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映画「狩人の夜」のあらすじと感想

竹内みちまろ

 「狩人の夜」という映画をご紹介します。監督:ロバート・ミッチャム(1955年/アメリカ)、主演:リリアン・ギッシュ、シェリー・ウィンタース、イヴリン・ヴァーデン、ピーター・グレイヴス、ジェームズ・グリーソン、ビリー・チャピン、サリー・ジェーン・ブルース。

 「狩人の夜」は、「子どもたち、聞きなさい。日曜日のおさらいよ」というナレーションから始まります。画面には、女性の顔が映っています。この女性は、物語の後半に登場するのですが、身寄りのない子どもや貧しい家庭の子どもを引き取って面倒をみています。女性は、「主は山に登れら、教えられた」と語り始めます。おそらくは聖書の言葉だと思います。画面には、女性の話を聞いていると思われる子どもたちの顔がいくつも浮かびます。バックは星空です。「狩人の夜」が製作された時代を考えても、いかにもわざとらしく、かつ、安っぽい演出だと思いました。画面には再び女性の顔が映ります。女性は、朗読をいったん止めます。手もとの聖書に目を向けます。ここからが大切な部分ですよと言わんとばかりの演出です。女性は、「羊の皮を身にまとった偽預言者に気をつけよ」、「中身はどん欲なおおかみである」、「その実で見分けよ」と続きます。画面に映されている映像は、かくれんぼう遊びをする子どもたちの風景に移ります。小屋に隠れようとした子どもが死体を見つけました。皮肉ともとれるような安っぽさで演出された冒頭の部分を見て、「狩人の夜」は、ひねりの効いた作品のように思えました。

 「狩人の夜」のあらすじをご紹介したいと思います。大恐慌時代のアメリカです。銀行を襲って大金を奪った父親が、男の子と女の子のもとへ駆け込んで来ます。父親は、妹を守れ、金は将来に役立てよ、隠し場所は誰にも言うな、母親にも言うなよ、と二人に告げて、金を妹の人形の中に隠しました。父親は、処刑されてしまいました。処刑を待つ父親と、牢屋で同室になった男がいました。ほんとうに伝道師なのか、ただ装っているだけなのかは分かりませんが、いわゆる聖職者を職業にしているようです。実体は、人をだましては、その人を殺して大金を奪い歩く詐欺師でした。整った身なりと、甘い笑顔と、計算された威圧と、苦痛に満ちた苦労話で、人々の信頼をいとも簡単に得てしまいます。典型的な詐欺師のように見えました。

 伝道師の男は、兄妹の家にやってきます。町のおせっかいな老婦人や母親を手玉にとります。老婦人のぼんくら亭主(見方によっては大恐慌下でも生活を守り続けるまじめで堅実な男)や、男の子の友だちの酔っ払いおじさんなどは、伝道師にうさんくさいものを感じています。でも、伝道師は、まんまと母親と結婚してしまいました。兄妹だけが知っている大金のありかを聞き出すことが目的でした。

 「狩人の夜」は、伝道師と兄妹、とりわけ、伝道師と妹を守りながら伝道師から逃げる兄の物語でした。無垢で純粋な妹は、笑顔を浮かべる伝道師のひざに自分から抱かれます。伝道師は、「パパと秘密の教えっこをしよう」、「金はどこにある」と言っては妹の口を割ろうとします。でも、妹は、兄を見て、何も答えませんでした。伝道師はだんだんといらだってきます。テーブルをたたいたり、ナイフをわざとらしく持ち出したりします。少年は、最初から、伝道師にうさんくさいものを感じていました。母親になんと言われようとも、心も、口も、開きませんでした。伝道師は、不要になった母親を殺してしまいました。兄妹は、伝道師のもとから逃げ出します。

 「狩人の夜」は、ここからが見ごたえがありました。少年と妹は、父親の小船に乗って川を下って伝道師から逃げます。下流のとある村で、冒頭に出てきた聖書婦人に拾われます。聖書婦人は、ニワトリや牛を飼い、卵やミルクやバターを売ってせっせと稼いでいるようです。食い扶持が少なくて、文句も言わずに働く子どもは、好都合というところでしょうか。少年は、聖書婦人には心を開きませんでした。でも、なんと言ってもまだ子どもです。妹も自分も何も食べていない状態です。聖書婦人の家のやっかいになることで身を落ち着けることにしたようです。そんな聖書婦人の家にも伝道師はやってきました。

 伝道師が家に来ると、聖書婦人が表に出てきました。妹は、伝道師に駆け寄ります。少年は、伝道師をにらみつけていました。伝道師は、お得意のアベルとカインの話を持ち出して、聖書婦人を懐柔しようとしました。聖書婦人は、その手にはまったく乗りませんでした。詐欺師が詐欺をしかけようとしましたが相手も詐欺師で一瞬にして見破られたような感じです。伝道師は、「なんだあんたも同業かい」と言わんばかりの顔をしました。そうなれば、やることは一つです。ナイフを持ち出して、人形を持って逃げた少年を追います。しかし、聖書婦人もただ者ではありません。散弾銃を持ち出してきます。同業だけに、伝道師には、聖書婦人が脅しではないことがわかるのかもしれません。伝道師は、夜に来るからなと言い捨てて去っていきました。

