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ツァラトゥストラはこう言った/ニーチェのあらすじと読書感想文

2005年5月30日 竹内みちまろ

 「神は死んだ」で有名なニーチェです。「ツァラトゥストラはこう言った」(氷上英廣訳)は、4部構成です。第4部は、あとから書き加えられたようです。今回の原稿では、1〜3部までを取り上げています。

【ドイツ統一国家】

 ニーチェ(1844-1900)が生きた時代のドイツを見てみましょう。19世紀初頭のドイツは小国が乱立していました。その一つのプロイセンは、統一国家の樹立を目指しました。1833年に、ドイツ関税同盟を作りました。プロイセンは、デンマーク、オーストリア、フランスなどを相手にした対外戦争を利用して、周辺の小国への支配力を強めます。プロイセンは、強大になりました。1871年に、ドイツ帝国を成立させます。占領下にあるパリのヴェルサイユ宮殿で、プロイセン国王が初代のドイツ皇帝に即位しました。ドイツ帝国は、フランスから得た戦勝金を経済発展につぎ込みます。フランスとの戦争(普仏戦争:1870-71)の後は、1914年に第一次世界大戦がはじまるまで、大きな戦争がありませんでした。ドイツ経済は、目覚しい発展を遂げます。同時に、旧来の価値観が崩壊して、物質主義や結果主義が蔓延していったようです。時代の変化の中で、キリスト教社会は、人びとの心をとらえる力を失っていたのかもしれません。しかし、ドイツの人びとは、幸せでした。戦乱の終焉、経済の発展、そして、夢にまで見た統一国家の樹立、のちに人びとは、この時代を、”古きよき時代”となつかしんだようです。ちなみに、イタリアでは、1861年に統一国家が成立します。日本では、1868年に徳川幕府が倒れました。明治政府は、またたくまに統一国家を作り上げたドイツを手本にして、疾風のごとく維新を断行しました。ドイツ、イタリア、日本は、急進的に、統一国家を作り上げました。

【神は死んだのか?】

 ニーチェは、激動する時代の中で、政治的に活躍したわけではなかったようです。学者肌の人で、恋や芸術や人生に、苦悩していたようです。「ツァラトゥストラはこう言った」は、物語形式の思想書です。「ツァラトゥストラ」とは、作中人物の名前です。ツァラトゥストラは、山奥にはいり、一人で知性と孤独を楽しんでいました。しかし、自分が蓄えた知恵を、人びとに分配したくなりました。ツァラトゥストラは山を下りて人間の中にはいっていきます。ニーチェは、ツァラトゥストラの口を通して、自らの思想を語ったようです。

 ツァラトゥストラは、山を下りる途中で、森の隠者に会いました。隠者は、一人で神を愛する聖者です。ツァラトゥストラは、隠者と言葉を交わしました。ツァラトゥストラは、思います。

「この老いた聖者は、森のなかにいて、まだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを」

【「わたし」の中の「おのれ」】

 「ツァラトゥストラはこう言った」の最初の方で、「わたし」の中にいる「おのれ」という概念が提示されます。ツァラトゥストラは言います。

「感覚も精神も、道具であり、玩具なのだ。それらの背後にはなお本物の「おのれ」がある」

 「おのれ」は感覚や精神に働きかけて、人間を支配したがるそうです。解説には、「これはニーチェを深層心理学の先駆者たらしめるものである」と書かれていました。

【あなたがたはなまぬるい存在だ】

 「わたし」の中の「おれの」が書かれている箇所を読んだときに、「ツァラトゥストラはこう言った」という本は、ツァラトゥストラが、心の深層にいる「おのれ」と対峙する物語なのかもしれないと思いました。ツァラトゥストラは言います。

「ああ、わが友人たちよ! 母が愛児のなかにあるように、あなたがたの真の「おのれ」が行為のなかにあるようにしてほしい」

 たいがいの人は、「わたし」を(無意識の領域から)支配する「おのれ」の存在には、気がつかないそうです。ツァラトゥストラは、「おのれ」の存在すら知らずに、「おのれ」に踊らされているだけの「わたし」のままで一生を終えてしまうような人を嫌います。ツァラトゥストラは言います。

「あなたがたはなまぬるい存在だ」

 もしかしたら、日曜日に教会に通うだけで「キリスト者」になってしまい、何かあれば聖書の語句を引用するだけで満足してしまうような人は、一生を踊らされたまま終わる人だと言いたいのかもしれないと思いました。

【支配するよろこびと、支配されるよろこび】

 「ツァラトゥストラはこう言った」は、たくさんの章に分かれています。(上巻)だけで44の章があります。34番目の章は、「自己超克」です。「自己超克」の中で、ツァラトゥストラは言います。

「そして、小さなものが、自分よりもっと小さなものに対して支配のよろこびと力を味わうために、自分より大きなものに身をささげるのと同じように、最も大いなる者も、さらに身をささげるのであり、それは力のよろこびを味わうために――生を賭けるということになる」

