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にごりえ/樋口一葉あらすじと読書感想文

2005年11月28日 竹内みちまろ

にごりえ/樋口一葉のあらすじ

 「にごりえ」のあらすじを簡単に紹介します。舞台は、遊郭です。主な登場人物は、三人です。

・お力、遊郭の一枚看板です。
・源七、お力に入れ込んで身を滅ぼした男です。妻子があります。
・結城、悪い男です。無口です。冷酷です。無職です。道楽者です。妻子はありません。

 「にごりえ」は八つの章からなる小説です。遊郭の看板娘であるお力が結城に引かれていく姿を描きながら、源七の物語が併走するという構造になっています。ストーリーを章にそってご紹介します。

1、遊郭とお力の紹介、源七の紹介です。
2、結城が遊郭に来ます。お力が接待。結城が帰ります。
3、場面は遊郭。結城の人物像が紹介されます。お力が、源七の子から鬼と言われるというエピソードがあります。
4、源七の家の様子です。極貧ですが、それなりに温かいです。
5、お力が、繁盛する遊郭から中座します。お力のやるせなさがこれでもかというくらいに描かれます。夜店の並ぶ小路で、結城がお力の肩を叩きます。
6、お力と結城が遊郭に戻ります。お力は、今夜は飲みたい気分です。酔って身の上話をはじめます。クライマックスです。
7、源七の家の様子が描かれます。お力に入れ込んだために、どうにもなりません。
8、人の噂話です。源七がお力を切りました。返す刀で切腹。

闇の中で

 「にごりえ」のクライマックスは、六つ目の章だと思いました。その一つ前の章から遊郭の様子が描かれています。なにやらイベントがあった日なのでしょうか、遊郭は大賑わいです。しかし、看板娘のお力は、じきに帰るからと言って、うしろもふり返らずに、下駄を引っかけて、横町の闇の中へ逃げ込んでしまいました。お力は、このまま天竺の果てまでも行ってしまいたいと思います。「ああ嫌だ嫌だ嫌だ」、「つまらぬ」、「くだらぬ」、「面白くない」、「これが一生か、一生がこれか」と煩悶します。しかし、自分の声がどこからともなく響いてくるのを聞いて、「仕方がない」とあきらめます。祖父や父と同じように、自分も「幾代もの恨みを背負」って生まれたのだし、哀れと思ってくれる人は誰もいないし、悲しいと言えば商売柄を言われて一蹴されるし、しょせんは人並みに生きようと思うことが無理なんだと思って、馬鹿らしくなります。このあたりの描写は、読み応えがあります。読み惚れました。お力は、夜店が並ぶ小路に出ると、賑やかな人ごみの中で、自分ひとりは冬枯れの荒野を歩くような錯覚を覚えます。そんなときに、結城に肩を叩かれました。六つ目の章へと進みます。

マッチをすらなければ生きていけない女

 お力と結城は、遊郭に戻ります。看板娘であるお力は、一階の客にはあいさつもせずに、結城を連れて二階に上がってしまいました。ここから、お力の長い独白がはじまります。お力は、今夜は、飲みたい気分です。杯を重ねて行きます。お力は、自分を妻にと言ってくれた馴染みの客もいましたが、どうしても、「はい」とは言えなかったことを語ります。

「持たれたら嬉しいか、添うたら本望か、それが私には分りませぬ」

 お力の話は、身の上話へと変わって行きます。祖父や父がどんなに世の中に受けいれられなかったかや、貧しくて惨めな思いをしてきたかを語ります。結城は、無口な男です。お力は、もうこんな話はやめますと言います。結城は、遠慮はいらんと返します。結城は、あいづちだけを打ちながら、お力に存分に話させます。お力は、そんな結城のやさしさに、ほだされたようです。お力は、自分は何も望んでいないという姿勢を崩さずに、あきらめきった自虐的な話ばかりをしてきました。しかし、結城のやさしさを垣間見たお力は、心の中で、何かが変わったのかもしれません。父親のことを語りながら、お力は、それまでとは少し違ったことを言いはじめました。お力は、「親なれば褒めるではないけれど細工は誠に名人と言ふてもよろしいござんした、なれども名人だとて上手だとて私等の家のやうに生まれついたは何にもなる事は出来ないのでござんせふ、我身の上にも知れまする」と言って、もの思いにふけりました。お力が、はじめて結城にもらした弱気ではないかと思いました。父親だって名人の腕を持っていたという言葉に込められた意図は、自分だって環境が違えばいくらでも違ったように生きられるという思いではないかと思いました。お力は、もしかしたら、結城に、「もう何も言うな。黙って俺の妻になれ」と言って欲しかったのかもしれないと思いました。お力も、自分がどうにもならないことを知っています。しかし、それでも、お力は、マッチをすったのかもしれないと思いました。結城は、やさしそうに見えます。結城がどう答えるのかは、わかりません。しかし、マッチをすれば、少なくとも、指でマッチをつまんでいる間は、お力は、夢を見ることが出来ます。

