこれと嬉しそうに感想を述べた。上機嫌な老婆はキッチンからシャンパンを持ってきて、翔太にも勧めた。グラスのぶつかり合う音を聞いて、翔太はある記憶がよみがえった。数か月前、翔太にガラス清掃の仕事を教えてくれた先輩が、仕事中にロープが切れて死んでしまった。その先輩のお葬式に会社の人が参加することは許されなかった。普段は会社の飲み会に参加しない翔太だったが、その日は先輩のことを誰かと話したくて会社の飲み会に参加した。全員にグラスが周り乾杯をして、グラスがぶつかり合う音がした。その音を聞くと思い出してしまうのだった。

 翔太はガラス清掃をしていると、先輩の声が頭の中で聞こえるようになった。先輩はいつも頭の中で「生まれてはいけないし死んでもいけない島」について延々と語っている。翔太は老婆に「死んだはずの人の声が聞こえることってありますか?」と聞いた。老婆は大笑いして「あるに決まってるじゃない」と答えた。老婆も、死んでしまった人といつでも会話をしていると言った。老婆は写真の報酬として翔太に100万円を渡した。翔太はそのお金を受け取ったが、使わずに部屋の奥にしまった。

 翔太はまた老婆の部屋を訪れた。老婆は翔太の写真を見て大いに喜び、今度は食事を用意してふるまった。部屋を見ながら、部屋の住人の生活を想像して老婆は楽しそうに話していた。翔太は老婆になぜ部屋に沢山の箱があるのか聞いてみた。老婆は、箱を自由に並べたり積み重ねたりするのが街を作っているようで楽しいと言った。そして、老婆の住む高層階から見える、ビルだらけの景色をつまらないと言った。料理を食べながら、2人は互いに誰かと食事をするのが久しぶりだと語った。老婆は、昔は人に囲まれていた生活をしていたけど、1人で過ごす今の生活はとても幸せだと言った。翔太にも老婆の気持がわかったが、その一方で不安もあった。大学時代のように友人に囲まれていた生活に戻りたいとは思わないが、誰かと関わらずに今の仕事を続けていく将来に何があるのだろうと思っていた。「幸せ」とわざわざ口に出しているうちはその人に不安があるのかもしれない、と翔太は思った。

 翔太が今の仕事に就くきっかけになったのは、面接がうまくいかずに高層ビルの間を歩いていた時だった。高いビルを見上げて自殺も悪くないな、などと考えている時に、高層ビルの上でガラス清掃している人を見つけたのだった。これまでガラス清掃員の仕事について気を止めたこともなかったが、清掃会社の求人を見つけその日のうちに応募したのだった。あの日から気づけば1年以上たっていた。

 その日、翔太が老婆の家を訪れると、これまで翔太が撮った部屋の写真が、部屋にある箱に貼られていた。老婆は、写真を一気に見渡せるように、張り付けたのだと言った。重ねられたいくつもの箱に写真を貼ると、部屋の中に高層ビルが並んでいるように見えた。喜ぶ老婆に、翔太は「自分の仕事は無駄な仕事だと思っていた」と話した。いくらガラスをキレイにしても雨が降ればすぐに汚れる。自分が窓の外で何をしていようとも、誰も気にしていない。今すぐ死んでもいいのに、死ねずに生きている自分に、この仕事はぴったりだった。何も残らない仕事だからこそ続けてこられたが、老婆の喜ぶ姿を見て、翔太は自分が何か残してしまったと知った。老婆は翔太の話を聞いて、人間にとって最も怖いことは、死ぬことよりも、人生に意味がないことだと言った。その後、老婆は亡き夫の形見の腕時計を翔太にもらって欲しいと言って渡した。そして、「私に街を与えてくれてありがとう」と言って翔太を抱きしめた。

 翔太がいつもと同じく胸ポケットにカメラを忍ばせて仕事をしていると、その日一緒にゴンドラに乗っていた中村が話しかけてきた。中村は翔太が胸ポケットにカメラを隠して盗撮していることに気づいていた。翔太は休憩中に中村に呼び出された。中村は口止め料として、老婆からもらった時計を請求した。翔太は知らなかったが時計は非常に高価な品であった。翔太は、会社にばらしてもいいから時計だけは譲れないと言った。そんな翔太を見て、中村は胸ポケットからペン型のカメラを取り出し翔太に見せた。「僕もやってますよ」と言って笑ったが、翔太にはその笑顔は歪んでいるように見えた。給料が安いこの仕事にそれ以外の価値はないと中村は言って、ばれないようにやるように翔太に言った。翔太は、おそらく私欲のために盗撮している中村と、自分がしていることは違うと言いたかったが言えなかった。