 人間の心には、「支配するよろこび」と、「支配されるよろこび」があるようです。ここを読んだときに、以前紹介をした「自由からの逃走」(フロム)に書かれていた、心理学者の視点から見たルターのメカニズムを思い出しました。典型的な権威主義的性格の持ち主であったルターは、権威を憎み、そして、権威を愛しました。ルターのケースでは、「憎しみ」は、「攻撃」に、「愛」は、「服従」になりました。どちらにせよ、極端なことが特徴だと思います。宗教改革のエネルギーは、「支配するよろこび」と「支配されるよろこび」が同時に満たされたときに生み出されたのかもしれないと思いました。

【あの人】

 ドイツ人が書いた本を読むときに、どうしても、頭をよぎることがあります。それは、「あの人」のことです。「人類の犠牲」になって十字架にかけられた「あの人」ではありません。「古きよき時代」から絶望のどん底に落ちた第一次世界大戦後のドイツで、人びとの「支配するよろこび」と「支配されるよろこび」を巧みに操作して、一瞬のうちに歴史の表舞台に駆け上がった「あの人」です。ナチズムのエネルギーも、「支配するよろこび」と「支配されるよろこび」が(大衆レベルで)同時に満たされたときに生み出されたのかもしれないと思いました。

【自分を愛しなさい】

 ツァラトゥストラは、「隣人への愛」くらい嘘と偽善に満ちた言葉はないと言います。ツァラトゥストラは言います。

「何よりもまず、自分自身を愛する者となってくれ」

 しかし、自分を愛することは困難だとも言います。

「ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」は「心」について嘘をつくことがしばしばある」

 「わたし」の中の「おのれ」の声に耳を傾けない人は、権威に服従したがり、同時に、自分よりも弱いものを支配したがるそうです。自分自身から目をそむける人は、隣人を愛したがり、そして、神を愛する(=神に服従する)ことに満足すると、ツァラトゥストラは言い捨てます。

「おお、わたしの魂よ、わたしはおまえからあらゆる服従を取りのぞいた。膝を屈すること、「主よ」と呼びかけることを取りのぞいた」

【けっきょくニーチェは何が言いたいのか】

 「ツァラトゥストラはこう言った」に書かれている内容は、みちまろごときが簡単に理解できるものではないと思います。そんなみちまろの独断と偏見ですが、ニーチェは、こんなことを言いたいのではないかと思いました。

 ○「わたし」の中にいる「おのれ」こそが、本当のあなた自身です

 ○「おのれ」の声を聞きなさい

 ○「おのれ」を受け入れなさい

 ○「おのれ」と和解しなさい

  そして、

 ○「おのれ」を抱きしめてあげなさい

  そうすれば

 ○ あなたは先へと進めます

 前回の配信で取り上げた「死にいたる病」のキルケゴールと、けっきょくは、同じことを言っているのかもしれないと思いました。

【後世に残る「作品」の条件】

 「ツァラトゥストラはこう言った」は、批判精神に満ちた書でした。ツァラトゥストラが語るのは、比喩を用いた抽象的な出来事が多いのですが、その内容は痛烈です。「森の聖者」の他にも、経済発展にまい進する者を「市場の蝿」、聖職者を十字架の下で網をはって獲物を待つ「十字蜘蛛」にたとえています。また、たいがいの知識人は、鼻の先のニンジンに首を伸ばしながら、大衆という荷車を引く動物だという意味のことも書いてありました。

 しかし、内容から一歩うしろにさがって、「ツァラトゥストラはこう言った」を、離れた場所から見渡してみました。いくつかの興味深い点がありました。まず、ニーチェは、一人称ではなくて、ツァラトゥストラという架空の人物を作り上げて、ストーリーの中で、彼に、思想を語らせています。「十字蜘蛛」などの比喩は、「聖職者」と直接に表現するよりも、読者の心に残ります。ほとんどの章を、「ツァラトゥストラはこう言った」という文で終わらせることにより、章ごとに語られるばらばらな内容とは別に、各章がツァラトゥストラが語る思索の旅という、一段上の大きなストーリーを構成するパーツになっているという構造が、読者の心にすり込まれていきます。ツァラトゥストラは、「わたしの兄弟たち」に語りかけるときには、聞き手が十分に理解できるように、既に語り終えたストリーリーの中からこれから語る内容をおさらいしてくれたり、どの場面でそう考えるにいたったのかなどを、そのたびごとに、指摘してくれます。ツァラトゥストラは、一人で思念をめぐらすときも、常に読者を意識しています。読者の理解を助けるために、自らの行動をさかのぼって説明してくれます。

 ツァラトゥストラは、とんでもない皮肉屋さんです。大衆をこばかにしています。理解できない人間を容赦なく切り捨てていきます。自分の言葉に耳を傾ける者に対しては、高い場所から見下ろして、知識を与えてやるという態度を取ります。しかし、そういった傲慢なキャラクターを作り出す一方で、離れた場所から見渡してみると、「拙書を一人でも多くの方に読んでいただく」ための技巧が、散りばめられていました。

 「作品」として後世に残る文章には、それなりの工夫があるのだと思いました。


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