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2014年10月5日 竹内みちまろ
「アンネの日記・増補新訂版」(アンネ・フランク/深町眞理子訳/文春文庫)を読みました。あらすじと感動をメモしておきたいと思います。
「アンネの日記」を最初に読んだのは、学生の頃で、20年近く前です。その時は、なんで「隠れ家」で暮らす人たちは、自ら自分たちの存在を知られてしまうようなことばかりするのだろうと思いました。具体的には、年がら年中、声を荒げて怒鳴りあいのケンカをしたり、カーテンをめくっては外を覗いたり、協力者たちにアレコレと頼みごとをしたりしていました。見つかってはならないことは明白なので、見つからないことを何よりも優先させて、ひっそりと静かに暮らしていればいいのに、と思いました。しかも、「隠れ家」の住人たちは、食べ物を独り占めしたり、自分のものは隠し持っておいて他の家族の食器や燃料ばかりを使ったりします。精神的にも、物質的にも極限状態ということはわかるのですが、なぜここまで自分勝手で、協調性がないのだろうと思いました。「隠れ家」での暮らしだからこそ、協調性が何よりも必要になり、人間としてまず第一に我慢をすることが大切だと思いました。しかし、隠れ家に暮らす人々は、「アンネの日記」を読む限りでは、協調性というものがまったくありませんでした。我慢をするということもありません。なぜ、この人たちは、自分勝手で、わがままばかりを主張するのだろうと思いました。
「アンネの日記」は、1942年6月12日から1944年8月1日まで記されています(アンネは13歳から15歳)。その大半は、アンネの家族が他の家族と共同生活を送った「隠れ家」(ドイツに占領されていたオランダのアムステルダム)で書かれました。1944年8月4日、隠れ家にやってきたナチス親衛隊幹部らによって、隠れ家にいたアンネやその家族を含む8名のユダヤ人が連行されました。隠れ家の階下の事務所で働いていた人々によって、アンネの日記は回収・保管され、戦後、アンネの死亡が確認されると、生還したアンネの父、オットー・フランクに渡されました。
連行された8人のうち、アンネと姉のマルゴーは、1945年の2月末から3月初めてかけて(推定)、チフスが大流行したベルゲン=ベルゼン強制収容所で死亡しました。「隠れ家」にいた8名のユダヤ人のうち、生き残ったのは、アンネの父のオットー・フランクただひとりでした。オットーは、収容されていたアウシュヴィッツ収容所がソ連軍によって解放されたのち、オデッサを経由して船でマルセイユに送還され、アムステルダムに帰り着きました。オットーは、1980年に亡くなるまで、アンネが記した日記を大切に保管し、アンネのメッセージを人類に遺すことに生涯を捧げました。
アンネは1942年6月12日から、もっぱら自分自身に宛てた手紙というかたちで日記をつけていました。1944年の春、ロンドンから発信されるラジオで、オランダ亡命政権の文部大臣が、戦争が終わったらドイツ占領下におけるオランダ国民の苦しみを記録した手記や手紙などを集めて公開したいという考えを持っていることを知ります。アンネは自分の日記を公開したいと考え、それまでの日記を清書し、内容に手を加え、書き直し、無駄だと思う部分を削り、記憶に基づいて必要な部分を書き加えました。最初の日記もそのまま書き続けましたが、最初の日記を「aテキスト」と呼び、公開を前提に書かれた日記を「bテキスト」と呼びます。戦後、「アンネの日記」は、性に関する記述を削除したり、オットーが亡き妻(アンネの母親)の立場を考慮したりするなどし、様々な形で発行が繰り返されていましたが、1991年、オットーの遺産を包括的に相続し、アンネの日記の版権を持つ「アンネ・フランク財団」が、アンネの自筆原稿にもとづいて作成される新版を公刊することを発表します。オットーが保管していたほかの記録も取り入れ、「aテキスト」と「bテキスト」の両方からも補充された新版が完成しました。さらに、その新版に、1998年に明らかになった、それまで知られていなかった5ページ分の日記を加えた「増補新訂版」が刊行されました。
今回、読んだ「アンネの日記」は、その「増補新訂版」の翻訳でした。説明や解説などを含めて、文庫本で600ページ。そんな「アンネの日記」を読み終えて、アンネの豊かな内面世界が伝わってきました。
もちろん、今回も、人を見つけては議論をふっかける「隠れ家」の住人の協調性のない様子や、それにうんざりするアンネの様子が伝わってきました。1944年3月25日の日記には、「いまわたしがなにより望むのは、平和を維持することであり、口論もうわさ話ももうまっぴらです」とあります。
しかし、「隠れ家」での耐え難い暮らしぶりだけではなく、アンネが初めてのキスにうっとりする様子なども伝わってきました(相手はペーター)。もちろん、「隠れ家」の住人たちがアンネとペーターの恋をおもしろおかしく話題にする様子やアンネがそんな大人たちにうんざりする様子も伝わってきますが、ペーターへの恋心がひと段落ついて、ペーターは大事な人としながらも、「わたしはすでに、内なる心の扉を彼にたいしてとざしてしまいました。それをもう一度こじあけたければ、彼は以前よりもはるかに大きな努力を必要とすることでしょう」と冷静に語るアンネの内面世界が伝わってきました。
特に、アンネたちがナチスに連行される前月となる1944年7月に記された日記からは、アンネの深い内面世界を感じ取ることができました。ノルマンディー上陸作戦が成功し、連合国軍の反撃が始まっていましたが、依然、ナチスの占領下にあり、アンネたちはナチスに見つかるのではないかという恐怖が募っていました(実際に連行されました)。
そんな時期に、15歳のアンネは、記します。
「わたしたちはみんな生きています。でもなぜ生きているのか、なんのために生きているのかは知りません。だれもが幸福になりたいという目的をもって生きています。行きかたはそれぞれ違っても、目的はみんな同じです」
「問題は神を恐れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです。だれもが毎晩眠りにつく前に、その日一日の出来事を思いかえし、なにが良くてなにが悪かったか、きちんと反省してみるならば、人はどれだけ崇高に、りっぱに生きられることでしょう」
アンネは、「わたしは自分自身を、また自分の行動を、第三者のような目でながめることができます」と記しています。また、連行されるのではないかという恐怖の中で送る「隠れ家」という極限状態での生活がアンネに大人になることを急がせたのかもしれませんが、連行される直前の時期、アンネの精神世界は、深い哲学的な思想に満たされ、人類への限りない愛が溢れていたのだと思いました。
学生の頃に読んだ「アンネの日記」がどのバージョンだったのかは今となってはわかりませんが、もしアンネが難を逃れ、生き続けることができていたら、どんな大人に成長し、どんなすばらしいことを成し遂げていたのだろうと想像しました。そして、そんなアンネの未来と可能性が、無残にも踏みにじられたことに、強い憤りを感じました。
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