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しろばんば/井上靖のあらすじと読書感想文

2005年12月24日 竹内みちまろ

しろばんば/井上靖のあらすじ

 「しろばんば」は、大正時代がはじまったころの伊豆の田舎町が舞台です。小学校の中学年ほどの少年が主人公です。少年は、土蔵で曽祖父の妾であったおばあさんと二人で暮らしています。少年の父親は軍医で師団がある遠くの町で暮らしていました。両親や弟妹から一人はなれて、のどかな村で暮らす少年の物語でした。

 「しろばんば」には印象に残っている場面があります。土蔵の隣には、上の家がありました。上の家は少年の母親の生家でした。上の家には、さき子という女学生くらいの年の娘がいました。少年は、よく、さき子に共同浴場で体を洗ってもらっていました。さき子が、二階の一室にこもりっきりになります。少年が二階に上がろうとすると、上の家の祖母から固く止められます。さき子は、肺病でした。少年は家の人の目を盗んで、二階に上がりました。さき子ねえちゃんを一目見ようとします。部屋の内側からは、来ちゃダメというさき子の声が聞こえます。少年が、我慢しきれなくなり、障子を開けようとします。四つある障子をどのようにして内側から押さえているのか、少年があちこちを開けようとしてもどこも開きません。さき子は、村を離れました。転地先で死んでしまいました。

 「しろばんば」は、三人称で語られる物語ですが、語り手の視点は少年に固定されています。地の文で少年以外の登場人物の感情が描写されることはありません。物語は、一貫して、少年の視線をとおして語られます。ストーリーは、少年が見聞きした世界に限定されます。

 さき子の部屋の前で障子を開けようとする場面は、ものかなしくせつない場面ではあるのですが、幼い少年は、人生には避けることができない宿命があることも、これから何でもできる盛りを迎えようとする年で何もしないままに命を終えてしまう人間たちがいることも知りません。「開けて」、「ダメよ」の押し問答をしながら、少年は、唐紙一枚をへだてて、さき子とふざけあっているような気持ちになります。さき子が突然、障子を開けて少年の頭をこつんと叩いたときは、あっけにとられましたが、あとから少年は楽しく思いました。障子が再び閉められたあとの「帰りなさい」という声が、有無を言わせぬ厳しいものに感じられたことが添えられていました。

 「しろばんば」は、少年が冒険したり、事件が起きてピンチがおとずれたり、ドラマが積み重なって物語が展開するというタイプの小説ではないと思いました。少年を溺愛するおばあさんには深いドラマがあることが暗示されますが、最後まで、老婆の物語は何も語られませんでした。村の子どもたちや年の離れた大人たちとの暮らしの中で、少年が何を見て、何を感じたのかが書かれていました。

 「しろばんば」は、ラスト・シーンがとても心に残りました。少年は、小学校を卒業する直前に、町に転校することになりました。ちょうど少年に第二次成長がはじまったころでした。村を出る前の日に、いっしょに育ってきた友だちと共同浴場にいきます。少年は、友人たちが将来を真剣に語るのを聞いたり、昨日までいっしょに遊んでいた少年がいつか村を出ると考えていることを知ったりします。でも、そんな友人は、バスに乗って村を出て行くときには、離れた場所にいて声をかけてくれませんでした。駅の待合室を出て、あたりを歩きながら時間をつぶしているときに、少年は場末の風景を見ます。場末の風景を見て、少年は、生まれてはじめて、それが「わびしい」ものであることを感じました。そんな場面で終わる小説でした。

しろばんば/井上靖の読書感想文

 「しろばんば」を読み終えて、作家が描いたものは、魂ではないかと思いました。さき子がある日から突然いなくなってしまったことも、村の小学校を一番で卒業した上級生が落ちぶれた格好をして帰ってきたことも、いっしょに暮らすおばあさんが体の自由がきかなくなったころから欲深くなったことも、少年にはそれが何故だかわかりませんでした。大人の理屈というフィルターをとおせば説明ができる現象を、少年は、何物にも守られていない無防備な心で受け止め続けます。ラスト・シーンでは、少年は、場末の風景にふれて哀切を感じてしまう心をいつのまにか育んでいたことが語られました。

 「しろばんば」のカバーに書かれた紹介文を読むと、「なつかしい郷愁」とか「おおらかなユーモア」などの言葉が使われています。個人的な感想になりますが、「しろばんば」を読み終えて、なつかしさやユーモアは感じませんでした。少年が持つようになってしまった「やさしすぎる心」のようなものを感じました。そんな少年は、どんな大人になるのだろうと思いました。詩人になるのか、自殺をするのか、「ほんとうの幸い」を求めて銀河鉄道に乗ってしまうのか、いずれにせよ、「普通の幸せ」とは無縁の人生を送ることを余儀なくされるのではないかと思いました。井上靖がどのような人なのかは知りませんが、「しろばんば」を読み終えて、人間の命が持つ宿命的な哀切へ向けた著者の視線を感じました。


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