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書評「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦/あらすじ&感想

2017年7月7日

夜は短し歩けよ乙女のあらすじ

 大学のOBである赤川先輩の結婚祝いの席で、皿の端に転がる蝸牛の殻を見ていた彼女(黒髪の乙女)は、無性に酒を飲みたいという衝動に駆られ、二次会へ流れる群れから抜け出した。

 「月面歩行」というバーでひとり、カクテルを飲んでいた彼女に、カウンターの隅から見知らぬ中年の男性が声をかける。彼は東堂といった。東堂は錦鯉の養殖をしていたが、可愛がっていた鯉たちが竜巻にさらわれ、途方に暮れていたという。

 東堂は彼女に、資金を借りた李白という老人から教わった、「偽電気ブラン」という秘密のお酒の話をしてくれた。飲んでみたいと好奇心でいっぱいになる彼女。東堂の生き別れた娘の話を聞いて、同情し心を開き始めた彼女の胸を、どさくさに紛れて触る東堂。

 「コラ東堂」と聞こえた女性の声に、慌てて立ち上がった東堂は風呂敷包みを手に取り損ない、たくさんの古い春画を床にぶちまけた。春画をかき集め、風のように出ていく東堂。

 助けてくれた女性は羽貫さんといい、色あせた浴衣を着た男性、樋口さんと一緒だった。羽貫さんは歯科衛生士で、樋口さんの職業は天狗らしい。

 2人に付いていくことにした彼女。街を歩き、3人がたどり着いたのは大学の文化系サークル「詭弁論部」の送別会。紛れ込んでタダ酒を満喫していた3人に、話しかけてくる酔った男性。彼は高坂といい、べろべろに酔っている理由は、想いを寄せるナオコさんという女性がほかの男と結婚したから。

 混乱に乗じて送別会を抜け出した3人が次に入った店では、赤いネクタイを締めたおじさんたちが集まり、還暦祝いが開かれていた。その中には、息子が結婚したばかりだという、染色会社の赤川社長がいた。偽電気ブランが飲みたいという彼女に、赤川社長は、李白と飲み比べをすれば好きなだけ偽電気ブランが飲めると教えてくれた。

 すっかり意気投合したおじさんたちと3人は、偽電気ブランを求め、李白を求めて先斗町をどこまでも渡り歩いていった。途中で先ほどの詭弁論部員たちに巡り合う。彼らも道連れとなった。

 先斗町の北の果て近くで出会った一群は、今宵開かれた結婚祝いの、流れ流れた○次会だった。新婦を見て、「ナオコさん」と立ち尽くす高坂先輩。新郎を見て、「ありゃ康夫か」と赤川社長。

 そこへ頭上から降ってくる古びた紙片。それは見覚えのある春画だった。見上げると、料亭の3階から東堂が身を乗り出していた。「東堂さん」と彼女が叫び、続いて「お父さん」と呟いたのは新婦。

 料亭では、東堂の春画コレクションが臨時競売にかけられていた。思うように値がつかず、やけになった東堂は身を投げようとしている。

 そこへ、暗くて狭い先斗町の南から、背の高い電車のようなものが、光を立ちこめながら向かってきた。それは3階建の風変わりな乗り物で、先頭には「李白」と書かれた看板が打ちつけられている。

 いよいよ終わりと覚悟を決めた東堂に向かって叫ぶ彼女。

「東堂さん、これから李白さんと飲み比べします。あなたの借金をかけて」

 先に立ち電車に乗り込む彼女と、続く人々。長い部屋の奥では、ニコニコしたお爺さんが一人掛けソファに沈み込んでいる。

「私と勝負したいというのは、そこのお嬢さんか」

 勝てば借金は無くなるが、負ければ2倍。赤川社長、東堂、樋口さんの李白への借金を賭け、飲み比べが始まる。

 注がれた偽電気ブランは、例えるなら、お腹の中が花畑になっていくような、まるで人生を底から温めてくれるような味であった。

 時が経つのも忘れて飲み耽るうち、李白が自分の祖父であるかのような安心感が湧いてくる。言葉を出さずとも喋りかけてくれているような気がした。

「ただ生きているだけでよろしい」

 李白は莞爾と笑い、小さく一言囁く。

「夜は短し、歩けよ乙女」

 彼女は飲み比べに勝った。喜ぶ赤川社長、東堂、樋口さん。

 その後も、結婚祝いとタダ酒飲み会と歓送会と還暦祝いとが合流した不思議な宴会が続き、「そういえば、我々はなぜ今夜集まったんだっけ」と誰かが言う。

 ふと屋上に出てみたいと思った彼女と、それに付いていく東堂。その時、屋上の古池を目がけ、空から落ちてきたのは鯉の群れだった。喜んで彼女に接吻しようとした東堂は、彼女のパンチによって古池へ叩き込まれた。

