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死刑でいいですー孤立が生んだ二つの殺人/池谷孝司編著のあらすじと読書感想文

2015年7月21日 竹内みちまろ

山口・母親殺害事件、大阪・姉妹刺殺事件

 山口市の山地悠紀夫は 16歳だった2000年7月、自宅で、金属バットを使って母親をめった撃ちにして殺害。取調官に「死刑か無期か、簡単にしてください。それ以外は嫌です」と告げた。生い立ちや育成歴などをある程度知る同級生の母親が約260名の署名を集め、「事件は複雑な原因の絡み合いの中で引き起こされた不幸という印象がぬぐえない」、「すべての責任を彼に問うことはできない」などとし、寛大な処遇を求める嘆願書を提出した。

 弁護士たちは、殺人という結果はともかく動機は理解できるとして精神鑑定の請求を見送った。家裁の裁判官は「少年の人格、資質の問題は、家庭環境や不幸な生育史に起因している」という判断を下し、「少年院で三年程度の相当長期間の矯正教育が必要」と言い渡した。

 2003年10月、20歳になった山路は少年院を出た。少年院や刑務所を出た10数人の若者が暮らす下関市の更生保護施設に入った後、死んだ父親の知人の紹介でパチンコ店に住み込みで働くようになった。しかし、友人と酒を飲もうとしていたところを少年院で一緒だった相手からいいがかりをつけられて殴られたり、柄の悪い男たちがパチンコ店に来て山地を呼び出したりするなどトラブルが起こり、人間関係もうまくいかず、店を転々とすることに。

 パチスロ機を不正に操作して稼ぐ「ゴト師」の福岡の集団に入った山地は、「ゴト師」を抜けたがっていたが、再起をかけた「ゴト師」集団の大阪行きに半ば強引に連れていかれた。姉妹刺殺事件の4日前、ボスに「もうやめさせてください」と切り出し、「何のために福岡から大阪まで来た」と怒鳴り散らされ、「頭を冷やしてきます」と何も持たずに外に飛び出した。

 「ゴト師」のアジトと、刺殺事件の被害者である飲食店員の上原明日香さん、千妃路(ちひろ)さん姉妹の部屋は、たまたま、同じマンションの4階と6階にあった。

山地悠紀夫

 山地は、母親を殺害したことによって性的な興奮を覚えたことを供述し、姉妹を刺殺した動機について、母親を殺した時の感触が忘れられなかったから」と話した。逮捕され、送検される車内で、不敵な笑みを浮かべる写真が報道されたこともあり、大阪・姉妹刺殺事件は「快楽殺人」と報じられた。遺族は死刑を強く望んだ。

 刑法では、精神障害の影響で善悪を判断できず、違法な行為を抑えられない「心神喪失」の場合は無罪を、その能力が極めて減退している場合は「心神耗弱」として減刑を定めている。山地の裁判は、山地自身が死刑でいいと言っていたため、争点はほぼ刑事責任能力の有無だけだった。

 大阪地裁は、アスペルガー症候群を否定し、人格障害とした精神鑑定を採用し、求刑通り、死刑判決を出した。2009年7月、25歳の時に大阪拘置所で死刑が執行。判決確定から2年2か月、事件発生から3年8か月の異例の早さだった。

「死刑でいいですー孤立が生んだ二つの殺人」の概要

 「死刑でいいですー孤立が生んだ二つの殺人」は、2008年3月から7月にかけて、共同通信大阪社会部が全国の新聞社に配信された「『反省』がわからない――大阪・姉妹刺殺事件」(番外編を含めて50回)に、新聞連載では書ききれなかった部分と発達障害の当事者の集まりである「発達障害をもつ大人の会」の取材レポートなどを加筆したもの。

