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屍者の帝国/伊藤計劃×円城塔のあらすじと読書感想文

2017年8月15日 竹内みちまろ

 「屍者の帝国」は2009年に亡くなった伊藤計劃さんが遺した原稿用紙30枚ほどの試し書きと、A4用紙1枚ほどの企画用プロットと、集め始めていた資料をもとに、生前に親交のあった円城塔さんが書き継いで完成させた大作です。河出文庫版を読みましたが、末尾に、「執筆にあたり、プロローグ部分を伊藤計劃、第1部以降を円城塔が担当しました」との注意書きがありました。

 3部構成になっている「屍者の帝国」のあらすじと読書感想文を書いてみたいと思いますが、長文になりますので、まずは、概要と注意点を記しておきます。

 「屍者の帝国」は、人類が、死体に霊素をインストールすることで死者を屍者として復活させる技術を生み出していたとする世界が描かれています。「生み出していたとする」と書いたのは、時代設定が実際にあった過去の世界になっているからです。

 円城さんによる「文庫版あとがき」を見ると、「屍者の帝国」に描かれている物語は時代設定としては1878年から1881年の間に起きた出来事になります。円城さんは「世界史の年表的な出来事にはほとんど手を入れていない」と記していました。つまり、「屍者の帝国」は、未来世界や異世界など空想の世界で起きた物語としてではなく、過去の歴史を忠実になぞらえた世界の中で、「人類が屍者を復活させる技術を持っていた」という設定が加えられて描かれている物語になります。1878年から1881年までがどんな時代は、日本でいうと西南戦争が終わったばかりのころです。「屍者の帝国」には、西南戦争でも明治政府が屍者の兵士を導入したという設定で描かれます。

 また、「屍者の帝国」のストーリーの背景には「グレート・ゲーム」があります。「グレート・ゲーム」とは、南下政策を取るロシア帝国と大英帝国の間で繰り広げられた、アフガニスタン争奪抗争を主とする中央アジアでの抗争や情報戦のことです。

 これから「屍者の帝国」のあらすじと読書感想文をまとめますが、“「グレート・ゲーム」とは何か?”をはじめとする作品世界を理解する前提となる情報や、登場人物などの詳細も挿入部分として記載しておきたいと思います。物語のあらすじだけを追いたい方は、飛ばしてくれたらと思います。

 それでは、「屍者の帝国」のあらすじをご紹介したいと思います。

屍者の帝国・第1部のあらすじ

 優秀な医学生のジョン・H・ワトソンは、ロンドン大学医学部の講堂でエイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授による屍者のフランケン化(=疑似霊素によって動く死体となること)の実演を目の当たりにした。

【魂の重さとは

人間は死亡すると生前に比べ体重が0.75オンス(21グラム)ほど減少する。それが「霊素の重さ」と考えられた。霊素は、生命を生命たらしめる根幹と考えられている。

 ワトソンは、講堂から出ていこうとしたとき、指導を受けているジャック・セワード教授とヘルシング教授から声を掛けられた。ワトソンは、ユニヴァーサル貿易という商社の建物に案内されたが、そこは首相直属で動いているウォルシンガム機関という諜報機関だった。ウォルシンガム機関の「M」と名乗る男から、ロシア帝国の拡大政策は東欧への西進と、中央アジアへの南下の2つだと告げられる。Mは「西進に関してはクリミア戦争で激しくお灸を据えてやったが」とし、ワトソンに、「アフガニスタンが今どういう状況になっているかは言うまでもないな」と告げた。

【ロシアの南下政策とは】

クリミア戦争

 フランスのナポレオン3世が、弱体化するオスマン帝国に、イェルサレム(パレスティナ)の聖地管理権を要求し、認めさせた。ロシア帝国は、黒海から地中海、中近東方面への勢力拡大(南下)を強めていた。ロシア帝国は、オスマン帝国領内のギリシア正教徒の保護を口実に、オスマン帝国に同盟を申し込むが拒否され。ロシア帝国は1853年7月、オスマン帝国に宣戦布告し、オスマン帝国支配下のルーマニアに侵攻した。

