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最後の一句/森鴎外のあらすじと読書感想文

2012年11月24日 竹内みちまろ

最後の一句のあらすじ

 江戸時代の元文3年11月、大阪でのこと。高札で、船乗り業の桂屋太郎兵衛を、3日間さらしたうえ、斬罪に処すとの達しがありました。太郎兵衛の死罪の知らせは、世間との交わりを丸2年ほど断っている太郎兵衛の家にも、妻の母親から伝わりました。

 太郎兵衛は、船を所有しており、新七という船乗りを雇って、秋田から米を運ぶ運送業をしていました。元文元年のこと、秋田から米を積んで出航した太郎兵衛の船が波風に遭い、積み荷の半分を流出し、新七は残った米を売って大阪へ戻ってきました。新七は、難破したことはどこの港にも知れ渡っているので、この金は米主に返さずに、あとの船を仕立てるために使おうと告げます。難破という損失に遭った太郎兵衛は、目の前に現金を並べられ、つい、金を受け取ってしまいました。米主が訴え出て、新七は逃走。太郎兵衛はお縄となりました。

 太郎兵衛の家には、妻と、長女いち(16歳)、次女まつ(14歳)、養子の長男・長太郎(12)、三女とく(8歳)、次男・初五郎(6歳)がいました。いちは、襖の陰で、祖母と母親の話を聞き、太郎兵衛が死罪になることを知ります。いちは、自分たち子どもの命と引き換えに父親の命を助けてほしいという願書を書くことを思い立ちます。夜に気配をさっしたまつに、「それをお奉行さんがきいてくだすって、おとっさんが助かれば、そえでいい。子供はほんとうに皆ころされるやら、わたしがころされて、小さいものは助かるやら、それはわからない」などと伝え、翌朝、まつと、「おいらもゆく」と起きだした長太郎を連れ、いちは、奉行所へ、願書を出しにいきました。

 いちの願書は「ふつつかな文字で書いてはあるが、条理がよく整っていて、おとなでもこれだけの短文に、これだけの事がらを買くのは、容易であるまいと思われるほど」でした。奉行、町年寄らの同席で、太郎兵衛の妻と5人の子どもへの尋問が行われます。いちは、願書は、誰かに相談したり、教えられたことではないと、きっぱりと答えます。

 「今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもいいか。」とただされます。いちは、「よろしゅうございます」と、冷ややかな調子で答え、「少し間を置いて、何か心に浮かんだらしく、『お上の事には間違いはございますまいから』」と言い足しました。奉行の顔に、「不意打ちに会ったような、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、険しくなった目が、いちの面に注がれた。憎悪を帯びた驚異の目とでも言おうか」

 いちは、「変な小娘だ」といわれ、何かが憑いているのではとさえいわれますが、太郎兵衛は、大嘗会の開催が決定したことによる恩赦で、死罪から追放へ減免。家族は、太郎兵衛と会い、別れを告げることができました。

最後の一句の読書感想文

 長女いちの口から出た「お上の事には間違いはございますまいから」という言葉と、その言葉に恐怖さえ感じたと読み取れる奉行の顔色の変化から、人間の尊厳とでも呼べるものを感じました。

 出来心とはいえ、太郎兵衛がやったことは罪に問われることは間違いないと思います。いちの、おとっさんさえ助かればという心にも偽りはないと思います。「少し間を置いて、何か心に浮かんだ」ことは、そのが何なのかを理屈では説明できず、いち自身にも理解できないものだと思います。しかし、そんないちの口から、法制度を必要とする人間社会の中へ、素朴な言葉が解き放たれると、偽りがなく、さらに、いちが素朴で純粋であるがゆえに別の力を持つのかもしれえないと思いました。

 明文化された決まり、先例、ルールというものはもちろん必要ですが、それ以前に、人間には尊厳というものがあります。「お上の事には間違いはございますまいから」という言葉も尊厳であり、同時に、社会や法制度の根底にあるものは、利便性や、多数決や権力争いに勝ったものの利害や、社会の円滑な運営や、組織の倫理などではなく、人間の尊厳なのだと思いました。


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