 その様子を見ていたのは、この物語の語り手である、先輩だった。先輩は彼女の前に現れるが、空から降ってきた鯉を頭で受け止め倒れる。李白の書斎に運びこまれ、居合わせた医師の診察を受ける先輩。

 先輩の無事を見届け、こっそり電車をおりる彼女。乙女の慎みとして、夜明け前には寝床に戻らねばならない。

 魔法の箱のように輝く電車は音もなく走り出す。暗くなった町にひとり残される彼女。

 暗い先斗町の石畳を歩きながら、李白の言葉を思い出す。

 我が身を守るおまじないのようにその言葉を唱えてみたくなり、呟いた。

 夜は短し、歩けよ乙女。

夜は短し歩けよ乙女の感想

 このお話は、「偽電気ブラン」という不思議なお酒を求めて、黒髪の乙女(彼女)が町を渡り歩いた一夜の物語。

 実在する地を舞台としながらも、不思議な電車が現れたり、空から鯉が降ってきたり、どこまでが現実でどこからが夢だかわからないような物語。個性豊かなキャラクターたちも魅力です。

 何より、乙女の心を虜にした不思議な「偽電気ブラン」がとても気になる。偽電気ブランは架空のお酒だけど、これをモデルにしたカクテルが、物語に出てくるバー「月面歩行」のモチーフとなった「bar moon walk」で飲めるらしい。都内にもあるということで、足を運んでみました。

 透き通った黄色のカクテルは、飴を舐めているように口の中に甘さの残る味で、あまりアルコールの苦さを感じない。しかしそもそも実在する電気ブランも、その名は40度以上のアルコールによる「舌に電撃が走る感覚」に由来しているそうで、偽電気ブランも相当の度数の高さ。普段お酒を飲む習慣のない私は、一杯飲んだだけで顔を真っ赤にしてお店を後にしました。でもなんだか少し、乙女の気分になれた気がする。

 さて、物語では、そんなひとつの不思議なお酒が、たくさんの人々を結びつけていきます。そして一見なんのつながりもない、世代も住む世界も違う人々は、実は生き別れた親子だったり、片想いの相手だったり、どこかで縁があったりする。

 偽電気ブランを求めて、意図せず人々を結びつけながら、どんな相手にも広い心で真っすぐにぶつかって、いつの間にか周りに幸せを運んでいく乙女。

 もしかしたら、あの「偽電気ブラン」の、芯から体を温める味は、人と人とのつながりを感じた瞬間の、誰でもない他人を少しだけ愛した瞬間の、心の温かさなのかもしれない。口に含むたびに花が咲き、お腹の中で小さな温かみに変わり、お腹の中が花畑になっていくような、幸せの味。乙女が李白を祖父と感じたように、その温かさの中に居ると、何の関係もない他人が、親族のように愛おしくさえ感じられる。

 乙女が探し求めたのは、本当は、そんな心の温かさだったのかもしれない。

 これは一夜かぎりの物語だけれども、「いのち短し」を一夜に詰め込んだ、彼女の生き方の縮図であり、「夜は短し、歩けよ乙女」とは、短い人生、立ち止まっている暇はない、歩き続けよというメッセージのようにも感じました。

 歩き続けて、道行く中で出会った人々をいつの間にか巻き込んで、みんなをハッピーにしながら生きていく、そんな乙女の生き方に憧れます。

 実はこの物語、「これは私のお話ではなく、彼女のお話である」と始まります。同じクラブの後輩である乙女に、ひそかに恋心を寄せる先輩「私」。しかしあまりにも「私」の存在感が薄いので、あらすじからはほぼ消えてしまいました。

 「夜は短し、歩けよ乙女」の単行本には、他にも「深海魚たち」「御都合主義者かく語りき」「魔風邪恋風邪」の3つの物語が収録されており、そちらでは「私」も活躍しています。ぜひ読んでみてください。(みゅう https://twitter.com/rekanoshuto13


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