 イギリスはフランスにはかり、オスマン帝国を支援するために参戦。サルディーニャ王国も英仏側として参戦し、「ロシア帝国 vs イギリス&フランス&オスマン帝国&サルディーニャ王国」の戦争となった。

 イギリス・フランス・オスマン帝国軍約6万がクリミア半島に上陸。セヴァストーボリ要塞の5万の守備軍との攻防戦が焦点となった。英仏軍は補給に苦しみ戦闘は長期化したが中立を宣言していたオーストリアがロシア国境に軍を集めて圧力をかけたため、ロシア帝国の孤立が決定的となった。1955年8月にセヴァストーボリ要塞が陥落。1856年にパリ講和会議が開催され、パリ条約が締結。フランスは陥落していた国際的地域を回復。ロシア帝国のバルカン、黒海方面の南下政策は挫折し、1860年代には中央アジア方面と東アジア方面へ向かった。1855年には日露和親条約を締結している。

 クリミア戦争で、ロシア軍の装備が英仏軍に劣っていることが判明した。ロシア帝国は農奴解放令(1861年)を出すなど改革に乗り出し、軍隊の近代化を進めた。

露土戦争(ロシア−トルコ)

 1875年、オスマン帝国支配下のバルカン半島にて、スラヴ系民族のキリスト教徒農民がムスリム地主による搾取に反発して反乱を起こした。反乱は広がった。クリミア戦争の敗北で南下政策を断念していたロシア帝国は、バルカンに進出する好機にするため、パン=スラヴ主義を唱え、1877年4月、スラヴ系キリスト教徒(ギリシア正教)の保護を口実に、オスマン帝国に宣戦布告した。

 ロシア軍はイスタンブールに迫り、オスマン帝国は講和に踏み切った。1878年3月にサン=ステファノ条約を締結。戦争に勝利したロシア帝国は黒海からエーゲ海におよぶ広大な領土を約束されたが、イギリスとオーストリアが反発し、ドイツのビスマルクの調停によりベルリン会議が開催され、結果、ロシアのバルカン進出が阻まれた。オスマン帝国は「瀕死の病人」と呼ばれた。

グレート・ゲーム

 「グレート・ゲーム」とは、アフガニスタン争奪抗争を主とする中央アジアの覇権を巡るイギリスとロシアとの戦略的抗争や情報戦のこと。バルカンや黒海周辺、東アジアで抗争が繰り返される一方、イギリスとロシアが覇権を争ううえで空白となっていた中央アジアを、それぞれが敵対する勢力に先駆けて支配しようとすることで始まった。アフガニスタンは、インド洋を目指すロシアの南下と、インドの征服事業を進めたイギリスとの間で争奪ポイントとなった。一般的には1800年代初頭に始まり、1907年の英露協商協定をもって集結したとされる。

グレート・ゲームへの参加

 グレート・ゲームに参加することになったワトソンは、1878年9月、インドのボンベイにいた。ボンベイは英領インド帝国アフガニスタン派遣軍の1大中継基地だった。ワトソンは、インド副王のリットンに会い、20年前のクリミア戦争の終結時にセヴァストーボリ要塞を脱出した、“クリミアの亡霊(スペクター)”と呼ばれる狂気の屍者技術者の一団が黒海対岸のトランシルヴァニアに潜伏し、屍者を生産することによって、屍者たちの自治区を建設しかけたが、ヴァン・ヘルシング教授とジャック・セワード教授がその企てを阻止し、その際に押収した大量の屍者技術をウォルシンガムのQ部門が収集し、非公開にし続けていることを知らされた。

ボンベイ城地下の女性のクリーチャ

 ワトソンは、リットンに案内されて、ボンベイ城の地下にある屍者の整備場を訪れた。そこは陸軍フランケンシュタインの大規模整備のために構築されており、一時に2000体の屍者を収容・整備可能という。

