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海賊とよばれた男/百田尚樹のあらすじと読書感想文

2013年5月5日 竹内みちまろ

 石油元売会社「出光興産」の創業者・出光佐三(いでみつ・さぞう)と、1953年(昭和28年)にイランから石油を輸入した「日章丸事件」をモデルとした小説「海賊とよばれた男」(百田尚樹)を読みました。2013年の本屋大賞。あらすじと感想をメモしておきたいと思います。ネタバレがあります。

海賊とよばれた男のあらすじ

 明治18年(1885)に福岡県で生まれた19歳の国岡鐵造は、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進学。校長の水島銕也から商人としての生き方を学び、神戸高商の近くに住む資産家・日田重太郎から、どんな商人になるのかを尋ねられます。「中間搾取のない商いをしたいと思っています」と答えました。神戸高商卒業後、従業員3人という神戸の酒井商会に入り、丁稚として大八車に小麦粉を積んで神戸の町を歩きました。

 鐵造が3年ぶりに故郷に帰ると、商売に失敗した一家は半年前に夜逃げ同然で離散していました。鐵造は、ばらばらになった家族をよび戻すためにも独立して自分の店を持ちたいと考えるようになります。就職してからも縁が続いていた日田から、「国岡はん、あんた、独立したいんやろう」と胸中を言い当てられ、日田が京都の別荘を売って作った大金・6000円を提供されます。「お金を貸すとは言うてへんで。あげると言うたんや」という日田の条件は、「家族で仲良く暮らすこと」「自分の初志を貫くこと」「このことは誰にも言わんこと」の3つ。

 25歳の鐵造は九州の門司(もじ)で、国岡商店を旗揚げし、家族を呼び戻しました。神戸高商在学中に東北の油田を見学していました。当時日本に200台程度しかなかった石油発動自動車は今後増え、「いずれ日本の軍艦も石油で走る時代が来ますよ」と思っていた鐵造は、日邦石油から機械油を卸してもらい、販売に取り掛かります。ゼロから始めた商売に苦労しますが、独自に調合した機械油を明治紡績に売ることに成功。また、門司の対岸の下関で37隻の漁船を持っている山神組(現・日本水産)に軽油を売ることになりました。当時、元売りの日邦石油の門司の特約店は対岸の下関では商売をしないという協定がありました。が、鐵造は、伝馬船(手漕ぎ船)を使って、海の上で、山神組の船に軽油を納品しました。日邦石油の下関支店に国岡商会を何とかしろという抗議が殺到し、支店長の榎本誠が鐵造を呼び出します。鐵造は、海の上で売っているので、下関では売っていないと言い張りました。しかし、強引過ぎる言い分でした。ただ、「この気骨ある若い男の芽をこんなことで摘んではならない」と感じた榎本は、「国岡に軽油の卸をストップするぞ」とは言わず、黙認。国岡商会の伝馬線は「海賊」と呼ばれ、関門海峡を暴れまくりました。

 鐵造は新しい店を建て、店員も20人近くに増えます。国岡商会が実績を伸ばし、他の地域でも販売を始めたのち、ついに、日邦石油から、あまりやりすぎるなと釘を刺されます。が、鐵造の目は外国へ向いていました。

 第1次世界大戦が始まりました。日本は、日英同盟を根拠に、ドイツの租借地・青島(チンタオ)を占領。青島攻略戦で、日本軍は、飛行機を使っていました。国岡商会は、アメリカのスタンダード石油が牛耳っている満州に進出し、東洋最大の会社・南満州鉄道で、スタンダード石油のシェアを奪います。国岡商会は、各地の支店長に支店の商売の権限のいっさいを与える方法で、国内でも販路を広げます。同業者からは「無茶なやり方だ」と揶揄されますが、それが店員への信頼であり、全権を与えるに値する店員に教育してきたという鐵造の信念がありました。国岡商会の一騎当千の店員たちは業績を伸ばしていきます。上海はじめ外国にも進出しますが、アメリカが石油の日本への輸出を禁止し、窮地に陥った日本は、東南アジアの油田地帯を占領するため、米英に宣戦布告。日邦石油や日本鉱業など4社の石油部門が統合され、国策会社・帝国石油が誕生。日本の石油政策は国策化されます。敗戦により、鐵造は、海外の資産を全てを失い、膨大な借金だけが残りました。鐵造は還暦を迎えていました。

