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舞姫/森鴎外のあらすじと読書感想文

2011年8月29日 竹内みちまろ

舞姫/森鴎外のあらすじ

 5年前に官命でドイツに洋行した「余(=太田豊太郎)」は、船旅の途上にあるが、今夜はカルタ仲間も寄港先で宿をとり、独り船に残っている。もっとも、航海の習いとして長い船旅の間に交流を深めてなぐさめあうことをせず、「余」は、「浮世のうきふしをも知りたり」「人の心の頼みがたきは言うも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり」と感傷的に洋行の日々を振り返っている。はじめは「一抹の雲のごとく我が心をかすめ」た「恨」は、日ごとに「惨痛をわれに負わせ」、今は心の奥に凝り固まった一点の陰りになっているが、手紙を読んだり、何かをするたびごとに心を苦しめ、今夜は辺りに人もいないので、その「恨」の概略をつづることにした。

 一人っ子の「余」は、幼いころに父を亡くしたが、勉強に励み、19歳の時に学士の称号を得て、省庁に勤め、故郷の母を東京に呼び、3年ほど楽しい日々を送っていたところ、官長の覚えがよく、官費留学の機会を得て、ベルリンへ行った。

 プロシアの官員は快く迎えてくれ、ドイツ語、フランス語を学び、政治学を修めようと大学に入った。また、ヨーロッパの華やかさに目を奪われるも、「心をば動かさじ」の固い決意を持っていた。そうして3年は、父の遺言と母の教えを守り、官長の期待に応えようと「所動的、器械的の人物」になって励んでいたが、25歳になり、長く大学の自由な空気に触れているうちに、自分は政治家にも、法律家にもふさわしくないと悟った。官長に出す書に法律の細分にこだわるべきでないなどと書いたり、母は「余」を「活(い)きたる辞書」にしたいのだと憤ったり、大学で法科をよそにして歴史・文学に心を寄せたりしていた。

 このころ、ベルリンの留学生の中に、酒やビリヤードなどに付き合わない「余」をあざけり、ねたむ集団がいたが、「余」の勤勉を、父を早くに亡くし母の手によって育てられた「弱くふびんなる心」からくることまでは見抜いていなかった。しかし、あざけり、ねたみに加え、カフェで客を待つ売春婦の元へ行かない「余」へ、猜疑を持つようになり、この猜疑が「余」の「えん罪」と転落を生み出す原因となった。

 ある夕暮れ、帰宅途中、閉ざされた古寺の扉に寄りかかって、声を忍んで泣く16、7歳の少女(=エリス)を見かけ、足音に驚き向けてきたエリスは「余」の心の底まで響いた。「臆病なる心は憐憫の情に打ち勝」ち、エリスへ声を掛け、我ながら声を掛けた大胆さにあきれた。「我を救い玉へ、君」とエリスがいうには、母は自分を打ち、明日は父の葬儀だというのに家には一銭の貯えもない。エリスに案内され、4階まで登り、かがんで入る扉からエリスの家に入ると、悪人相ではないが、困苦の刻まれた老婆がいた。エリスは、ヴェクトリア座の座頭の「抱へ」となって2年たつがこの期にいたり助けてくれると思った座長からかえって弱みにつけ込まれており困っている、助けて欲しいと告げられ、「その見上げたる目には、人に否とはいはせぬ媚態あり」て、「余」は、持ち合わせの銀貨では足りないので、時計を外して机の上に置き、質屋が太田を訪ねてきた時は金を払うのでこの時計で一時の急をしのぐよう告げた。「嗚呼、何等の悪因ぞ」と「余」がいうには、この時の恩を返そうとエリスは、終日読書に没頭する「余」の下で「一輪の名花を咲かせて」、「余」とエリスの「交(まじわり)」は頻繁になり、留学生のうちにも知られ、留学生たちは「余を以て色を舞姫の群に漁(ぎょ)するものとしたり」。

 名を明かすのははばかられるが留学生の中に事を好む者がいて、その者が、「余」が芝居に出入りし女優と交わっている官長に告げた。政治、法律をよそに文学、歴史に浸ることなどをおもしろく思っていなかった官長は「余」を免じた。公使がいうには、即時帰国する費用は支給するが、とどまる時は給付はなくなる。「余」は一週間の猶予をもらい煩悩していたが、母の死を知らせる、母直筆の手紙と、親類の手紙の2通を受け取る。

 「余とエリスとの交際は、この時までは余所目に見るより清白」で、エリスは、貧しさのために15歳のときに舞子の募集に応じて「恥ずかしき業(わざ)を教えられ」、今では、ヴェクトリア座第2位の地位にいる。しかし、生活は貧しく、エリスが「賤しき限りなる業に堕ち」ないのは、おとなしい性格と、剛気ある父の守護があったから。「余」との交際も読み書きを習うなど師弟の交流をも生んでいる。しかし、「余」の免官を聞き知ったとき、エリスは色を失い、母は「余」をうとんじ始める恐れがあるので免官のことは母親には知らせないよう告げた。「余」がエリスを愛でる気持ちはついには離れがたくなるところまで強くなり、「この行(おこなひ)ありしをあやしみ、又たそしる人もある」だろうが、エリスのいじらしく美しい姿は、悲痛にくれていた「余」の脳髄を射た。

