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2013年1月26日 竹内みちまろ
4月から寛政大学の4年生になる清瀬灰二は、大学から徒歩5分で家賃3万円のボロアパート「竹青荘」に住んでいます。行きつけの銭湯・鶴の湯からの帰り道、逃げていく万引き犯の男とすれ違います。灰二は、同行者から自転車をもぎ取り、「あいつだ。俺がずっと探していたのは」と確信し、追いかけます。街灯の下で男が振り返ると、灰二は、「きみだったのか」と思い、「ああ」と声をもらします。男は、春から寛政大学に入学する蔵原走(かける)で、名門・仙台城西高校の陸上部員でしたが、管理指導を徹底する監督を殴って退部、陸上部を期間限定で活動停止にしたいわくつきの男でした。
灰二も陸上選手でした。高校の時に脚を故障し、箱根駅伝の名門・六道大から推薦で入学を誘われましたが、断って、一般入試で、寛政大に入学していました。灰二の父親は高校の陸上指導者で、灰二は父親がいる高校に入学し長距離選手になりました。足に違和感があっても父親に言えず、走り込みのノルマをやめることをしませんでした。六道大には灰二のチームメイトで親友の藤岡が入学していました。藤岡は足を故障した灰二を励まし、灰二の父親もあせるなと灰二へ声をかけましたが、灰二は考えたすえ、寛政大学に入学しました。しかし、走れなくなり、そして、走りと距離を置くようになって、かえって、走りたくなっていました。竹青荘には1階に4部屋、2階に5部屋あります。現在、204号室に双子の城太郎、次郎兄弟が住んでいます。空き部屋の103号室が埋まれば、竹青荘の住人は10人となり、それで、箱根駅伝に出場できると、灰二は考えていました。灰二にとっては、最後の、そして最大のチャンスでした。
万引きして逃げる走の横に自転車で追いついた灰二は、「走るのは好きか?」と尋ねます。走は、親からは、金は出すから勝手にしろと言われ東京に出てきていましたが、アパートの契約金を雀荘で失い、大学の体育館の横で野宿していました。灰二は、走のことを知っていましたが、そのことは知らせず、走が寛政大学に入学することを知ると、「後輩だとわかったからには、捨て置けないだろう」と、走を竹青荘に誘いました。竹青荘の住人が10人になりました。東京から箱根を往復する箱根駅伝に挑戦することができます。
竹青荘では、灰二が朝食を作っていました。長距離を走るための食事でした。走は、オリンピック選手としても期待され、暴力沙汰を起こすまでは、あらゆる大学から声を掛けられるほどの選手でした。走は、管理指導を徹底する監督も気に入りませんでしたが、何よりも、組織の思惑や功名心にがんじがらめにされた運営にいらだち、自由に走りたいと思っていました。
灰二は、「ちょっと聞いてくれ。大事な話がある」と竹青荘の住人に切り出します。「十人の力を合わせて、スポーツで頂点を取る」と宣言します。「うまくいけば、女にモテるし就職にも有利になるだろう」とおだて、「目指すは箱根駅伝だ」と打ち明けました。走は、「ハイジさんは箱根を目指すと言ったけれど、はっきりいってそれは無理です」と告げます。灰二と走は、現在も毎日のジョギングを欠かさないトップランナーでしたが、ほかの8名は、高校で陸上経験があるものが1名、サッカーや剣道などスポーツをやっていたものが数名いるだけで、長距離に関してはまったくの素人でした。
灰二の宣言に対して、「箱根は綺麗事だけで手が届くような大会じゃない」などの声があがりますが、物静かで堅実な“神童”こと3年生の杉山高志が「僕はやってみてもいいな」と声をあげます。双子のジョータとジョージが、女の子にもてる? 就職が安泰ってほんと? と続き、キングこと4年生の坂口洋平も、「よっしゃ。ハイジの野望に協力してやろうじゃないか!」と声をあげます。
10人の胸中はさまざまでした。なぜ走るのかを考える者、走りの先に何があるのかを追い求める者、箱根駅伝に出場できるか否かで灰二と走の今後が変わってくると思いタバコへ伸ばした手を戻す者、心の中で「よかったな、ハイジ」とつぶやく者、一度でいいから何かに全力で取り組む仲間に入ってみたかった者……。それぞれが思いを胸に、灰二が作った練習メニューを毎日こなすようになりました。脱落する者は一人もいませんでした。最初は、熱もすぐにさめると様子を見ていた走も、いつの間にか、「俺はなにかを期待しているらしい」と思うようになります。
こうして、箱根駅伝がある限り語り継がれることになる、10人だけの素人チームが作った箱根駅伝の伝説が始まりました。
