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正義の人びと/カミュのあらすじと読書感想文

2005年6月16日 竹内みちまろ

 「正義の人びと」(カミュ/白井健三郎訳)は戯曲です。帝政ロシアのテロリストが皇族の馬車に爆弾を投げる物語です。前回の配信で紹介した「テロリスト群像」の中のエピソードを題材にしています。カリャーエフはセルゲイ大公が乗る馬車に接近しました。馬車には、大公妃と2人の子ども(甥と姪)が同乗していました。子どもと目が合ってしまったカリャーエフは、爆弾を投げることができませんでした。

なぜ、「愛」にこだわるのか?

 拠点に戻ったテロリストたちは、カリャーエフの行動を総括します。組織は、カリャーエフに爆弾を持たせて、再びセルゲイ大公を襲撃する決定を下しました。その間に、テロリストたちの心の中に変化が起きます。

「そんな子供のことなんぞどうでもいいと俺たちが決心したとき、その日こそ、俺たちは世界を支配し、革命が勝利を得るんだ」

「その日こそ、革命が人類全体の憎しみの的になるわ」

「名誉なんてものは、馬車を持っているような連中にしかない贅沢品さ」

「違う。名誉は貧しい人間の最後の富なんだ」

 ある者は、「夕闇が街に立ちこめるころ、熱いスープや、子供たちや、妻の熱い抱擁を求めて、家路を急ぐ人びと」への羨望を語ります。ある者は、ロシア人民への愛のために戦っていると言うが人民は自分たちの存在なんて知らないではないかと言います。

 議論を重ねるたびに、テロリストたちの核心に迫る物語が語られていきます。

「あんたはあたしたちの人民を、そういう心安さとやさしさとで、愛しているのかしら、それとも反対に、復讐と反抗とに燃えて愛しているのかしら?」

 テロリストたちは、なぜか、「愛」にこだわります。テロリストたちは、生まれてから一度も、誰かから愛された経験がないのかもしれないと思いました。

なぜ、「憎しみ」にこだわるのか?

 子どもを犠牲にするべきか否かの議論は、テロリストたちの核心に迫る本当の物語が語られる一歩手前で打ち切られました。テロリストたちは、次の襲撃へと向かいました。テロリストたちには、苦悩をさらけだす時間すら残されていないようです。しかし、テロリストたちは、みんな、心の中ではわかっていました。

   ドーラ : ステパン、『憎しみ』って言ってごらんなさい?

   ステパン : 何だって?

   ドーラ : ひとこと、『憎しみ』って、はっきり言ってみて。

   ステパン : 憎しみ。

   ドーラ : ヤネク(=カリャーエフ)ったら、その言葉を なかなかうまく発音できないでいたわ。

神は死んだのか?

 「正義の人びと」では、カリャーエフは信仰心を持つ人物として設定されています。それは天空のはるか彼方にいる「神」に向けたものではありませんでした。カリャーエフは、襲撃に向かう前に聖像の前で十字を切りました。しかし、処刑される前に(ロシア正教会の)神父が差し出した十字架は、拒否しました。爆殺に成功したカリャーエフは、逮捕されます。牢屋で囚人(=フォカ)と話をする場面がありました。

  カリャーエフ : (前略)そうなれば、僕たちはみな兄弟さ、正義がみんなの心を浄らかにするんだ。僕の言うことがわかるかい?