 リットンに導かれ小部屋に入ったワトソンは、正面の壁に、十重にまかれた鉄鎖でその身を十字架に縛り付けられた女性のクリーチャを見た。女性のクリーチャは、屍者を認め機動の際には洗礼を施しさえする英国国教会もヴァチカンも決して認めようとせず、存在してはならない倫理規定違反物とされていた。リットンは、女性のクリーチャには東側の未知のプラグインが書き込まれているらしいことを話し、リットンは、その死者が「君の目指す『屍者の王国』の構成員だ」とワトソンに告げた。

アフガニスタンへ

 ワトソンは、ウォルシンガムが手配した屍者のフライデー、同じくウォルシンガムが手配した大英帝国陸軍所属のフレデリック・ギュスターヴ・バーナビー大尉と共に、船でインダス川を遡り、アフガニスタンに向かった。

ロシア側の情報部員

 ワトソンらの一行は、ペシャワールで、ロシア側の情報部員ニコライ・クラソートキンと合流。従軍司祭としてロシア軍の軍事顧問団に参加していたアレクセイ・カラマーゾフが、顧問団の整備保有する屍者100体ほどを盗み出して逃走し、追跡隊に返り討ちを浴びせたことを告げられた。クラソートキンはさらに、カーブル北方の山脈の只中にある渓谷にカラマーゾフがいることを突き止めていた。

【アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフとは

 アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフは、地主の父フョードル・カラマーゾフの三男で33歳。ドミートリイ、イヴァンという2人の兄を持つ。兄弟の仲は良好だったが、父の不審死の後、使用人のスメルジャコフが死亡し、次男のイヴァンは発狂。父殺しの罪を負った長男ドミートリイはシベリアへ流刑され、一家は離散した。アレクセイは、露土戦争の準備と時を同じくして招集されたカーブル派遣の軍事顧問団先遣隊へ従軍司祭として志願し、カーブルの地で、屍者の王国を築こうと反旗を翻した。

 クラソートキンを加えたワトソンらの一行は、イギリスのペシャワール野戦軍に紛れて、カイバル峠を超えて、アフガニスタンに侵入した。戦場で、ワトソンは、三つ揃えに身を包んだ壮年のレット・バトラーと、夜会服にしか見えないドレス姿の女性・ハダリーに会った。ハダリーは「アダムにはお気をつけなさい」といい、バトラーとハダリー野営地へ姿を消した。

 カイバル峠からアフガニスタンに入った一行は、川を遡り、ある岩窟でカラマーゾフに会うことができた。クラソートキンとカラマーゾフは旧知の仲のようで、カラマーゾフは「間に合ってくれてよかった」とつぶやき、新型の屍者を「わたしの兄、ドミートリイ・カラマーゾフです」と紹介。クラソートキンは、モスクワの「ノート」については、フョードロフ師が適切な手を打ったこと、星の知恵派とは交渉の余地があること、妄信的な拡大派に内通者を得たことなどをカラマーゾフに告げた。「写本」が、榎本という大使の手によって日本政府の手に渡ったことを付け加えた。

 カラマーゾフは、ワトソンらに、「とっても入り組んだ話なのです」前置きし、「『ザ・ワン』から始めるのが適切でしょう」と語り始めた。

 カラマーゾフ、クラソートキン、ワトソンらはかつては食堂だったことがうかがえる大部屋に場所を移した。死は進化の過程で生まれたと思うか、魂は進化の過程で生まれたのか、全祖父の不死は人類の滅亡を意味すると思うか、などの議論が夜通し交わされた。

 夜が白むころ、カラマーゾフは「あなたたちとお話しできて楽しかった」と告げ、ワトソンらを寝室に案内した。翌朝、ワトソンらは、カラマーゾフの屍体を発見した。シベリアの流刑地で死を上書きされた兄ドミートリイを発見したカラマーゾフは、生者への霊素の書き込みを禁じたフランケンシュタイン3原則を破り、生きたまま自らに死を上書きし、屍者となった。クラソートキンは、知能を保持したままの生者へ死を上書きする実験はシベリアで行われていたことを告げた。