 鐵造は、奇跡的に焼失を免れた銀座の国岡商会の本社「国岡館」で、「愚痴をやめよ」「ただちに建設にかかれ」と社員に檄を飛ばします。仕事は皆無という状態でしたが、鐵造は、ひとりの社員も解雇しませんでした(自主退社はあり)。「国岡商会のことよりも国家のことを第一に考えよ」という鐵造は、GHQに対しても信念を曲げず、いわれのない罪状で公職追放を言い渡されたときは、GHQに乗り込んで、「米国は正義の国と聞いていたが、それは偽りであったか」「無実の者に罪をかぶせて、恥ずかしくないのか。君らは神を信じるというが、その神に恥じることはないのか」と怒鳴りつけます。係官は、「パージを受けて、抗議に来た者は、あなたがはじめてだ」と告げ、GHQや占領軍の高官は、鐵造の名を聞くと、「サムライと聞いている」と、敬意を表するようになりました。

 鐵造は官僚的な石油配給公団や、旧体質の石油業界に反発しながら、タンクを購入し、タンカーを建造します。日本の石油会社は株式の50%譲渡などの屈辱的条件で外資の傘下に入り生き残りを始めていました。鐵造には、外資が入っていない民族資本の国岡商会がなくなれば、日本の石油業界は外国に支配されるという使命感がありました。アメリカの占領政策も、日本の石油業界を(=日本経済を)メジャーと呼ばれるアメリカの石油資本によって支配させようとするPGA(石油顧問団)と、それに正反対の法務局、また、日本の石油施設を破壊して農業国にしてしまおうという考えなど、一枚岩ではありませんでした。やがて、朝鮮戦争が勃発。日本はアメリカ軍の補給基地化となり、また、反共の防波堤として、日本に製油所施設や精錬能力が必要とされるようになりました。

 朝鮮戦争により、日本経済は蘇ります。鐵造は、バンク・オブ・アメリカから400万ドルという巨額の融資を取り付けて、石油業界と金融業界の度肝を抜き、「セブン・シスターズ(七人の魔女)」と呼ばれる石油業界のメジャーの目を盗み、外国からガソリンを輸入。「アポロ」と名づけて、全国の国岡商会の営業所で驚くほどの低価格で販売しました。

 そんな鐵造のもとに、イランの石油を買わないかという申し出が舞い込みました。1950年代に、イラン国民の間で、「イランの油田を国有化する」という運動が起こり、イランの政治家・モサデクを委員長とする「石油委員会」が議会に、イランが悲惨な状況から抜け出すには石油国営化しかないと答申し、議会は石油国有化を可決。利権を失ったイギリスの国営会社アングロ・イラニアンは猛反発し、イランの原油を積んだイタリアのタンカーを拿捕。イギリスは、「イランの石油を購入した船に対して、イギリス政府はあらゆる手段を用いる」と宣言し、「セブン・シスターズ」を中心とする国際石油カルテルも、「イランの石油を輸送するタンカーを提供した船会社とは、今後、傭船契約を結ばない」という通告を発布。モサデクは首相になりましたが、イランにタンカーを送る会社はなくりました。

 鐵造は「イランの苦しみは、わが国岡商会の苦しみでもある。イラン国民は今、塗炭の苦しみに耐えながら、タンカーが来るのを一日千秋の思いで、祈るように待っている。これを行うのが日本人である。そして、わが国岡商会に課せられた使命である」と重役会議で宣言。イギリス軍をはじめ、アメリカのメジャー、日本政府など、あらゆる方面に秘密が漏れないようにし、所有するタンカー日章丸をイランへ向けて出港させました。

海賊とよばれた男の読書感想文

 ストーリーはまだまだ続くのですが、感想に移りたいと思います。

 日章丸がイランのアバダンの港に入ったときのイラン人の歓喜や、日章丸の乗組員がイギリス軍の裏をかいて無事に日章丸を日本に戻した活躍など、寝る時間も惜しんでどんどん読み進めました。

