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2019年9月22日
大学を中退した20歳の柏木聖輔は、55円しか入っていない財布を持って空腹で商店街を歩いていた。「おかずの田野倉」という総菜屋さんを見つけた聖輔は、残り1つとなった50円のコロッケを買おうとする。しかし、同じタイミングで隣のおばあさんもコロッケを買おうとしていたため、聖輔はコロッケをおばあさんに譲った。コロッケ以外の総菜を買うお金がない聖輔に、惣菜屋の店主・野田倉督次が「おばあさんにコロッケを譲ってくれたから」という理由で120円のメンチを50円にまけて売ってくれた。聖輔はメンチを食べながらアルバイト募集の張り紙を見つけ、督次に「ここで働かせてください」とお願いした。
聖輔は3年前に父親を交通事故で亡くし、地元鳥取県で母と暮らしていたが、大学進学とともに上京した。軽音サークルに入り、普通の大学生活を送っていたが、ある日突然母が死んだという知らせをうけた。母は死因不明の突然死であった。母のいとこである基志が聖輔の代わりに葬儀を取り仕切ってくれた。基志は生前母親に貸していたと言い50万円を求めてきて、聖輔は残された遺産からお金を渡した。
東京に戻った聖輔は、すぐに大学を中退した。働き口を探さなくてはいけないと思っていたところに、出会ったのが「おかずの田野倉」だった。高卒で資格もない聖輔が1人で生きていくことを考えた時に、何か技術を身に着けておくべきだと考えた。すぐに出たのが亡き父の職業である調理師であった。「おかずの田野倉」で2年働けば調理師の試験が受けられる。聖輔は、調理師という目標を持って働き始めた。20歳の秋だった。
ある日、「おかずの田野倉」に高校の同級生である井崎青葉が元カレの高瀬涼と一緒にやってくる。2人は高校時代に話したことはあるが、卒業後に連絡を取ったこともなかった。再会すると懐かしさを覚え、聖輔と青葉は連絡先を交換して別れた。その後、すぐ青葉から連絡があり2人きりで会うことになった。話の流れで聖輔は両親の死についても青葉に話した。話題は高瀬涼の話になり、青葉が高瀬と別れた理由として、価値観の違いを挙げた。高瀬は学歴も高く、青葉には優しかったが、自分を優位に見ているところがあり、それが無意識に態度出ている人であった。青葉と聖輔は、それ以降も何度か会うようになった。青葉は聖輔のことは、「誰かが前から歩いてきたら必ず道を譲る人」だと言った。
季節は冬になる。ある日、母のいとこの基志が「おかずの田野倉」にやってくる。50万円貸した時の利息分30万円を渡して欲しいという。さすがに30万円も払うことはできないと断るが、基志がしつこく粘るので聖輔は10万円を渡し「これで終わりにしてください」と頼んだ。基志は「また来る」と言って帰って行った。聖輔は、母が基志に50万円を借りていたというのも嘘ではないかと思っていた。その日、聖輔は久しぶりに家でベースを弾いた。大学を中退した時にバンド活動も辞め、ベースを売ろうとも思ったが、数千円しか値が付かないため手元に残ったものだった。5年弱使っていた愛着あるベースだった。聖輔は翌日、同じ店で働くシングルマザーの一美に自分のベースをもらって欲しいと言った。一美には中学生の息子がおり、息子はバンドに興味を持ってベースを欲しがっていた。しかし、女手一つで育てている一美にとってベースを買うのは大変なことだった。聖輔はもう使わないと言い、自分のベースを一美にあげた。
季節は春になる。聖輔は料理人だった父が昔東京で働いていたという店を訪れる。生前父から仕事の話を聞いたことがなかった聖輔は、父がどんなところで働いていたのか見たいという気持ちになったのだった。店はもうなくなっていたが、当時の店主・山城時子に会うことができた。時子から父の話を聞き、最後に聖輔は「困ったらいつでもウチに来なさい」という言葉をもらった。
別の日、聖輔はバンド仲間だった川岸清澄の実家にお呼ばれした。大学を中退してから連絡を取れていなかったが、聖輔の境遇を知った清澄の母が「家にご飯でも食べにこないか」と誘ってくれたのだった。聖輔は「おかずの田野倉」の総菜を手土産に持って行った。ごはんを食べ、帰り際、清澄の母は「困った時には言って。一人で頑張ることも大事。でも頼っていいよと言ってる人に頼るのも大事。」と言い、帰りの電車代として5千円を渡してくれた。
季節は夏になった。基志がまた「おかずの田野倉」に現れた。しつこくお金を請求してくる基志に聖輔はもう無理だと告げた。それでも店の前に居座る基志に聖輔が困っていると、同僚で先輩の映樹が基志に強く言ってくれ、基志は帰った。映樹は、督次の友人の息子で大学を中退して無力に近いフリーターをしていたところを拾われた人だった。よくさぼるが仕事の要領がよく、聖輔に仕事を教えてくれる調子の良い先輩だった。基志が帰ったあと、聖輔と映樹は督次に呼び出された。基志の一件を裏から見ていた督次は映樹に「よくやった」と言い、聖輔から事情を聞いた。基志は「もしまたきたら俺に言え」と言ってくれ、聖輔がお礼を言うと「そんなことで礼を言わなくていい。聖輔は人に頼ることを覚えろ」と言った。
