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2019年1月19日
1948年、7月のある日、広島市比治山の東側。稲光の中、バラックに毛が生えた程度の簡易住宅に駆け込んでくる美津江。買い物袋を抱きしめたまま畳に倒れこみ、両手で目と耳を塞ぐ。3年前のピカの日以来、美津江は雷が怖かった。
「おとったん、こわーい!」の美津江の声に、押入れの襖を開けて現れた父、竹造は、美津江に座布団を投げてやる。2人が座布団をかぶって押入れに隠れていると、やがて雷は鳴り止んだ。
竹造が美津江の前に現れるようになったのは、4日前。木下さんが初めて図書館を訪れた日からだった。木下さんという青年は、美津江の働く図書館に、原爆関係の資料を探しに来た。占領軍の目が光っているから原爆資料は集められないし、公表も禁止されている。だからここに資料は無いと美津江が説明したところ、今日、そのお礼として饅頭を持ってきてくれた。
木下さんが26歳なら、23歳のお前に釣り合っている、と竹造はいった。木下さんはただの利用者だと否定する美津江に、ただの利用者なら饅頭などくれない、自分はお前の恋の応援団長として出てきたのだから、そうやすやすと引き下がるわけにはいかない、という竹造。
木下さんがピカに興味を持ったきっかけは、原爆瓦だった。あの年、8月の末、広島に出てきた木下さんは、焼け野原で原爆瓦を見つけた。びっしりと棘のようなものが立っている原爆瓦を見て、瓦が信じられないほどの高い熱で溶けたことに気づいた木下さんは、爆弾の力に驚き、もっと調べなくてはと考えた。
木下さんはその後、原爆の熱で溶けた瓶や人形など、たくさんの資料を下宿に集めた。下宿のおかみさんが気味悪がって、追い出されかかっているので、原爆資料を図書館で保管してもらえないかと美津江に聞いてきたが、それは無理な相談だった。
雨の降る午後、家の中の雨漏りを探して鍋や茶碗を置いていた竹造は、机の上に便箋と封筒を見つける。宛名は木下正様とある。手紙には、一人住まいで置き場所はあるから、原爆資料を、よければ私のところに置いてください、と書かれていた。
そこへ美津江が帰ってくる。仕事中、図書館に向かって歩いてくる木下さんを見つけたので、会ってはいけないと思って早退してきたのだという。
それを聞いて怒る竹造。好きだという気持ちがなければ、こんな手紙は書かないはずだと指摘する。手紙は出さずに捨てるつもりだったという美津江に、竹造は、なぜそう頑なに人を好きになってはいけないと思うのか尋ねる。
生き残ってしまった自分より、もっと幸せになるべき人がたくさんいた、「そいじゃけえ、その人たちを押しのけて、うちがしあわせになるわけにはいかんのです」と、答える美津江。
たとえば、ずっと仲のよかった福村昭子さん。昭子さんは、ピカの前の日、美津江に手紙をくれた。嬉しくてすぐに返事を書き、あの朝、図書館へ行く途中で投函しようと手紙を持って出かけた。庭の裏木戸に向かって、石灯籠のそばを歩く美津江に、縁先にいた竹造は「気をつけて行きいよ」と声をかけ、美津江は振り返って手を振った。そのとき、B29が屋根の向こうに見えて、キラキラ光るものを落とした。
B29に気を取られ、石灯籠の下に手紙を落としてしまった美津江が手紙を拾おうとかがんだちょうどその時、あたりが真っ白になった。石灯籠がかばってくれた。昭子さんの手紙が自分を救ってくれたのだ、という美津江。あの日、昭子さんは、ピカを浴びて死んでしまった。友達もほとんどいなくなった。自分が生き残ったことが不自然であって、申し訳ないのだという美津江。
話を終え、仕事が残っているからやはり図書館に戻るという美津江に、「これは投函しときんさいや」と、机にあった手紙を突きつける竹造。また振り始めた雨。
金曜日の午後6時。8帖間から庭先にかけ、木下青年が持ち込んだ原爆資料でいっぱいになっている。残り半分を取りに行くため走り去ったオート三輪を見送り、戻ってきた美津江の笑顔が、庭に置かれた地蔵の首にふと目をやって凍りつく。顔面が溶けた地蔵の顔を見て、「あんときの、おとったんじゃ!」と悲鳴をあげる。
その声に応えるように現れる竹造。風呂を焚いておいたから、木下さんが戻ってきたら汗を流すようすすめなさい、という竹造。ちゃんと冷たいビールと夕飯も用意したかと確かめる。ぜんぶ用意はできているといい、風呂敷に自分の荷物を包み始める美津江。どこへいくのか尋ねる竹造に、美津江は、木下さんには手紙を残し、自分はこれから出かけるのだと答える。
お前は病気だ、「うしろめとうて申し訳ない病」だ、と責める竹造に、美津江は思い切って、自分が本当に申し訳ないと思っているのは、竹造に対してであると打ち明ける。昭子さんに申し訳ないと思っているけれど、そう思うことで、竹造を見捨てたことに蓋をしようとしていたのだ、という美津江。
美津江は庭へ飛び降り、地蔵の首を起こした。「おとったんはあんとき、顔におとろしい火傷を負うて、このお地蔵さんとおんなじになっとってでした。そのおとったんを、うちは見捨てて逃げよった。」
あの時、気づくと、自分たちの上に家があった。自分はなんとか抜け出せたが、竹造の上には何十本も材木が重なっていた。そのうちに火の手が迫ってきて、竹造は「おまいは逃げい!」と叫んだ。「いやじゃ」と泣きながらも、逃げるしかなかった美津江。
自分の分まで生きろといった、最後の言葉はちゃんと聞こえていたか、と確かめる竹造。強く頷く美津江。
お前は、二度と同じことが起こらないよう、あんなひどい別れが何万もあったことを覚えてもらうために生かされたのだ、それがわからないのなら、お前のようなばかたれにはもう頼らない、ほかの誰かを代わりに出してくれ、という竹造。「ほかの誰かを?」と聞き返す美津江に、竹造は、「わしの孫じゃが、ひ孫じゃが」と答える。
