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風の歌を聴け/村上春樹のあらすじと読書感想文(ネタバレ)

2013年4月8日 竹内みちまろ

 『風の歌を聴け』(村上春樹)を読みました。あらすじと読書感想文をメモしておきたいと思います。

 『風の歌を聴け』は、神戸で18年間暮らし、東京の大学に進学した20歳の「僕」のひと夏を、29歳の「僕」が回想する物語です。20歳の「僕」が過ごしたのは1970年8月。神戸に帰省中で東京に戻るまでの「僕」の18日間が語られます。

 「僕」は、兄と交代で父親の靴を何年も磨き続けるような家の出身で、自由に乗り回すことができる車を持っています(土地柄として、どの家も車を1、2代は所有していると記されていますが、1970年のこと)。「僕」よりももっと裕福な家に生まれた鼠というひとつ年上の男と、中国人の「ジェイ」がバーテンをする「ジェイズ・バー」で飲み暮らします。酔ったまま洗面所で寝ていた片手の指が4本しかない女(8歳の時に電気掃除機のモーターに指を入れて吹っ飛んだと女は説明)と知り合います。夏が終わりに近づくと、鼠は大学は止めたことを語り、4本しか指がない女は「あなたがいなくなると寂しくなりそうな気がするわ。」と告げます。「僕」は東京へ戻りました。

 『風の歌を聴け』には、主人公がいて、ヒロインがいて、敵が立ちはだかってというようなストーリーはありませんでした。冒頭で、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」という大学生の頃に知り合ったある作家の言葉が引用されています。「僕」は、高校生の終わり頃から数年に渡り、「心に思うことの半分しか口に出すまいと決心」します。「もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値など失くなってしまうのかもしれない」とも。そして、20歳を過ぎた頃からずっと、「何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われる」ようになり、8年間、ジレンマを抱き続けます。そして、29歳になり、「今、僕は語ろうと思う」と書きます。しかし、肝心とも思える、語られるべき物語は何ひとつ語られず、ひと夏の倦怠感に満ちた時間が語られます。

 なぜ、「僕」は語らないのだろうと思いました。また、登場人物たちのドラマは、なぜ、語られないのだろうと思いました。

 「僕」を含めて、登場人物たちがみんなドラマを持っていることが伝わってきました。例えば、ジェイズ・バーで「僕」から電話をするための小銭を借りた派手なワンピースを着た30歳くらいの女は、「私も昔は学生だったわ。60年ごろね。良い時代よ。」と口にします。しかし、「僕」が「どんなところが?」と聞いても、何も答えません。鼠も、大学を止めた理由を問われ、「さあね、うんざりしたからだろう?」「自分と同じくらいに他人のことも考えたし、おかげでお巡りにも殴られた。だけどさ、時が来ればみんな自分の持ち場に結局は戻っていく。俺だけは戻る場所がなかったんだ。椅子取りゲームみたいなもんだよ」としか語りません。大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生は、テニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死にましたが、「何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う」と語られます。そんな「僕」は、「新宿で最も激しいデモが吹き荒れた夜」に、新宿駅でピッピーの女の子と知り合い、催涙ガスのおかげで目がチクチクする中、女の子を改札から引きずり出しましたが、「僕」は新宿で何をしていたのかは語られません。4本しか指がない女に機動隊員に叩き折られた前歯の跡を見せ、「じゃあ、意味なんてないじゃない?」「歯まで折られた意味よ。」と言われ、「ないさ。」と答える場面もありました。その女にしても、子どもを中絶した後、「僕」の胸に顔を埋めて眠り、「お母さん……。」とつぶやきます。しかし、女の物語は語られません。

 ひとつだけ、心がほっとするドラマがありました。それは、いつもはおちゃらけたラジオのDJがその時だけは真面目に読者ハガキを紹介する場面でした。ハガキは、脊髄の病気で入院生活を送る17歳の少女からのものでしたが、ハガキはずっと付き添ってくれている姉に代筆してもらっていると記されていました。その姉は、高校時代の「僕」にレコードを貸してくれた女性で、「僕」は姉の行方を、卒業名簿を調べ、大学やアパートに電話をしたりして調べたのですが、姉は大学を止めて、引っ越したというところまでしかわかりませんでした。なぜ、「僕」が姉の行方をそれほど必死になって探したのかは、言葉では説明できない領域ですが、『風の歌を聴け』の中で「僕」が唯一、意志を持って主体的に行動していた場面なので鬼気迫るものを感じました。DJは病室の明かりが見えるかもしれないと思って夕方に港まで行き、山の方を眺めたそうです。すぐ後、「僕」が東京へ帰るあいさつのためにジェイズ・バーに顔を出す場面に移ってしまうのですが、姉には姉のドラマがあり、姉と「僕」は連絡が取れたわけではなく、また、「僕」は何も語りませんが、姉の物語が、「僕」の心に入っていったことがわかりました。そして、他の人にとっては取るに足らないことでも、「僕」は、姉の物語を物語として受け入れるだけの心を持っているのだなと思いました。

 『風の歌を聴け』は、物語としては何も語られませんが、確かにそこに物語が存在していることが描かれた作品でした。そして、姉の物語が妹によって語られたように、物語たちは、語られることを待っているのかもしれないと思いました。


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