 このまま帰郷しては学業半ばで戻ったという汚名を着ることになり、しかし、留まるにも学資を得る術がなく、一週間の猶予が終わろうとしていたとき、官報で「余」の免官を知った相沢謙吉が、東京で某新聞の編集長を説き、「余」は政治芸能記事を送るベルリン通信員になることができた。報酬はたかがしれていたが、エリスが母を説き「余」がエリスの家に住むことになった。2人の収入を合わせ、「憂きがなかにも楽しき月日を送」った。

 「余」は記者として駆け回り、ヨーロッパの皇帝たちの崩御やビスマルクの動向などは詳しくレポートした。いっぽう、学問は進まず、大学には籍こそあるが授業料を納めることができない状態だった。しかし、通信員の日々を重ねるごとに、それまで一つの道筋のみを走っていた知識が総合的になり、ドイツ新聞の社説もろくに読めない留学生仲間など夢にも知らない境地にいたった。

 明治21年の冬、2、3日前から舞台で卒倒し家にいたエリスが食べたものをことごとくはき出していた。エリスの母親がつわりだと気づいた。「嗚呼、さらぬだに覚束(おぼつか)なきは我身の行末なるに、若し真(まこと)なりせばいかにせまし」。

 日曜日、相沢からベルリンの消印の郵便が届き、急なことで事前に知らせられなかったが、大臣に同行してベルリンに来ていることと、大臣が「余」に会いたいというのですぐに来るようにとのことを告げてきた。エリスは「余」のために「ゲエロツク」という2列ボタンの服を着せ、「何となくわが豊太郎の君とは見えず」などと言うが、少し考えてから、「よしや富貴になり玉ふ日はありとも、われをば見棄て玉はじ」などと口にした。「余」は、立身出世はあきらめているので大臣には会いたくもない、旧友相沢に会いに行くだけだなどと告げ、車に乗った。

 大学にいた時は「余」の品行方正を激賞した相沢と会うことにためらいもあったが、相沢は現在の「余」のありさまは意に介さず、ただちに大臣に謁見し、急を要するドイツ語文書の翻訳を頼まれた。「余」と相沢は昼食を共にし、相沢は「余」のこれまでの行いをいさめるようなことはしなかった。しかし、エリスの話になったとき、学識と才能のある者がいつまで一少女にかかわって目的のない生活を送るのだ、大臣も免官当時のいきさつは知っているが今はただドイツ語ができる人材をほっしているのでここで能力を示せ、少女との関係はたとえ先方に誠があり情も深くなっていようが人となりを知ったうえでの恋ではなく慣習という惰性から生まれた交わりなので意を決して断て、などと忠告した。貧しい中でも今の生活は楽しく、エリスの愛は棄てがたいが、「わが弱き心」はどうしたらよいのか決めることができないので、友の忠告に従うことにした。

 大臣から頼まれた翻訳は一夜で完成し、その後も、大臣のホテルへ通った。はじめは要件しか口にしなかった大臣も、「余」に意見を求めたりするようになった。一月ばかりしたのち、大臣から、明日、ロシアへ行くが随行するか、と問われ、「余」は随行すると答えた。「余」は、自分が信じ頼む心を持った人の命には、内容を考えずに、すぐに同意の返事をして、あとになって、実行の難しさに気がついても、堪え忍んで命に従うことがたびたびあった。エリスは、貧血症で、医者からは普通の状態ではないと告げられ、座長からは休みが長くなれば籍を抜くぞと言われていたが、ロシア行きには心を悩ます様子は見せなかった。

 エリスは、ペテルブルクの「余」のもとに、起きたときのさみしさから、「余」を思う心の底の深さを知ったこと、「余」が日本へ帰る際には母親といっしょについていくことはたやすいが費用がないこと、母親と大きく争ったこと、いかなることがあっても私を棄てないでほしいこと、今はただ「余」のベルリンへの帰りを待っていることなどを手紙で書き送ってきた。「余」は、手紙を読み、自分の進退ひとつとっても、自分以外のひとのことでも、決断ありと自分で自分のこころに誇ってきたが、それがすべて順境にのみありて、逆境にはなかったことを恥じた。

 「余」はドイツに来て、自分の本領を悟ったと思い、器械的人物にはならないと誓ったりしたが、官長に足を縛られた鳥にすぎず、今は、大臣に足をしばられていると嘆いた。大臣からの信頼は厚いが、帰国後のことなどについては、相沢も公事なので明言はしない。大臣の一行とともに元日にベルリンへ戻ったが、車夫にかばんを持たせてはしごをあがろうとすると、エリスが駆け下りてきて抱きついた。「善くぞ帰り来玉ひし。帰り来玉はずば我命は絶えなんを」。「余」の心はこの時もまだ定まっていなかったが、刹那、「余」はエリスを抱き、エリスは「余」の肩で涙を流した。家に入ると、赤子の支度の白い木綿やレースがうず高く積まれており、エリスいわく「嗚呼、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり」など。