少しの沈黙の後、台所へ行き、夕飯の準備を始める美津江。「こんどいつきてくれんさるの?」と聞くと、「おまい次第じゃ」と答える竹造。「しばらく会えんかもしれんね」と笑う美津江。遠くから、オート三輪の戻ってくる音が聞こえる。
「父と暮せば」は演劇の脚本として作られ、物語は竹造と美津江の2人の会話から成り立ちます。罪悪感や世間体から自分の本当の思いを認められない美津江と、彼女の願望を指摘し、原爆に対する憤りをはっきりと表現する竹造。2人の会話は、1人の人間の、表と裏の声の対話にも感じられます。
原爆の日、父親を見殺しにして生き残った美津江は、その抱えきれない罪悪感を、「みんなへの申し訳なさ」にすり替えて、生きていることを申し訳ないと思いながら自ら死ぬこともできず、死ぬときが来るまで、ただ目立たないように生きようと考えていました。
原爆を忘れようとしていたとき、美津江が出会った青年、木下さんは、美津江とは対照的に、原爆と真正面から向き合い、研究し、子どもたちに伝えていかなければいけないと思っていました。そんな木下さんに惹かれた日から、美津江の前に竹造が現れます。
美津江に過去と向き合うきっかけを与えたのは、木下さんが美津江に託した地蔵でした。溶けた地蔵の顔を見て、ピカの日の出来事を思い出し、前へ進めないのは、今ある自分が、父親の犠牲の上に成り立っていることを認められなかったからだと気づく美津江。あの日の出来事を振り返りながら、父の死の上に生きているからこそ、幸せになって、次の世代に伝えていかなければいけないのだという、竹造のメッセージを受け止めます。
「父と暮せば」の中に、竹造のこんなセリフがあります。「非道いものを落としおったもんよのう。人間が、おんなじ人間の上に、お日さんを2つも並べくさってのう。」あの日、ヒロシマの上には太陽が2つあって、地上のすべてのものを一瞬のうちに溶かしてしまったのだと、竹造はそういいます。
広島市中心部の上空で原子爆弾が爆発した時、その爆風は秒速440メートルに達し、地上の温度は摂氏5000度になったそうです。つい70年ほど前、人間が人間に対して引き起こした、そんな事実があったのです。広島では14万人が亡くなり、生き延びた人々も、放射線障害で亡くなったり、後遺症に苦しみました。
その歴史の延長に、誰かの命の上に生きているのは、美津江だけではありません。原爆が落ちて、戦争が終わった日本に、私たちは生きています。
戦争を忘れてはいけないという大きなテーマの他に、この物語には、もう一つメッセージがあるように感じます。
それは、「自分が生きていること」の意味を考えること。意味とは、理由ではなくて、代償といったほうが近いかもしれません。
物語の中で美津江は、今ここに自分の命があることの意味、父親を見殺しにしたという事実に向き合うことで、前を向く決心をします。
戦争という出来事が、現代の私たちにとって遠く感じられてしまうなら、もっと直接的な事柄で考えることもできます。
たとえば、自分の目で見ることがなくても、私たちは日々、生き物を殺し、その命をもらって命を繋いでいます。生活の中で増え続ける不燃ゴミや、毎日使う電気を作るために使われた放射性廃棄物は、海や山に埋め立てられ、目の前から消えても世界からは消えません。
自分が生きていることの代償について考えるとき、私たちは「うしろめとうて申し訳ない病」にかかります。見て見ぬふりをして、思考することをやめ、忘れてしまいます。
けれども、大きすぎる代償に目を向けて初めて、与えられた今日の意味を考えることができるのではないでしょうか。
日本に暮らす私たちにとって、戦争や原爆が、過去の出来事になりつつあります。終戦の日に生まれた人が、現在73歳。総務省の統計によれば、日本人の8割以上は、その人生の中で、一度も戦争を経験したことのない世代です。
現在、世界には約15000発もの核弾頭があるそうです。たった1つで、広島型原爆の何千倍もの威力を持つ核兵器も開発されています。
私たちは、終わっていない戦争の中で、戦争を忘れて生きています。平和という奇跡の中で、たくさんの代償の上に、私たちは生きています。
ただなんとなく生きてはいけない。一日一日が与えられた命だからこそ、顔を上げて前を向き、自分の人生を生きて、幸せにならなければいけないのです。
そしてその幸せが続くよう、ひとりひとりが考えて、自分たちの手で未来を作っていかなければいけない。この本には、そんなメッセージがあるように感じました。 (みゅう https://twitter.com/rekanoshuto13)
【参考文献】
スティーヴン・オカザキ (2007)「ヒロシマナガサキ」, ザジフィルムズ (DVD).
総務省統計局(2018) 「人口推計(平成29年10月1日現在) ‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐」, 【https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2017np/index.html】 2019年1月18日アクセス.
Arms Control Association(2018) “Nuclear Weapons: Who Has What at a Glance”, 【 https://www.armscontrol.org/factsheets/Nuclearweaponswhohaswhat 】 2019年1月18日アクセス.
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