 翔太は、前に老婆の元を訪れた日から時間を空けて、老婆の部屋に行った。待ちくたびれたと言う老婆に、もう写真はないと言った。中村に指摘されてから翔太は撮影をやめてしまった。翔太は自分が中村と同じ部類の人間になることが耐えられなかった。しかし、自分の仕事にも何か意味があるのではないかと教えてくれた老婆には感謝していた。そこで、写真の変わりに翔太はある仕掛けを用意してきた。老婆は翔太の作業を静かに見ていた。翔太は、部屋にある箱に穴をあけその中に電球を入れ、光を付けた。街に灯がともったようで、老婆は「こんな美しい街、見たことないわ」と言った。

 老婆と翔太は窓の外から現実の町を見下ろした。老婆は自分の心に悪魔の鏡が刺さってしまったのかもしれないと言って、おとぎ話を語りだした。翔太は、老婆の部屋の窓を掃除することにした。老婆のおとぎ話に出てくる悪魔の鏡、その鏡に映るものは美しいものも醜く変わってしまうという。その鏡が心に刺さると、どんな美しいものも醜く見えてしまうという。心に鏡が刺さってしまった少年は、喜びも悲しみもない国に連れていかれたという。翔太はその話を聞いて、死んでしまった先輩が言っていた「生まれてはいけないし死んでもいけない島」と同じだと思った。老婆は、その少年が連れていかれた国に行ってみたいと言った。翔太は、老婆に「だめですよ」と言った。そして翔太は、次からは部屋の写真ではなく、地上で見つけた景色を写真に撮ってくると言って老婆と別れた。翔太は老婆からもらっていたお金で、性能の良いカメラを買った。

 写真が溜まり翔太が老婆に会いにいくと、老婆は「3706」の部屋から姿を消していた。ビルの管理人からは少し前に引っ越したことしか教えてもらえなかった。何度かピルまで行ってみたが、「3706」の扉があくことはなかった。そして、偶然にも仕事であのビルの清掃をすることになった。緊張しながら「3706」の部屋を見ると、部屋には何も家具も、一緒に積み上げた箱も、何もかもなくなっていた。その光景を見て翔太は決意を固めて、辞表を出した。

 会社の同僚から、これから何をするのか聞かれた翔太は、1枚のチラシを差し出した。それは市議会選のポスターで、翔太の母が写っていた。翔太が撮影した母の写真だった。老婆に会えなくなってからも翔太は写真を撮り続けていた。

百の夜は跳ねての読書感想文

 この作品は、要領よく生きていたのに就職活動で失敗し、そこから高層ビルのガラス清掃員として働いている主人公の翔太が、高層ビルに住む不思議な老婆と出会い変わっていく話です。お互いに名前も知らないまま、交流していく2人の様子は、どこかファンタジーのようでもあり、しかしどこか現実の重さも感じます。気づけば、作品世界に引き込まれてしまうという不思議な感覚が味わえる作品だと思いました。

 就職活動に失敗し、ガラス清掃員として働く翔太は、過去の友人や家族とも積極的に交流を持たず、1人で誰にも気づかれないように生きており、その様子が実は現代の若者を象徴しているようにも思えました。就職活動という、いわば社会から必要とされるかどうかの線引きの場で失敗を経験したことで、自分の存在に意味を見出すことができなくなってしまう人が、現実にもいるのかもしれません。周りの友人と比べないように、世間の目を気にしないように、そうやって気にしないように生きていることが実は、強烈に周囲からの自分を意識していると私は感じました。

 そこから、翔太が老婆に出会い、少しずつ人の繋がりや自分の存在意義を感じている様子はとても印象的でした。人は誰かに必要とされることで自分を肯定できる弱くてもろい生き物なのかなと感じます。同僚が自分と同じ犯罪行為をしていると知った時の翔太の、なんとも言えない辛く悔しい気持ちもわかるような気がしました。盗撮行為は犯罪ではあるけれど、自分がしたことで誰かに喜んでもらえる、そのことにきっと翔太は自分が肯定されたと感じていたのだと思います。だからこそ、自分は違うと思いたかったけど、客観的に胸を張れることではない。その翔太の葛藤が私にはとても人間らしく感じました。名前も知らない老婆との出会い、不思議な縁、交流を通じて、行き場のなくただ生きていた若者が、小さいけれど前進していく。そんな様子に勇気を貰える作品だと思います。


→ 平成くん、さようなら/古市憲寿のあらすじと読書感想文


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