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パウロ−伝道のオディッセー/ルナンのあらすじと読書感想文

2004年2月2日 竹内みちまろ

セーレン・ルナン(1813-1855)

 「パウロ−伝道のオディッセー」(枡田啓三郎訳)の著者のルナンは、デンマーク人です。肩書きとして、宗教思想家、哲学者、詩人などと書かれていました。「パウロ−伝道のオディッセー」には、「キリスト者とはいかなる状態の人間をさすのか」、「キリスト者になるにはどうすればいいのか」が書かれているように思えました。「パウロ−伝道のオディッセー」は、2つの編で構成されています。第一編のタイトルは、「パウロ−伝道のオディッセーとは絶望のことである」です。なんのことだか、さっぱりわかりません。みちまろは、難解な本を読むときには、本文の中のキーワードをわかりやすい言葉に置き換えるという作業をするときがあります。「パウロ−伝道のオディッセー」は、本文に書かれている情報をおっても理解できそうもなかったので、頭の中で、キーワードを置き換えながら読みました。

「絶望」とは何だ?

 「パウロ−伝道のオディッセー」の第一編では、「絶望とはどのような状態をさすのか」が、いくつかの段階に分けて説明されているようでした。その中で、「核心に迫る絶望」は2つあると思いました。2つの「絶望」を、みちまろが置き換えた言葉で紹介します。いずれも人間の精神状態をさします。

 「核心に迫る絶望 その1」

  ○ 人間が、自分の「弱さ」から目をそむけている状態(逃避)

  → 「忘却」や「自殺」や「閉じこもり」を生みます。

 「核心に迫る絶望 その2」

  ○ 人間が、自分の「弱さ」を認めない状態(反抗)

  → 憎悪を生みます。(自分以外の)何かを攻撃します。

「いまでは、彼はむしろあらゆるものに向かって荒れ狂いたいのである、彼は全世界から、全人世から不当な扱いを受けた者でありたいのである。彼には苦しみを自分の手許にもっていて誰にも奪われることのないように心がけることこそ重大なのである――だって、そうでなければ、彼は自分の正しいことを証明することも自分自身に納得させることもできないわけではないか」

 現在の日本で起きている数々の悲劇に通じる心理かもしれません。

心理学者の視点

 読み進むうちに、「パウロ−伝道のオディッセー」は、信仰体験談ではないかと思いました。そう考えると、なんとなく、概要が見えてきました。ルナンは、「うつ」や「閉じこもり」に思い悩んだようです。しかし、ルナンは、(逃避)や(反抗)を乗り越えたようです。そして、自分を、冷静に見つめたようです。自分を精神分析することは大変に勇気がいることかもしれません。ルナンは心理学者の視点を持ち合わせていたように思えました。

じゃー、どうすればいいのか?

 ルナンは、「絶望」を受け入れることが、キリスト者になるためのパスポートだと言います。絶望を乗り越えるには、以下の過程が必要です。再び、みちまろが置き換えた言葉で紹介します。

  ○ 自分自身を見つめること(告白)

  ○ 自分自身を受け入れること(憐れみと愛)

 人間は、「絶望」することにより、はじめて、神との関係を築くに値する状態に成れると言います。ちなみに、「理解する」とは「人間的な行為」と定義されています。「信じる」とは、「神に対する人間の関係を表す現象」だそうです。自分を見つめて、自分を愛して、はじめて、人間は、神の前に立てます。そして、(理解するのではなくて)、信じることにより、ようやく、

  ○ 神に赦されます(救済)

 ルナンは、日曜日に教会に通うだけで「キリスト者」を量産しているキリスト教界を痛烈に批判しています。孤独の中で一人絶望することによってのみ神との関係は築かれると考えたのかもしれません。


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