【フランケンシュタイン三原則とは

 クリミア戦争に看護師として従軍し、初期の屍者たちが連動制御も欠いた状態で戦闘に投入されている姿を見たフローレンス・ナイチンゲールが提唱した3つの原則のこと。

1、生者と区別のつかない屍者の製造はこれを禁じる。
2、生者の能力を超えた屍者の製造はこれを禁じる。
3、生者への霊素の書き込みはこれを禁じる。

屍者の帝国・第2部のあらすじ

 1897年6月、ワトソン、フライデー、バーナビーは日本にいた。フランケンシュタイン査察団(別名、リットン査察団)の一員として、日本帝国の屍兵の保有数量と品質に疑義があるとして調査に赴いたというのが表向きの理由だった。実態は、ロシア帝国の新型屍兵に関する技術要件が日本に流出した可能性についての調査に来ていた。

【フランケンシュタイン査察団とは

 ナイチンゲールは、国際赤十字団の下部組織であるフランケンシュタイン機関と呼ばれる機関の設立にも大きな役割を果たした。フランケンシュタイン機関は、各国の屍者保有量を監視したり、新技術の開発に目を光らせる国際機関で、必要とあらば、フランケンシュタイン査察団という有識者部隊を派遣する権限を持つ。

 ワトソンらは、フランケンシュタイン査察団と日本政府の交渉役として奔走する外務卿の寺島宗則から、大里化学に、榎本武揚がロシアから持ち帰った技術資料が秘匿されている可能性があることを告げられた。

 ワトソンらは、大里化学に向かったが、大里化学は襲われた後で、無数の死体が転がっていた。さらに、アフガニスタンで目撃した屍兵を軽くしのぐ戦闘力を持つ新型の屍兵2体から攻撃を受けた。新型屍兵は、バーナビーらが撃退。2体の屍兵の死体が転がる広間の中央に、ワトソンらは、金属製の針鼠のような球体を見かけた。球体の中には、大脳半球が入っており、脳からは床にケーブルの束が伸びていた。

 ワトソンらは、カイバル峠で見かけたレット・バトラーを通して、天皇と会談をする予定のアメリカ前大統領ユシリーズ・グラントからお茶の誘いを受けた。グラントは、ワトソンらに、単刀直入に、アメリカに付く気はないかと持ちかけた。グラントは、バヴァリアの狂王・ルートヴィヒ2世がファンケルシュタイン城に神々の黄昏を出現させた4日に及ぶオペラの最終幕などで屍者の暴走が起きていることを告げた。

 3つ揃えのバトラーと行動を共にするハダリーは、ファンケルシュタイン城での屍者暴走事件が意図されたものだとしたら、糸を引いているのはザ・ワンであり、ワトソンに、「協力して欲しいの。わたしたちはザ・ワンをおびき出したい」と告げた。グラントは、自身が自ら天皇と一緒におとりとなってテロ組織をおびき出す作戦を告げてきた。浜離宮の延遼館周辺では、ピンカートン保有のものを含めてほとんどすべての屍兵が暴走し、暴走した屍兵たちは天皇とグラントがいる延遼館を襲った。

ザ・ワン、“フランケンシュタインの怪物”とは

 ドイツ・バイエルン州にあるドナウ川沿いの都市・インゴルシュタットの研究室で、ヴィクター・フランケンシュタインによって、名前を持たないオリジナル・クリーチャが生み出された。”フランケンシュタインの怪物”、“ザ・ワン”などと呼ばれることになる。

 ヴィクターは自らの創造物の醜悪さに恐怖し、逃亡した。ザ・ワンは手近のものを身に着けて流浪の旅に出る。ザ・ワンは言葉を覚え、読み書きを習得し、身にまとったコートに1つの研究ノートを発見した。ノートには、フランケンシュタインの名が記されていた。

