2018年3月16日
仁宗の天聖4年、西暦1026年。趙行徳(ちょうぎょうとく)は進士の試験を受けるために、故郷の田舎から宮古の開封(かいほう)にやってきた。管理万能の時代。趙行徳も文官になり、出世するためにやってきたのだ。
しかし試験の待ち時間の間に、趙行徳は居眠りをしてしまう。夢の中で試験を受けていた。30年前の出来事について質問された。度々、北宋が頭を悩ませていた西域対策について何亮(かりょう)という人物が天子に奉った建議書についてだった。
趙行徳が夢から覚めた時には現実世界での試験は終わっていた。次の試験は3年後である。呆然としたまま、趙行徳は街の中を歩き回った。歩いていると、人だかりができていた。人だかりをのぞいて最初に目に入ったのは分厚い板の上に横たわっていた裸の女だった。女は漢人ではなかった。
話によると、その女は淫らな行いをしたために、これから切り売りされるということだった。趙行徳はその場で女を丸ごと買った。買ったのちに女を逃した。
すると女は趙行徳の後を追いかけ、小さな布片を礼に渡した。その布には趙行徳が見たこともない文字が並んでいた。女の話によると西夏の文字であり、西夏のイルガイというところに行くにはその布を持っていかなければ入れないということだった。
女とはそれきり別れたが、その布に記された文字が趙行徳を引きつけた。この文字の意味するところをどうしても知りたいと思い、趙行徳は西域に旅に出ることにした。
国外である西夏に行くには様々な手続きを取らなければならない。趙行徳は何としてでも西夏に行くためにその準備を整えた。そのために漢語だけでなく異民族の言語も学んだ。
しかし西夏への旅の途中、戦乱に巻き込まれる。なんとか涼州(りょうしゅう)にたどり着いたが、成り行きで西夏の漢人部隊に配されてしまった。回鶻(ウイグル)との戦闘にも参加させられた。
西夏軍の漢人部隊の中に朱王礼(しゅおうれい)という男と出会った。朱王礼は趙行徳が漢字の読み書きができると知り、「俺は西域にいつか漢字の碑を建てるからそれはお前が書け」と言った。以後、趙行徳は朱王礼の部下として戦場に出るようになった。
朱王礼の元で回鶻との戦いを経て、甘州(かんしゅう)を攻略した。甘州で一人の回鶻の女と出会った。王族の女らしい。趙行徳はその女を匿った。
しかし、趙行徳は朱王礼の命令で、西夏文字を学ぶために興慶に行くことを命じられた。趙行徳は朱王礼に回鶻の女のことを託した。回鶻の女は去っていく趙行徳に一組の首飾りの片方を渡した。趙行徳は1年以内に帰ると約束した。
興慶での勉強は趙行徳にとってとても充実したものだった。趙行徳はいつしか回鶻の女との約束を忘れて仕事に励んだ。そしてようやく甘州に帰った時、朱王礼に「女は死んだ」と告げられた。
けれども女は死んでいなかった。西夏の太子、李元昊(りげんこう)の特別な女になっていた。一度趙行徳と女は甘州の街中で目があったが、言葉を交わすことはできなかった。その後、女は城壁から身を投げて死んだ。
李元昊が王位に即位し、西夏の政治は変わった。李元昊は西夏をより強大にする政策をとった。趙行徳を含む朱王礼の部隊は瓜州(かしゅう)に行くように命じられた。
瓜州では太守の延恵(えんけい)にもてなされた。延恵は信仰心が厚く、仏教を尊んでいた。自然、趙行徳は彼のことが好きになった。延恵は趙行徳に経典を西夏語に訳して欲しいと頼んだ。趙行徳はそれを引き受けるために興慶で手助けを頼めそうな人物を探し出すことにした。
興慶に向かう時、趙行徳は尉遅光(うつちこう)の隊商に仲間に入れてもらった。尉遅光は王族の後裔のようだったか、とても傲然たる人物だった。趙行徳は興慶で経典翻訳を手伝ってくれる人物を探し、再び尉遅光の隊商と共に瓜州に帰った。
瓜州で朱王礼の館に行った時、趙行徳は朱王礼が回鶻の女の首飾りを持っているのを見た。自分の持っている首飾りのもう片方を、なぜ朱王礼が持っているのか気になったが深く追求することができなかった。
朱王礼の部隊に出動命令が下った。吐蕃(とばん)を討てとの命令だった。趙行徳は朱王礼と共に行きたいと願ったが朱王礼は残るように命じた。
そして朱王礼は戦いを終え、瓜州に戻ってきた。けれどもそこで瓜州に後から来る李元昊を討つと言った。
李元昊との戦いを経て、瓜州は落ちた。朱王礼部隊と瓜州太守延恵は、延恵の兄が守る沙州(さしゅう)に向かった。今度は李元昊を沙州で迎え撃った。
李元昊の攻撃の前に尉遅光の協力によって、趙行徳は沙州の寺にあった経典を石窟の中に隠した。沙州は李元昊の攻撃を受け、朱王礼は死んだ。延恵も死んだ。趙行徳だけは戦いに紛れて生き残った。
沙州のあった場所はのちに「敦煌(とんこう)」と呼ばれるようになった。1900年代、流れ着いた道師が石窟の中に大量の経典を見つけた。多くの探検家がその経典を求めたが道師にはその価値が分からなかった。しかしその経典にはそれまでの東洋学を覆すほどの価値があった。
主人公趙行徳の生き方が印象的でした。死を恐れず、流されるかのように生きる。次々と降りかかる運命を、なんでもないもののように受け止める。それでも自分の中で確かに守りたいものがあって、それだけは守り通す。死ぬことは怖くないけれど、それが失われることだけは恐ろしいという趙行徳。
まるで趙行徳は砂漠の中の一粒の砂のようだと思いました。風に吹かれるまま、逆らうことなく流されていく。開封での進士の試験に落第してから西域で過ごすまで、彼はその生き方を貫いています。
戦いの最中、趙行徳は最後の最後まで仏教の経典を守ることを貫きます。そこには彼が約束を果たせなかった回鶻の女への思いも隠されています。
そして彼が砂漠から消え、千年が経ったのちに発見されたその経典の価値の大きさ。砂漠の中でずっと誰にも知られることなく経典が守られていたことに、最後は深く感動しました。
常に砂漠の風を感じながら作品を読んでいました。遥か彼方まで続く、砂漠。厳しい自然の中を歩く人々。……広大な砂漠と、蟻のような小さな小さな人々の影。
砂漠の中の砂つぶみたいな人間の影一つ一つに、計り知れないほどの大きな想いがあって。風にあおられ、いくつもの想いが消されていく中で、それでも生き残って、歴史を刻む人間。
作品の中に広がるその風景が美しいと感じました。趙行徳の砂漠の中の砂つぶのような生き方もまた美しいと感じました。そしてその中で守られてきた歴史も美しいと感じました。
読んでいる間に、小林幸子の「風といっしょに」の歌が思い出されました。映画ポケットモンスター『ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマです。(ちょっとアラサー世代のポケモンの話で恐縮ですが)。
20年ぶりくらいにあの歌を思い出し、歌詞を調べてみたらこの『敦煌』の物語にしっくり来るような気がしました。
【この記事の著者:鈴木詩織】
愛知県で活動しているモデル・作家。趣味は写真と読書と執筆。
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