「風が強く吹いている」は、読み終えて、「走はなぜ走るのか」「灰二の走れなくなっても悔いはないという覚悟の強さ」「人はなぜ競うのか」など、いろいろなことを考えました。そして、走は気づいていなかったようですが、灰二にはわかっていた、走が「ゾーン」に入っていたという現象が印象に残りました。「ゾーン」は、トップアスリートにだけ起こり、集中力と緊張が心身ともに極限状態になる試合中にのみ発生。走は、「なんだろう、この感覚。熱狂と紙一重の静寂。とても静かだ」と感じていました。ランナーズ・ハイとは違った「ゾーン」は、人間に起こりうる神の領域に一番近づく現象で、自分では自覚していないのかもしれませんが、トップアスリートであり、選ばれた人間である走にだけ起こり、もはや、選ばれた人間ではなくなってしまったことを思い知ってしまった灰二には、決して訪れることはない現象かもしれません。走を通して、その未知の領域を見てみたいという灰二の興奮が伝わってきました。
今回は、色々と思い浮かんだ中から、灰二の、組織マネージメントという観点から感想をメモしておきたいと思います。
箱根駅伝はいうまでもなくチーム競技です。補欠も含めて10人以上がエントリーでき、当日の走者の変更も可能なのですが、竹青荘には住人が10人しかおらず、灰二は熟考の末、新入部員の希望者を断っていました。結果として、レギュラー争いは起きないのですが、一方で、当日、ケガなどが起きたら終わりです。灰二がそのハイリスク・ハイリターンの寛政大チームを運営する手法が印象に残りました。
まず、箱根駅伝に出ると宣言したあと、新参住人である走を除く8人は、なんだかんだ言って、けっこうあっさりと、いっしょにやると言い始めました。灰二の普段からの姿を見ており、中には、灰二の過去をある程度知っている者もいるようでした。それも含めて、灰二の人徳だと思いました。
また、無理をせずに、あれこれ強要しない灰二の組織運営手法も見事だと思いました。理論を重んじる者には納得するまで何度も説明して聞かせ、試合中も、「双子はまあ、放っておいても平気だろう、不安があれば、自分から電話してくる性格だからな」と一人一人の性格を把握しています。同時に、刺激があると知らされるとそこへ行って確かめなければ気が済まないジョータには「ラスト一キロが踏ん張りどころだ。なにを見ても動揺するな」と、かえって何が待っているのだろうと刺激するような伝言を送ります。住人たちの中には、灰二の手のひらの上で踊らされていると感じる者もいましたが、それすらも心地よく思わせるだけのものを灰二は持っていました。
灰二は竹青荘の住人に対して、たびたび強権を発動しました。が、「走りに不慣れな住人たちを責めたりは決してしなかったし、それぞれの感情と誇りをないがしろにも」しませんでした。合宿前のころから、チームの中で反発する者が出始めると、灰二が一歩下がって、竹青荘の大家でもある監督に「訓示」を垂れさせるというバランスも見せます。大家が、商店街の人たちへ、竹青荘の住人たちが何やらおもしろいことをやり始めたと盛んに吹聴し、あとには引けない環境を、外部に作ってしまっていたことも大きかったと思います。一人が行動を起こし、仲間が集まり、ことが動き始めると、神童とムサが、「箱根駅伝を目指しています!! 寛政大学陸上競技部 後援者募集中」と、白いTシャツの背中にマジックで書いて走ったりと、意外な人から意外な行動が生まれたりします。何事も、やってみなければ何も始まらないのだなと思いました。
また、灰二が、箱根駅伝の最後の十区は、自分が責任を持って走ると宣言したことも大きかったと思います。そして、一区から九区まで、それぞれの力が最大に発揮できるよう、戦略を立てていました。箱根駅伝に至る道のりでも、いきなり箱根の距離を走るのではなく、まずは、5000メートルから初めて、徐々に、達成可能な次の目標を立てていく運営手法も見事です。マネージメントという観点からも、「風が強く吹いている」には参考になるエピソードが満載だなと思いました。
しかし、一番大切なのは、灰二が素人10人で箱根駅伝を目指すという行動を起こし、そのためにチームをマネージメントし続けた動機だと思いました。灰二の動機は、自己の存在証明でも、反抗や復讐でも、けじめでもなく、「走れなくなってはじめて、走りたいと心から思った。今度こそ、だれかに強制されるのではなく自分の頭で考えて、走ることを真剣に望むひとと一緒に、夢を見たいと思った」「俺は証明したかったんだ。弱小部でも、素人でも、地力と情熱があれば走ることはできる。だれかの言いなりにならなくても、二本の脚でどこまででも走っていける。俺は、箱根駅伝でそのことを証明したいと、ずっと願ってきた」という、利害のいっさい入り込まない、純粋な思いだった点ではないかと思いました。
もちろん、灰二は、「なぜ走るのか?」「走ってどうなるのか?」などと質問されても、万民を納得させるだけの答えは持っていなかったと思います。しかし、それでも「走る」という決意と情熱があり、そういった決意と情熱を持った人間が1人でもいて行動を起こせば、やり方しだいでは、どんなことも可能になるのかもしれないと、「風が強く吹いている」を読み終えて、思いました。
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