 母親を殺害し、少年院で広汎性発達障害と診断されながら、少年院を出て何のフォローも受けられず孤立し、姉妹刺殺事件を起こした経緯をたどっている。

 少年院から診察を依頼された精神科医の太田順一郎氏は、結果として長期に渡って22回の診察を行ったが、人とのコミュニケーションが難しく、社会性に問題があり、強いこだわりを持つことなどから、先天的に人に共感しづらいとされる広汎性発達障害のアスペルガー症候群の傾向が見られ、「この子は反省しないのではなく、できないのではないか」と考えるようなった。

 共同通信大阪社会部の記者たちも、「恐らく特性のために他人の感情を理解するのが難しく、反省できないのだろう。取材を重ね、私たちはそう考えるようになった」という。

 「終わりに」には、「最後まで山地の『本音』を聞けず、死刑が執行されたのは本当に残念でならない」と記され、別の個所では、「『モンスターは早く殺せ』と、速やかに死刑を執行するだけでよいのか」、「なぜそうなったか、どうすれば防げるかを考えるべきではないか。そうでないとすぐ次の凶悪犯が生まれるだけだ」とも。

「死刑でいいですー孤立が生んだ二つの殺人」の読書感想文

 「死刑でいいですー孤立が生んだ二つの殺人」を読み終えて、山地の心の中を知りたいと思いました。

 山地は精神鑑定の途中から、誰に対しても心を閉ざし、公判終了まで何を聞いても、「調書の通りです」、「黙秘します」としか答えなかったそうです。

 死刑判決が下った後、「生まれてくるべきでなかった」、「公平な裁判でした」と弁護士に感想を話し、「死刑は当然」と何度も口にして、いったん弁護士が控訴するも自ら申し出て取り下げたとのこと。

 「山地は『何のために生まれてきたのか』と考え、『答えが見つからない。人を殺すためというのがしっくりくるのだろうか」と自問自答したとのこと。

 死刑判決が下った後、少年時代から面倒を見てもらっていた弁護士への手紙に、「私が今思う事はただ一つ、『私は生まれてくるべきではなかった』という事です。今回、前回の事件を起こす起こさないではなく、『生』そのものが、あるべきではなかった、と思っております」などと書きました。

 山地は、“人はなぜ生まれるのか?”、あるいは“人はなぜ生きるのか?”と悩んだのかもしれないと思いました。

 人は自らの意志とは無関係に、家庭や環境や時代を選べず、勝手に産み落とされてしまうものだと思いますが、しかし、それでも、生きなければならないのが人間だと思います。そして、人間は、否応なしに社会というものに組み込まれ、ルールを守る社会生活というものを強制されるのだと思います。

 例えば、「なぜ、人を殺してはいけないのですか?」と聞かれたときに、「そんなことも分からないのか!」と怒鳴りつけることはできても、「○○だから人を殺してはいけないのです」と、質問してきた相手をひと言で納得させることができる人がどれほどいるのだろうと思いました。

 自分がされたら嫌なことは人にしないようにしなければならない、という概念がありますが、「死刑でいい」(=殺してくれていい)という人に、「自分が殺されたら嫌でしょ。だから、人を殺してはいけません」と言っても意味がないと思います。

 “人を殺してはならない理由”は極端かもしれませんが、なぜ、人間はルールを守らなければならないのか、なぜ、社会生活が必要なのか、なぜ、他人の権利や自由を尊重しなければならないのか、などと突き詰めていくと、“人はなぜ生きるのか?”という人間存在の根本に訴えかけるような問いに行きつくのではないかと思います。

 もちろん、“人はなぜ生きるのか?”などとは考えずに、どうすれば幸せになることができるのか、どうすれば楽しく過ごせるのか、どうすればやりたいことを実現することができるのかを考え、幸せな生活を送っている人たちはたくさんいると思います。そういった人たちは、“人はなぜ生きるのか?”などと考える必要がないので、そもそも、“人はなぜ生きるのか?”などと考えること自体をしないのかもしれないと思います。

 しかし、山地は、“人はなぜ生きるのか?”と考えました。山地は多くを語らずに、死刑となりましたが、もっと山地の言葉を聞きたい、山地の心を知りたいと思いました。


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