 ザ・ワンは、承諾もなしに身勝手に自分を生み出し、自分を捨て去ったヴィクター・フランケンシュタインへの怒りを胸に、ヴィクターを追跡した。

 自分にとっての創造主であるヴィクターを見つけ出したザ・ワンは、伴侶の創造を依頼する。ヴィクターは一度は望みを受け入れたが完成直前に意を翻した。伴侶を得て穏やかな隠遁生活を送るという望みを絶たれたザ・ワンは、ヴィクターへの復讐を決意し、ヴィクターの花嫁を殺害して姿を消した。

 花嫁を殺害されたヴィクターが、逆に、ザ・ワンを追い始めた。ユーラシア大陸全土を回る追跡の末、北極に至った。ヴィクターは、北極探検隊員ロバート・ウォルトンに保護され、それまでの経緯をウォルトンに語り、息を引き取った。

 船中に潜入し、ヴィクターの亡骸を見たザ・ワンは、自らの不完全な世界がヴィクターとともに終焉を迎えたことを悟り、我が身を火葬するために、北極の地へ姿を消した。

 インゴルシュタットには、ヴィクターの研究に協力する魔術結社(のちに“バヴァリア啓明結社”と呼ばれる)があったが、ザ・ワンの誕生と時を同じくして解散。バヴァリア啓明結社は、「人類の倫理的完成可能性」を唱えた。ヴィクターの研究所に残されていた文献は「フランケンシュタイン文献群」と呼ばれた。散逸した「フランケンシュタイン文献群」を長い年月を掛けて収集したのが、カラマーゾフが「師」と呼ぶニコライ・フョードロフだった。フョードロフの命を受けたカラマーゾフは、ヴィクターの手記を追ってシベリアへ旅立った。

屍者の帝国・第3部のあらすじ

 1879年9月23日、ワトソンらはサンフランシスコに到着した。浜離宮でのおとり作戦は実を結ぶことはなく、ワトソンらは、ザ・ワンが屍者を操る新技術を際限なく振り撒ている可能性があるため、ピンカートンを実働部隊とするザ・ワン追跡作戦に参加することになった。

【ピンカートンとは

 ピンカートンは、新興国アメリカのPMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー/民間軍事会社)のひとつ。南北戦争が終結した結果もてあました私兵や屍兵を社員や備品として採用し、各国の傭兵として世界中に進出している。ユシリーズ・グラント前アメリカ大統領は、大統領職から追われたのち、休暇と称して世界1周の旅に出て、ピンカートンの営業をしていた。

 ハダリーが屍者関連事件の通信ログを解析した結果、アメリカの都市・プロヴィデンス(ロードアイランド州)が浮かび上がった。ハダリーは、ザ・ワンが、自分以外に屍者を操ることができるハダリーをおびき寄せるため、わざとプロヴィデンスに辿り着けるように痕跡を残していたと考えるのが妥当と告げた。

 ワトソン、バーナビー、フライデー、バトラー、ハダリーは、ピンカートンのもとを抜け出してプロヴィデンスへ向かった。ワトソンらは、ザ・ワンが人類の破滅を目論むのならとうの昔に実現している/ザ・ワンは何かを探しているだけ/ザ・ワンは何かを守ろうとさえしているのでは、などと話し合った。

 ワトソンらは、列車の中で、ウォルシンガムの研究機関として吸収されていたルナ協会の刺客に襲われたが、プロヴィデンス市の市街地の中にある円丘「フィラデル・ヒル」の頂きにある教会へ辿り着いた。教会は、星の知恵派を名乗る異端結社の本拠地だった。

ザ・ワンとの対決

 教会にはザ・ワンがおり、ワトソンらと対峙した。が、教会ごとルナ協会のメンバーに囲まれてしまった。ザ・ワンとワトソンらは身柄を拘束され、潜水艦のノーチラス級1番艦「H.M.S.ノーチラス」で英国に移送されることになった。