 その中で、「海賊とよばれた男」の中で、一個所だけ、ページをめくる手を休めて考えた場面がありました。考えたというよりも、考えさせられたのですが、それは、瀬戸内海の徳山に国岡商会の製油所が完成し、「火入れ式」を終えた後の場面でした。工事を請け負ったアメリカ最高の石油精製技術を持つ開発専門会社「ユニバーサル・オイル・プロダクト・コーポレーション(UOP)」のポッター技師長がアメリカへ帰る機内で、不思議な感動にとらわれていました。

 当初、ポッター技師長は、徳山の製油所完成までに、少なくとも2年はかかると断言していました。それは、最善を尽くした、掛け値無しの計算で、確信でした。しかし、実際は、鐵造の「御託はいい。何としても十ヵ月で完成させろ」という強い意志のもと、実際に、10か月で完成してしまいました。

 国岡商会の社員たちは、たとえ10か月は無理でも、一日でも早く終わらせたいと、鐵造と現場の板挟みになって心労で5キロもやせるメンバーが出るほどの情熱を傾けます。すると、2か月の予定の工事が1か月で終わりました。しばらくすると、今度は、UOPの設計技師たちが首をかしげ始めます。予定の工事が4か月も早まっていたのでした。何度も工事に抜けたところがないか確認しましたが、すべて、完璧に終わっています。そして、工事がすさまじいスピードで進み始めました。アメリカから運び込む機械の納期が鉄鋼ストライキの影響で15日遅れるという連絡がありましたが、鐵造が「これまで国岡は嘘を言ったことはない。納期が遅れて完成が間に合わないと、国岡が七十一歳にしてはじめて嘘を言ったことになる」とUOPに電報を打ちます。電報を受け取ったUOPの社長が「何としても、資材を間に合わせろ!」と命令し、逆に、当初の納期よりも15日早く到着しました。

 2年はかかると断言した工事が10か月で終わったのを自分の目で見たポッター技師長は、飛行機の中で、今なお信じられない気持ちでいました。そして、クールに仕事をこなしてきた自分が、「火入れ式」の瞬間、体が震えるほどの感動を覚えたことを思い起こしていました。ポッター技師長は、「人の心がひとつになったとき、合理や計算では考えられないことが起きる」ということを、生まれて初めて学んだような気がしていました。

 この場面を読んだとき、「奇跡(ミラクル)」というものを考えました。「神がかり」と言い換えることもできますが、奇跡は起きるのだと思いました。もちろん、奇跡は起こそうと思って起こせるものではありません。ただ、実際に、スポーツの世界で(例えば、オリンピックや、ワールドカップや、世界選手権など最高レベルの戦いで)、奇跡的な演技や、パフォーマンスや、結果が生まれる場面を見ることはあります。選手達は、奇跡を起こそうと思っているわけではなく、一点の曇りもない確信的な信念や、ゆるぎない情熱を持って競技に臨んでいるわけですが、「奇跡」の領域に入るには、「心」が必要なのだなと思いました。また、奇跡は1人では起こせないものだとも思いました。徳山の製油所は、鐵造の「もし店員たちが初心を忘れず頑張る気持ちを持っているなら、必ずや十ヶ月で完成する。しかし、もし自分たちは大会社の社員であるという驕った気持ちを持っているなら、二年、いや三年経っても完成はしないだろう」という確信的な信念と、「御託はいい。何としても十ヵ月で完成させろ」というゆるぎない情熱の元、人々の心がひとつになって完成したのだと思いました。

 「海賊とよばれた男」を読んでいる途中は、正直に言うと、タイムカードも出勤簿もなく、解雇がない会社がうまくいくわけないだろう、とか、エンジニアが2年はかかるという工事が10か月で終わるわけないだろ、とか、イランの石油を輸入することに対して経営者としてリスクを取り過ぎなのでは(たとえ国のためとはいえ、船員に命を失うリスクを取らせていいのか)など、いろいろと考えていたのですが、ポッター技師長が機内で静かな興奮に包まれる場面を読んで、いい悪いとか、どうすべきとかの問題では片づけることができない現象というものが世の中には、あるいは、人生にはあるのだなと思いました。それは、人間の信念や情熱の問題であり、いい悪いとか、どうすべきとかいうよりも、何を成し遂げて、何が起きたのかという現象の方が、尊いものなのかもしれないと考えさせる瞬間であり、人間が、神聖に最も近づく瞬間かもしれません。

 そんな奇跡を人生の中で体験できる人間は、広い世界の中でどれだけいるのだろうと思いました。


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