マッチをすることすら許さない一葉

 「にごりえ」のクライマックスは、お力がもの思いにふけった瞬間からはじまると思いました。背筋がゾクゾクしました。結城は、お力がもの思いにふけった瞬間に、だしぬけに、「お前は出世を望むな」と言いました。お力は、「えっ」と、一瞬、驚きます。「望むな」は感嘆だと思いますが、むなしいといいますか、せつないです。お力は、言葉短く結城に答えて、最後に「此様な身でござんす」と言ったきり、絶句しました。

 しかし、ドラマは、ここからはじまりました。六つ目の章には、その後の様子が短く付け足されていました。そのさめた短い文章の中に、「女が自分の身を焼く炎」を見たような気がしました。お力と結城は、押し黙りましたが、一階には、いつのまにか、誰もいなくなっていました。遊郭の表の雨戸が閉められようとします。結城は、あわてて帰ろうとします。その瞬間に、お力の瞳に、炎が宿ったのかもしれません。お力は、結城を、帰しませんでした。お力は、今夜一晩だけは、なんとしても、結城を帰しませんでした。お力は、結城の履物を隠してしまいました。遊郭の雨戸が閉めれました。燈火が消されました。巡回する夜行の巡査の足音だけが響きます。

 その後は、サブストーリーの主人公である源七がある行動に出るまでの姿が描かれます。「にごりえ」は、源七が、物語に幕をつけたことが人びとの噂話の形をとって紹介されて、終ります。最後は結局は何も描かれずに、うしろ姿だけを残して読者の前から消えてしまったお力が、とても、印象に残っています。せつなくて、上品で、美しい小説だと思いました。

にごりえ/樋口一葉の読書感想文

 結城は、傍観者と言いますか、自分の世界を持っている男で、他人の世界(=お力の世界)とは一線を引いていて、お力が自分の世界に踏み込んでくることをどこかで拒んでいるような印象を受けました。結城についてはどんな人物なのかはあまり語られていませんが、はたから見たら(お力が結城をそのように見ていたかどうかとは別の次元の現象として)さめていて、何を考えているのかがわからないから不気味、または、ときに冷酷とも映るタイプかもしれないと思いました。お力が自虐的といいますか、ひねくれた口調で、こんな話を聞いてもつまらないでしょうと告げても、「いや遠慮は無沙汰」と返して、自分はポーカーフェイスを保ちながらお力に思う存分にしゃべらせるあたりは、なんというか、飲んで、酔って、どんちゃん騒ぎをしてそれで満足というだんな衆とは違って、ある意味ではにくいやつ、別の表現を使えば、恐ろしいやつでもあるような気がしました。いずれにせよ、普通の男ではないように感じられました。

 また、お力の自虐性、あるいは、あきらめというものも強く感じられました。たしかに、建て前としては「女性だって騎兵にも大学教授にもなれる(江藤淳)」時代だったと主張することは可能なのかもしれませんが、現実としては、そんな言葉に納得する人は誰もいないわけで、例えば、現代においても、大臣にだって、オリンピック選手にだってなる可能性は誰にでもあるという主張を否定することはできませんが、持って生まれた才能というものは人それぞれですし、生まれてからの環境や、生き方や、考え方というものも、自分の意思に左右されることもありますが同時に自分ではどうにもできない外部環境の制約を受けます。また、現実としては、大臣もオリンピック選手もその多くは二世、三世なわけで、可能性うんぬんを考える前に、多くの人はあきらめてしまう、あるいは、たとえ才能と情熱があったとしても、いい悪いは別にして、別の道を選択する、あるいは、自分の中で折り合いをつけて、自分の人生をマネージメントしていくのが現実であるような気がします。ただ、お力に関しては、時代うんぬんや、女性うんぬんということとは別の次元の現象として、不器用な生き方をしているなあと思われました。「朝夕を嘘の中に送る」、飲まなきゃやってられないから飲んでしまう(それを見抜いてから「お力酒だけは少しひかへろ」とは二度と言わなくなった結城は、はやり、ただ者ではありません)、「幾代もの恨みを背負て出た私なれば」、「私等が家のように生まれついたは何にもなる事は出来ないので御座んせう」あたりを読むと、自虐性が強く感じられました。もちろん、反語というものがあります。例えば、和歌で、「人に会えない」とあったら、「いとしいあの人にはもう会うことができない。しかし、それでも会いたい」という意味を持ちます。「何にもなる事は出来ない」という言葉は、「何にもなる事は出来ない。しかし、それでも私は何者かになりたい」という意味を持つのかもしれません。お力は「まあ其様な悪者に見えまするか」と空を見上げて息をつくような人ですので、あえて口に出さないことを手段として口に出したこと以上の心を伝える表現力を持っていることが予想されます。ただ、「添うたら本望か、夫れが私は分りませぬ」という言葉が、文字通りに「結婚して夫婦ものになることが自分がほんとうに望んでいることなのかどうかが私にはわかりません」という意味だけなのか、あるいは、その後ろに「しかし、それでも、私は(結城の)奥さんになりたいのです」と付くのかは人により解釈が分かれるのかもしれません。

 最後になりますが、「にごりえ」を読み返して一番に伝わってきたのは、お力や結城の生きざまを、どこか別の場所から静かに見つめている一葉「まなざし」でした。


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