 ノーチラス号の中で、ザ・ワンは、ワトソンらに、自分は18世紀の終わり頃にインゴルシュタットの研究室で目覚めたこと、屍者技術の発展を目の当たりにして屍者に魅せられたこと、人間以外の動物を屍者化できないのは動物たちの使う魂の言葉を理解できないからにすぎないという考えを持つようになったこと、ヴァン・ヘルシングは人間の魂や意識は進化の到達点だと主張したこと、ウォルシンガムの襲撃で燃え落ちるインゴルシュタットの研究室で、ザ・ワンとヴァン・ヘルシングが自らの考えについて「賭けるかね」と賭けをしたこと、ヘルシングと賭けをしたザ・ワンは動物たちも魂を持つことを証明するために動物たちの屍者化を試み続けたことなどを話した。そして、自分たちは、人間を屍者化しているわけではなく、菌株を不死化したにすぎないと告げた。

 ザ・ワンによると、霊素とは菌株とやりとりをする際に使われる言葉で、ザ・ワンや「リリス」(アダムやイブ以前にいた女の意、ストーリー上ではハダリーのこと)が使う言葉は菌株たちの用いる言葉だという。菌株は言葉を理解し、菌株か理解する言葉を使えるのは、ザ・ワンと、リリスと、大規模な解析機関だけと告げた。

 そして、解析機関が菌株の言葉を理解し、人間の屍者化に反対する菌株の中の保守派を説得できた場合、生者の屍者化が加速し、生者と屍者の区別がなくなると告げる。

ザ・ワンとともにもロンドンへ

 ザ・ワンは、ワトソンらに、ロンドンで行われる解析機関たちの会議に参加するつもりはないかともちかけた。ザ・ワン、ハダリー・リリス、バトラー、フライデー、ワトソン、バーナビーの6人は、ノーチラス号の館内見取り図にアクセスして、ノーチラス号を乗っ取り、ロンドン塔へ乗り込んだ。

 ザ・ワンは、解析機関と菌株との直接対話を設定したいと告げた。ザ・ワンは、青い小石を取り出した。青い小石は、特殊な操作によって結晶化された菌株の非晶質体という。「君たちが魂と呼ぶものの化体非晶質体」といい、「菌株側から解析機関への大使」と告げた。ワトソンのポケットの中には、アフガニスタンで生きたまま自らに死を上書きしたアレクセイ・カラマーゾフの机の上で砕かれていた青い十字架の破片があったが、ポケットの中で、ワトソンは青い十字架の破片を指先で確認した。

 一行がノーチラス号で乗り込んだロンドン塔には、ヴァン・ヘルシングがいた。

屍者の帝国/伊藤計劃×円城塔の読書感想文

 「屍者の帝国」では、印象に残っている場面があります。ワトソンとバーナビーが日本で、ザ・ワンの目的について話す場面でした。2人は、「ザ・ワンが望んでいるのは、全人類の屍者化じゃないのか」、「あるいは自分たち以外の全ての生者の屍者化かも」、「それとも、人類の革新を目論むかだ」などと言葉を交わします。バーナビーは「そんなものの何が面白い」と鼻に掛けませんが、ワトソンは、「屍者技術の極点に生まれるかも知れない、自然法則に完全に支配された、冷たく、静かで、罪のない世界。争いの絶えた死んだ楽園。人々は影のように立ち続け、ただひたすらの思索にふける。あるいはただひたすらの闘争にふける、自動的、自律的な道具たちの世界。フョードロフの構想する精神圏は、果たして静謐(せいひつ)に包まれるのだろうか」と思いを巡らせます。

