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岸辺の旅/湯本香樹実のあらすじと読書感想文

2014年4月27日 竹内みちまろ

岸辺の旅のあらすじ

 結婚して丸9年になる38歳の瑞希の元に、突然、3年前に行方不明になっていた夫で歯科大学で歯科の講師をしていた優介が帰ってきました。優介は、「ずっと歩いてこなくちゃならなかったから」「俺の体は、とうに海の底で蟹に喰われてしまったんだよ」「きみが三年の間どしていたか、話してくれないか」などと、言い訳でもするかのような口調で語りかけてきました。

 夜明け前、優介は「出かける」と瑞希に告げます。優介の「燃やさなくちゃいけないものがあるんだろう」との言葉に「あ!」と気付いた瑞希は、クローゼットの奥から、優介の失踪後、人に勧められて始めた写経の半紙100枚の束を取り出します。瑞希が「どこへ?」と聞いても優介は「遠くだよ」としか答えません。瑞希は、半紙の束を持ち、優介の部屋がそのままにしてあるマンションの6階の家を、優介といっしょに出てました。

 瑞希は優介に連れられて、一泊限りの素泊まりを繰り返しながら、稲穂の中のあぜ道、海が山と同じ高さに見える峠道などを歩き、海辺の坂の町、見慣れる形の屋根が点在する丘の町らを通り過ぎます。緑に囲まれた入江に軍艦が停泊している港町で、旅に出て以来初めて話しかけられます。話しかけてきたのは、新聞屋を営んでいる島影という老人でしたが、「ユウサクさんのおかげで、飛躍的に発展いたしました」と、優介のことを「ユウサク」と呼びつつも、優介にパソコンの設定などをしてもらったことに感謝していました。

 島影さんの新聞屋をあとにした2人は、ひよどり中華料理店を営む神内さん宅に泊まります。そこも出た2人は、山の中に突然現れた集落でバスを降り、星谷老人の家に泊まり、畑を手伝います。瑞希が「私たち、優介がいなくなったときと同じ道を辿っているの?」と尋ねると、優介は「いや、さかさま」と答えました。

岸辺の旅の読書感想文

 「岸辺の旅」は、死者を送る旅であり、生者が自分を見つめ直す旅でしたが、読み終えて、現代という時代を映す鏡にもなっていると思いました。

 優介の魂に連れられて旅に出た瑞希は、ときおり、住んでいた家や、子どものころに死んだ父親のことなどを思い出します。瑞希は、優介がいなくなってから優介を偲ぶ手がかりになればと優介の恋人の朋子に会ったりもして、瑞希は朋子にはわだかまりはありませんでしたが、優介の魂に朋子の話をすると、優介の魂は、「あの人も……朋子さんのことだが、親との関係が複雑でね」と告げてきたりしていました。優介が感情の起伏が激しかったことを朋子が知らなかったことに思いを馳せたりもします。優介は、突然、もう耐えられないといって辞表を出し、それから失踪していました。

 「岸辺の旅」の背景にあるものは、少子化や、核家族化や、精神の不安定や、人間関係の希薄化など、現代社会ではもはや日常になっている人々の風景だと思いました。

 同時に、2人の旅は、そんな現代社会からの脱出でもありました。旅先で出会う人たちには死の匂いが漂っていましたが、地に足をつけて地道に地道に生きている人々でもありました。

 瑞希が星谷老人の家で、しらたまを作る場面がありました。3つのしらたまをお椀に盛り、一つを星谷老人に渡します。仏壇のリンという音が響きました。

「しらたまを供えたのだろう。死んだ人のいない家はない」

 瑞希はもともと、夫が出勤したあとに、夫の机の引き出しを開けて中を覗き見るようなことは考えもしませんでしたが(優介を探す中で、かえって、それが「おかしい」ことであると実感していましたが)、旅を通じて、自分自身のこれまでの生活と、自分の中に流れていた時間、そして、家族や出会った人たちの心を感じたのかもしれません。

 瑞希は、決して幸せではなかったのかもしれませんが、温かい人々に囲まれて、自分の時間を積み重ねてきていたのだと思います。夫の机の引き出しを開けることなど考えつくことすらしないような誠実さを持つ(ある意味で)正常な人間に育ちました。しかし、現代社会は、当たり前に夫の机の引き出しを開けるような(ある意味で)異常な人たちには住みやすい場所かもしれませんが、瑞希にとっては暮らしにくい場所だったのかもしれません。

 瑞希は旅を続ける中で、「私が生まれるよりずっと前の時間も、死んだあとの時間もぜんぶ含めて、今の今、何ひとつ損なわれてなどいないのだ」と気が付きます。それは、田舎にやってきて、死者の魂と旅をする中でようやく思い出したことですが、都会のマンションで暮らしている中では、「死んだ人のいない家はない」などと感じることはありませんでした。

 瑞希の旅は、現代社会というものを浮き彫りにする合わせ鏡だったのかもしれないと思いました。


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