 伝道師が夜にやってきた場面にはうっとりしました。伝道師は、言葉のとおりに、夜にやって来ました。家の外で柵にもたれかかっています。伝道師は聖歌を歌い始めました。聖書婦人は、散弾銃を構えながら、伝道師が家に入ってこないかを見張っています。いつしか、伝道師の歌声に誘われて、聖書婦人も聖歌を歌い始めました。絶妙のハーモニーです。やはり、こいつら同業なのだと思いました。

 ストーリーは、聖書婦人が発砲して、伝道師が軍人たちにつかまることでクライマックスを迎えます。伝道師は、ジープで駆けつけた軍人たちに取り押さえられます。少年は、ようやくに伝道師に追われる恐怖から解放されました。少年は、「安心をし、これでもう心配はいらないよ」と言われたも同然です。実際に、屈強な軍人たちが伝道師を取り押さえています。少年は、恐怖や緊張や義務感から一気に解放されました。その時でした。少年は、取り押さえられている伝道師のもとに駆け寄ります。泣きながら、「もういいよ」、「もういいよ」とさけびます。軍人たちは呆然として少年を見つめています。何がもう良かったのだろうと思いました。伝道師は、思えば、ちょっとまぬけなところもありました。口を割らせたかったら、二人を縛り上げて、妹を殺すと脅して兄を吐かせればそれで済むような気はしました。そうはせずに、妹に秘密の教えっこをしようなどともちかけていました。伝道師は、自分が悪人であることを自覚していて、そんな自分を冷めた目で見ていたような気もしました。神様に叱られても、こんな生き方しかできませんのでと皮肉たっぷりに言い放つタイプだと思えました。殺人犯の多くは、「私は人を殺すために生まれてきたのではありません」と言うのだろうと思います。伝道師も、「俺だって人を殺すために生まれてきたんじゃねえや」と自嘲するタイプかもしれません。でも、もしかしたら、何も言わずに、「とっとと殺しておくんなさいな」と皮肉るかもしれません。少年は、伝道師が抱えているもろもろのドラマを、本能的に悟ってしまったのかもしれないと思いました。「お前だって人を殺すために生まれてきたんじゃないんだろ、悪いことしなくちゃ生きられないのもわかっているよ、でも、わかったけど、もういいよ、お金なんてやるよ、そんなふうに生きるのはもうやめろよ」と言いたかったのかもしれないと思いました。ただ、少年には、悪いことをしなくちゃ生きることができない人間に対して悪いことをするなよと言っても、それは、「あんた死ぬしかないよ」と言うのと同じであることが、本能的に分かっているのかもしれないと思いました。いずれにせよ、恐怖から解放された少年の中で爆発した本能というものは、何かをあきらめたり、自分を偽ったり、皮肉でごまかしてしまうようなことをまだ知らない少年に起こった出来事ゆえに、人間存在の本質を突いているように思いました。

 「狩人の夜」は、少年ともう一人の詐欺師である聖書婦人が交差する場面でラスト・シーンを迎えていました。伝道師は、自分が詐欺師であることを自覚していましたが、聖書婦人は、はたから見れば詐欺師なのですが、本人は自分が詐欺師であることを自覚していないように見ました。子どもたちを手もとに置いているのも、従順な労働力の必要性だけではないように思えました。聖書婦人の息子は、軍人のようですが、クリスマス休暇にも家には帰ってこないようです。ある意味では、伝道師よりも、やっかいな存在です。聖書婦人は、伝道師のように犯罪行為はいたしません。自分では聖書の言葉を実践しているつもりになっています。少年は、そんな聖書婦人にも本能的に心を開いていませんでした。クリスマスでした。聖書婦人は、子どもたちにプレゼントを与えます。少年には、懐中時計を与えました。おそらくは、懐中時計というものは、当時では、相当なぜいたく品であったのではないかと思います。少年の顔も思わずほころびます。初めて少年が聖書婦人に笑顔を向けました。「狩人の夜」の中で、少年が笑顔を見せたのはこの場面だけだったかもしれないと思いました。

 キリストでも、イスラムでも、仏でもいいのですが、宗教の多くは、時計の無い時代に発生したのだろうと思います。時計とは、日時計とか、砂時計とか、振り子時計ではなくて、いわゆる秒刻みで時をしるす近代的な時計です。時計というものは、もちろん、ただの道具です。少年が与えられた秒刻みで時を刻む懐中時計もただの道具です。金属バットは、ホームランも打てますが、人も殺せます。道具を、良く使うのも、悪く使うのも人間の心しだいだと思います。秒刻みで時を刻む時計というものは、日本の歴史で言えば、近世と近代との境目を象徴すると思います。人々の生活は便利になりましたが、同時に、人々は時間に縛られて何かを失いました。

 聖書婦人が少年に与えた時計は、少年にとっては、自由を象徴するものになるのでしょうか、あるいは、抑圧を象徴するものになるのでしょうか。「狩人の夜」はそこまでは提示せずに、時計をもらってうれしそうにしていた少年の姿を描いて終わりました。


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