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花ざかりの森/三島由紀夫のあらすじと読書感想文

2012年3月15日 竹内みちまろ

 「花ざかりの森」は観念的な小説でした。あらすじと感想をメモしておきたいと思います。

花ざかりの森のあらすじ

序:自分とはなんのゆかりもない島へ来てから、不思議な老いづいた心が芽生えてきた「わたし」は、高台に立つと、「来し方へのもえるような郷愁をおぼえた」。「わたし」は、自分たちには大勢の祖先がいると思いをはせ、祖先はしばしば自分たちと邂逅するという。祖先は、「こんなにも厳しいものと美しいものとが離ればなれになってしまった時代を、かれらは夢みることさえできなかった」。

その一:「そのころ子どもはよく電車のゆめをみ」て、「父は町へつれて行ってくれるごとに子供ののぞみどおりにしばらく路線のそばの柵に立ってくれた」。

 祖母と母が住む母屋に父は普段はいなかった。「わたし」は幼な心にも父と母との別居をいぶかったが、夜に母が父のいおりへ急ぐ様子を見て、愉しい気持ちになった。祖母は神経痛を病み、わたしに薬を注ぐように頼んだ。母は「じぶんの言動に反省をもとめたことがな」く、「母は父に勝った」。「わたし」はある秋の日、「貧弱さえあ」る父が「じっと空をあおいで立っていた」様子を見た。

その二:「武家と公家の祖先をもっている」という「わたしはわたしの憧れの在処を知っている」。祖母の死後、煕明夫人(ひろあきふじん)の日記5冊と、古い家蔵本の聖書が見つかる。煕明夫人は「わたしたちのとおい祖先」で、「かの女はもえるような主の御弟子であった」。煕明夫人のある夏の日記にふれ、「わたし」は「夫人のみたもの」は何だったのかが「課題になった」。

その三(上):「わたしのほのかにとおい祖先のひとり」である「ある位たかい殿上人」にささげられた物語に、「わたし」は「わたしの血統ともはやたちきれぬえにし」を感じる。物語では、都を出た男と女が紀伊をめざし、やがて女がひとりで密かに逃れ出て、京の都へ赴き、尼になる。女は「海への怖れは憧れの変形ではあるまいか」などと記していた。

その三(下):「海がわたしの家系ともっている縁(えにし)の、もうひとつの例証として」、写真屋の箔押しがしてある「祖母の叔母なるひとのやさしいかたみ」という1枚の写真がある。「わたし」には写真の場所がわからなかったが、祖母は写真を手に取るごとに、「ついぞつかわれぬ祖先の仏間」と「わたし」に話した。

 一家が東京へ引き移る時、少女だった「かの女」は、死んだ兄の不思議な言葉がおぼろげながらわかるように思われ、「海をみることにしだいに満ちたりた心を感じなくなりかけていた」。「かの女」は「おのがあこがれをつよめることによって、かの女みずからをつよめ」、そして、「あこがれに没入した」。避暑のならわしがなかったため海を見ない夏が続き、「夫人」は、夫に満ち足りたものを感じられないのは、「たとえば『夏』のようなじぶんのあこがれの対象が夫のなかに存在せぬからだとはすこしもきづかずに」、「こころ足らぬおもいをした」。「あの花やかな写真がとられたのはそんな夏のひとひである」。夫人は、この部屋ではつまらないから、仏間で写真を撮ろうと言い始め、写真師はあっけにとられた。仏間は、かつては「かれの『場所』であった」。写真を写してから6日後に「伯爵はみまかった」。再婚した夫は「うまれがいやしかった」。夫は東京に住まいを求めたが、「夫人」のほうで、椰子の森に夕日がさす南の国へ誘った。「夫人」はまもなく夫と別れて帰国し、いなかに広い家を建て、「ひとり身の尼のようなくらし」を40年近く続けて死んだ。そこは裏手に、海を臨む高台があり、「まろうど」は、理由のわからない不安に胸がせまり、真っ白な空を眺めた。「『死』にとなりあわせのようにまろうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきわまって独楽(こま)の澄むような静謐、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。……」

花ざかりの森の読書感想文

 冒頭にも書きましたが、「花ざかりの森」は観念的な作品でした。細かく読み解いていけば、情報を詳細に分析することもできるのでしょうが、そういった読み方をするよりも、この作品は、目の前にある文章と、一つ一つゆっくりと、対面しながら読んだほうがよいのではと思いました。

 「花ざかりの森」には詩的な場面がたくさんありました。「夫人」が仏間で写真を撮ろうと言い始める場面がその一つです。かつては写真は高価なもので、写真屋を呼んでわざわざ撮るのは一つのイベントだったのだろうと思います。たとえば、「女中」は「奉公」を終えた家を出るとき、生まれてからずっと面倒を見ていたその家の子とわざわざ写真屋を呼んで写真を撮り、別の場所へ行っても肌身離さず持っていたというような話を聞きます。そのような場面は想像するだけで、何か言葉では説明のできない、せつなさや、悲しさのようなものが漂いますが、三島由紀夫は、それこそ子どものころから、生活の中でそういった場面に出会うたびに、心の中に詩を降り積もらせていたのではないかと思いました。

 「花ざかりの森」には、そういった三島由紀夫の中に積もっていた詩が反映しているように感じ、また、子どものころの三島由紀夫は、お母さん子か、おばあちゃん子か、いずれにせよ女性のそばにいることが多かったのかもしれないと思いました。


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