ある日、聖輔の元に高瀬から連絡があった。青葉と再会した日に、高瀬とも連絡先を交換していたのだ。聖輔と青葉は、その後も時々会っていた。聖輔は青葉と話すうちに自分が彼女の事を好きだと気づいていた。高瀬は青葉とよりを戻したいと思っており、聖輔に牽制するつもりで呼んだようだった。高瀬は人をランク付けしているような発言を度々し、聖輔は自分より下だと遠回しに言って帰っていった。
聖輔が「おかずの田野倉」で働いて1年が過ぎようとしていた。映樹がお店を休んでいたある日、聖輔は督次に店を辞めたいと告げた。理由を聞かれた聖輔は調理師になるために惣菜屋以外の店でも勉強をしたいと答えた。督次はそれを聞き「聖輔は優しいんだな」と言った。実は春に、聖輔は督次から店を継がないかという話をされていた。聖輔の働きっぷりを評価してのことだった。しかし、冬に映樹の彼女に子どもができた。店のみんなで祝福し、映樹は今までよりも非常に真面目に働くようになった。映樹の彼女もしっかりした女性で、督次は映樹に店を継がせようと考えだしていた。聖輔はそれを悟り、気を遣わせないように自ら辞めることを申し出たのだった。映樹がいない日に、話をしたのもそのためだった。何も言えなくなった聖輔に、督次は「やめたあとも俺たちには頼れ。約束しろ。」と言った。父を亡くし、母を亡くし、もうこの先泣くことはないだろうと思っていた聖輔だったが、涙を流した。
聖輔は次のアルバイトが働く10月まで働き続けることになった。ある日、仕事終わりに聖輔は青葉に電話をした。青葉もちょうど連絡したいと思っていたと言った。青葉はクリスマスに、聖輔にベースをプレゼントしたいと言った。高校時代学園祭で聖輔のバンドを見に来てくれていた青葉は、聖輔にはベースが似合うと言った。青葉には以前2人で会った時に、聖輔はベースを一美の息子にあげたことを言っていた。青葉は「今の柏木くんが人にものをあげられるなんてすごいね」と言った。聖輔は青葉に今から会おうと約束をして電話を切った。待ち合わせ場所に向かう途中に聖輔は思った。自分はまだ21歳、今をおろそかにしないようにしよう、と。聖輔は人に道を譲る。ベースも譲ったし、見方によれば店も譲ったことになった。でも大切なのはものではなく、人だと思った。人は譲れない。待ち合わせ場所につき聖輔は言った。
「おれは青葉が好き。」
二十歳にして父と母を亡くし、天涯孤独となった主人公の聖輔が、時間を積み重ねながら「ひと」との出会いや絆に触れていく物語です。聖輔に起きた悲劇は重く悲しいことですが、その重さを作品全体が引きずることなく、読んでいるだけでどこか暖かく優しい空気を感じることができる話になっています。読み終わった後、周りの人に感謝したい、ひとに優しくしたいと思える作品です。
聖輔が働く「おかずの田野倉」の従業員をはじめ、家族を亡くして一人になった聖輔を支えてくれたのは、血の繋がりも何もない、小さな縁から繋がった人達でした。物語の中で、聖輔にお金を請求してくる親戚の基志が出てきます。血の繋がりがあっても、冷たい関係に終わってしまうこともあるという厳しさが逆に、人間関係を作っていくのは、人と人との日常的な繋がりなのだと実感させられました。
また、「おかずの田野倉」の従業員のみんなは、作品の中で、善人だから、聖輔に優しく接してくれているのではないとも思いました。確かに人の良い人達なのかもしれませんが、聖輔の働く姿勢や両親がいなくても何とか前を向いている姿が、周囲に伝わったからこそ、周囲の反応が温かいのだと思います。聖輔がずっと使っていたベースを、一美の息子にあげたことを言ったときに、青葉が「今の柏木くんが人にものをあげられるなんてすごいね」といった言葉が、そのことを象徴していると思います。家族を亡くし、大学も辞め、同年代の友達のように自分の好きなことができるわけではない、言ってしまえば何も持っていない聖輔。でも、聖輔はそこで自分の不幸に対して不貞腐れず、周囲の優しさを当たり前と思わず、人として大切な人を思いやる心を忘れずに持ち続けている人だと強く思います。そんな聖輔だからこそ、温かい人たちが手を差し伸べて、支えたくなるのだと思います。
この作品を読んで、人と人の繋がりの尊さを感じました。そしてその繋がりを作っていくには、まず自分から愛を持って人に接していくことが大切なのだと感じました。(まる)
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