 また、ノーチラス号の中で、ザ・ワンが「屍者の帝国」について、「全ての人間が、上書きされた生者のように動き続ける世界、人間の形をした機会人形たちの支配者なき夢の世界だ。彼らにも単一化された意識は随伴しているが、ただそれだけのことにすぎない。彼らは自分たちが上書きされた生者だとさえ気づかんだろう。彼らには他者が自分たちと同じように、世界を、色を、音を、形を、ありありと感じているかも知れないという発想自体が理解できない。君が今感じる青とわたしの感じる青が同じ青でありうるかという問いを理解できない。単一の]によって実現される意識はその機能を持たないからだ。せめぎ合いのない世界、解釈も、物語も必要のない、ただのっぺらと広がる世界、完全な独我論者たちの世界だ。全てはただそこにあり、あるだけとなる。あらゆる文化は停滞し、全ての佳(よ)きものはただの模倣へと還(かえ)る」と言っていました。

 ザ・ワンは、菌株と解析機関が手を組むことによって全人類の屍者化が始まる恐れがあり、それを阻止しようとするのですが、ザ・ワンの言葉を読んだときに、心の中で、ずっと違和感を持っていたことがストンと落ちたように感じました。

 以前、「ユートピア」(トマス・モア=1478-1535)や「ユートピアだより」(ウィリアム・モリス=1834-86)を読んだときに、そこに描かれている“ユートピア”で暮らす人々の姿に違和感を持ちました。

 「ユートピア」に描かれた社会は共産制をとっており、貨幣がありませんでした。人々は私利私欲よりも共和国の繁栄を優先させていました。また、「ユートピアだより」で描かれた世界では、人々は、お金のない社会で、知的労働よりも夜の心地よい眠りを提供してくれる肉体労働を好み、自然と共に暮らし、芸術的な活動に喜びを見出していました。

 確かに、「ユートピア」や「ユートピアだより」で描かれていた“ユートピア”は実現すればひとつの完成形社会なのだろうとは思いました。ただ、心の中では、そんな社会は実現するはずがないと思いました。人間が私利私欲を捨てて、自分よりも社会を優先し、他人と争わず、(人それぞれに感性が違うはずなのに)全員が同じ芸術を愛し、(人それぞれに野望や欲望があるばずなのに)知恵を絞ることをせずに単純な肉体労働だけを愛するという社会なんか実現するわけがないと思いました。

 「屍者の帝国」を読み終えて、「ユートピア」や「ユートピアだより」を読んだときに、そんな社会が実現するわけがないと違和感を持ったのは、「ユートピア」や「ユートピアだより」には人類がどのように変化すれば“ユートピア”が実現可能なのかという、過程の話がすっぽり抜けていたからだと感じました。

 一方で、「屍者の帝国」では、全人類の“魂”をいじって、全人類を自身と他者すらも区別することができない“生きる屍”にすれば、“ユートピア”が実現すると提言しているように感じました。ああそういうことかと思ってしまいました。「ユートピア」や「ユートピアだより」で描かれていた“ユートピア”は、まさに、人類が屍者化された世界なのだと思いました。

 「屍者の帝国」では、ザ・ワンは、そんな“ユートピア”を夢見ることはせず、「不死が種としての絶滅をもたらすという論理は多くの者に理解されまい」と言います。ザ・ワンは、「朝にバッハに耳を傾け、昼にゲーテに涙したのち、夕には罪なき人々をためらいなく殺すことのできる奴らの時代はもうすぐそこだ」とするも、「もう少し人間という種には生き延びてもらいたい」と告げます。ザ・ワンは、人類を守ろうとしているのだと思いました。

 「ユートピア」や「ユートピアだより」に描かれていたユートピアなんか実現するわけがないじゃないか、と書きましたが、しかし、だからと言って、ユートピアを追い求めることを否定するわけではありません。人類の革新や、それを手段とするユートピアの実現は、何世紀にも渡って人々が夢に見て、追い続けていることだと思いますし、これからもユートピアが実現するその日まで追い求めていくのだろうと思います。ザ・ワンは、人類の革新やユートピアの実現を夢見てはいませんでしたが、「屍者の帝国」を読み終えて、ユートピアを追い求める人間たちの物語はこれからも描かれ続けるのだろうと思いました。


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