 数日後、大臣から呼び出され、大臣から、「余」に日本へ帰る意志があるか、滞留が長いので帰国にさしさわりがあるかを相沢に問うたら、さしさわりはありませんと答えてきたことを告げられた。「余」は、「あなやと思ひしが」、相沢の言葉を覆すこともできず、また、もしこの機会を失えば、日本を棄て、名誉を棄て、我が身がここで葬られることになるとの念にかられ、「嗚呼、何等の特操なき心ぞ、『承はり侍(はべ)り』と応へたるは」。「余」はエリスになんと言おうと思い悩みながら、夜半を過ぎて家に帰ったが、そのまま、倒れた。

 「余」が意識を取り戻したのは数週間のちだが、相沢がエリスに事情を話しており、「余」の看病をするエリスは、いたくやせて、血走った目はくぼみ、ほほがおちて別人のようになっていた。「此恩人(=相沢)は彼(=エリス)を精神的に殺ししなり」。

 のちに聞いたところによると、相沢が事情を告げたとき、エリスは「我豊太郎ぬし、かくまで我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に倒れ、覚めたときには、「余」の名を呼んでののしったり、髪をかきむしったり、布団を噛んだりした。精神を錯乱させたエリスは「パラノイア」と診断された。「余」と相沢はエリスの母親に細々とした生活を続けるに足る金を渡し、生まれてくる子どものことを託した。

「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裏に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」で、『舞姫』は終わる。

舞姫/森鴎外の読書感想文

 『舞姫』は有名な作品ですし、読書感想文の課題図書としてもおなじみだと思います。多くの読書感想文で、太田豊太郎は、評判が悪いような気がします。

 漱石が『こころ』で描いた自我の葛藤や、一葉が『にごりえ』で描いた自我の芽生えなどと比べてしまうと、豊太郎には自我というものがあまり見受けられないような気がしました。ことの顛末を相沢のせいにしたり、自分の「弱い心」は、父を早くに亡くし母の手ひとつで育てられたせいにしたりしています。しかし、父を早くに亡くし母の手ひとつで育てられたという現象は、結果として「弱い心」を生んだのかもしれませんが、あくまでも結果で、それを原因にしてしまう心のプロセスには、どこか、(現代的感覚でいうと)うさんくさいものが見え隠れするような気がします。

 『舞姫』は、終盤が盛り上がり、ラストが強烈なので、後半の印象が強いのですが、よく考えたら、作品は、帰国の船旅の途上にある「私」の回想でした。

 冒頭で、「私」の心の中にある「恨」の存在が語られます。読み終えてから改めて作品全体を見渡してみて、はたして、この「恨」とはなんなのだろうと思いました。ラストの相沢を憎む気持ちかなとも思えるのですが、この段階での「私」は「われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり」という状態です。たんに相沢という他者のことだけを考えているのではなく、「私」という自分にも目を向けています。しかし、『舞姫』では、「私」については、それ以上は語られません。

 豊太郎には、いきがってはいても自分は結局、官長や大臣の手のひらの上にいるだけではないかと思うとか、政治や法律には向かないことを悟り文学や歴史に浸るなど自己の適性を見出すとか、記者として泥臭い毎日を送るうちにかえって世の中が見えてきたことに気がつくなど、見どころのある面もあります。しかし、人生や、自我や、自己実現というものへの能動的態度といいますか、けっきょく、お前はどうしたいんだ、お前の意志はどうなんだ、という面が見えてこないことも確かです。一葉は、「にごりえ」で、ヒロインのお力に、嫁としてもらわれることがいいのかどうかそれがわからない、という近代的自我の芽生えともいうべき決定的せりふを言わせていますが、『舞姫』には、そのような決定的せりふと言いますか、読者をフリーズさせてしまうような魂を持った「言葉」がないようにも感じました。

 鴎外は、そのあたりをどう考えていたのだろう、と思いました。創作として、意図した上で、自我の気配のない人間・豊太郎を描ききっているのか、意図せずに自我の気配のない人間・豊太郎を結果として描いたのか、それが知りたいと思いました。

 豊太郎に訪れた幸せな日々、それは、省庁に勤め母を呼び寄せ送った3年ほどの楽しい日々や、留学生として器械的に過ごした3年間の楽しい日々や、エリスとの貧しいながらも過ごした楽しい日々なのですが、その時はそうとは気がつきませんがあとになって振り返ればかけがえのない日々だったことがわかる時間として、ほれぼれするほどに、上手に描かれていた気がします。それゆえに、冒頭の「私」は、すべてに失望したような時間を過ごしているのかもしれないと思いました。


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