  フォカ : わかるよ、そいつぁ神さまの国だ。

  看守 : 声が高いぞ。

  カリャーエフ : そう言っちゃいけないんだ、きょうだい。神にはなんにもできやしない。正義ってものが一番大切なんだ!(後略)

 「革命」を夢見た瞬間に、テロリストの心の中で、「神」は死んだのかもしれません。そんなカリャーエフに、大公妃が面会に来ました。大公妃は、最愛の夫を殺されましたが、同時に、自分と子どもたちが同乗していたために、いったんは襲撃を中止した事実を知っていました。大公妃は、カリャーエフの特赦を願い出るつもりでいました。

「なぜそんなに意地を張るんです? お前は自分に対してあわれみを感じたことはないんですか?」

 大公妃は、自分を受け入れなさいと、もしニーチェやキルケゴールがその場所にいたら同じことを言うかもしれないと思える言葉を使って、カリャーエフを説得します。カリャーエフは返答します。

「誓って言うが、僕は人を殺すために生まれたのではなかったんです」

 しかし、カリャーエフは、大公妃の申し出を拒絶しました。

不幸な愛

 テロリストは、「ロシア人民への愛」を「不幸な愛」と呼んでいました。

「もし、たったひとときでも、この世界の怖ろしい悲惨を忘れて、なるがままに身をまかすことができたら」

 引用文の中の「この世界の怖ろしい悲惨」を、「心の中にある憎しみ」と置き換えてみました。夕暮れの町で、あたたかい家族の待つ家へと急ぐような生き方ができないテロリストたちの心のSOSを感じました。

ロシアは急がねばならない

 「正義の人びと」は、テロリストたちが、カリャーエフの処刑の様子を聞く場面で終わります。テロリストたちは、「革命」にむなしさを覚えます。しかし、テロリストたちには、自分を振り返る時間がありません。

「ロシアは急がねばならないんだ」

「愛する、そうだわ、でも愛されるってこと!……いけないわ、進まなければいけないわ。誰だって立ちどまりたがるものよ。進むの! 進むの!」

 テロリストたちは、自分たちの行動のむなしさを本能的に悟っています。しかし、「ロシアには時間がない」というタイムリミットの設定が、テロリストたちを、次なる暗殺へと駆り立てます。

魔法の鏡

 哲学者や思想者、宗教者や教育者は、いつの時代にも、「自分自身を見つめなさい」と言います。ソクラテスは「汝自身を知れ」と言いました。日本に伝わる三種の神器では、自分の本当の姿を見ることができるとされる鏡は、剣や勾玉をもしのぐ力を秘めているとも言われます。「本当の自分から目をそむけるな!」という教えは、紆余曲折はあっても、古今東西を問わずに、人類に普遍的な現象だと思います。魔法の鏡を覗き込んだときに、そこに何が見えるのかは、人それぞれだと思います。自分では正常だと思っている人間は、鏡の向こう側に、思わぬ「モンスター」を見るのかもしれません。

 爆殺を思いとどまったカリャーエフは、仲間に、「昔、よく馬車を走らせたことがあった、故郷の、ウクライナでね。僕は風のように飛ばした。怖いものは何もなかった。本当に怖いもの知らずだったけど、ただ子供をはねとばすことだけが心配だったんだ」と言いました。人を殺すために生まれてきたわけではなかったカリャーエフは、愛を乞いながらも、憎しみに駆り立てられました。革命と出会い、正義を夢に見ました。神を捨てて、不幸な愛に身を捧げるために、殺人マシーンになりました。そんな自分から進んでモンスターとなったカリャーエフが不幸な愛に身を捧げようとした刹那、歴史は、馬車の中の子どもという魔法の鏡をとおして、カリャーエフに、心の奥底にあるモンスターになる前の幸せだったあの頃の自分の姿を突きつけたのかもしれません。「心優しき殺人者」は、爆弾を投げることができませんでした。

 しかし、人類の英知の結晶である(とみちまろは思う)本当の自分の姿を映しだす魔法の鏡をもってしても、カリャーエフの心に変化を起こすことはできませんでした。カリャーエフは、再度の襲撃を決行しました。セルゲイ大公を暗殺しました。そして、モンスターとなった姿のままで、処刑されることを選びました。魔法の鏡を覗き込んでしまった青年が爆弾を投げることができなかった一瞬のうしろ姿をとおして、カミュは、人間というものを描きたかったのではないかと思いました。


→ テロリスト群像/サヴィンコフのあらすじと読書感想文


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