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2012年7月26日 竹内みちまろ
日本人男性と英国人女性の間の子を母に持つ中学3年の加納まいは、授業中、学校の事務担当者から「すぐにお母さんが迎えに来るから」と帰る準備をするように告げられました。まいは非日常の出来事に興奮しますが、母親から、「西の魔女」こと祖母が「倒れた。もうだめみたい」と聞かされ、再び元の世界に戻ることはできなくなるくらいの衝撃を受けました。まいは、2年前の春、入学して間もない中学でいじめに遭い、登校拒否になったとき、祖母の家で過ごした日々を思い起こしました。
中学1年生のまいは、「わたしはもう学校へは行かない。あそこは私に苦痛を与える場でしかないの」と母親に告げ、母親は単身赴任中の父親と相談し、まいをしばらく祖母の家に預けることにしました。まいは、両親の電話の中に出てきた「扱いにくい子」「生きにくいタイプの子」という母親の言葉に傷つきますが、「まいと一緒に暮らせるのは喜びです。私はいつまでもまいのような子が生まれてきてくれたことを感謝しています」という祖母の言葉に迎えられます。祖母は、さっそくサンドウィッチを作るため、「裏の畑にいってレタスとキンレンカを採ってきて」とまいに頼みます。車もあまり通らない新緑に囲まれた5月の丘で、まいと祖母との生活が始まりました。
まいは、母親が帰ったあとにホームシックに襲われますが、野イチゴを積んでジャムを作ったり、夜はジャムのビンにラベルをはったり、ハーブティーを作ったりします。「感性の豊かな私の自慢の孫」とまいに声を掛ける英国人の祖母は、予知能力や透視などの「超能力」を受け継ぐ家系の生まれでした。まいは、魔女になるための訓練を始めます。最初の訓練は「早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」ことでした。祖母から、一番大切なのは「意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力」と教えられます。手始めに、まいは、自分で朝起きる時間と寝る時間を決め、おきている間にすることを紙に書きだしました。
祖母は「まいの場所」を作ろうと提案し、まいは杉林と竹林の間の陽の当たる場所を選びました。そこは祖母の土地の端でもあり、まいは「おばあちゃん、大好き」と告げ、祖母は、「アイ・ノウ(知ってるよ)」と答えます。まいは、だんだんと、食事をきちんと取り、祖母の分の食器も洗うようになりました。まいの生活にはいくつかの仕事と、自由なくつろぎの時間が組み合わされ、一定の心地よいリズムを持ったものに整えられ、サンドウィッチからキンレンカの葉を抜くこともなくなりました。
祖母は、魔女の力を普段の生活の中で使うことはないといいますが、一つだけ、「いつ起きると分かっていることがあります」と告げます。まいは「なあに?」と聞きますが、「ひ・み・つ」と片目をつぶり、「そのうちまいにも分かりますよ」と答えました。
3週間ほどたったあと、祖母の家のニワトリが獣に襲われる事件が起きました。祖母は、近くに住む「ゲンジさんに言って、金網を修理してもらわないと……」と言います。ゲンジは、祖母がいない場所では祖母のことを「外人」と呼んでおり、まいが封筒に入ったお金を持ってゲンジの家に行ったとき、まいは、金網にこびりついていた毛と、ゲンジの家の犬の毛が同じだと思いました。まいは、ゲンジが「まいの場所」の竹藪の境の段をくわで切り崩しているのを見ました。まいは、祖母に告げ、「あんな汚らしいやつ、もう、もう、死んでしまったらいいのに」と口にします。祖母は、「まいっ」と短く叫び、まいのほほを打ちました。
まいの父親が祖母の家に来て、まいを引き取り、両親とまいの3人で父親の単身赴任先への引っ越しを考えていることを告げました。まいは転校することになりますが、祖母にうまく丸め込まれ、自分から「やっぱりママと一緒にパパのところへ行くよ」と言いました。母親が車で迎えに来たとき、まいは泣きたい気持ちになりました。しかし、車が発信しても祖母の訴えるような視線を感じていたまいには、祖母がまいに「おばあちゃん、大好き」と言ってほしがっていたことがわかっていたにもかかわらず、しかし、祖母にほほを打たれて以来、言えなくなっていた「おばあちゃん、大好き」という言葉を、ついに、口にすることができませんでした。
まいが祖母の家で暮らしてから2年がたちました。新しい中学でショウコという友だちができ、まいは毎日学校へ通い、忙しい日々を送るようになりました。祖母の家には、あれから行っていませんでした。まいと母親が祖母の家に着いたときには、祖母の遺体が安置され、顔に白い布がかけられていました。母親が、「ぞっとするほど冷静な声で」「家(うち)ではこんなものはかけないのよ」と白い布を取り除きました。まいは、2年で人間はこんなに老いるものだろうかと思いました。まいを台所へ下がらせると、母親が号泣しました。まいは、「悲しいというのとは違う、どうしていいのか分らない」気持ちになり、涙も出ません。「この冷静さ。わたしは一体どうなっているんだろう……」と迷いますが、汚れたガラスに、指か何かでなぞった文字を見つけました。それは、祖母からまいへのメッセージでした。まいは、「おばあちゃんのあふれんばかりの愛を、降り注ぐ光のように身体中で実感」し、「おばあちゃん、大好き」と泣き叫びました。
文庫本『西の魔女が死んだ』には、「西の魔女が死んだ」と、新しい中学に入ったまいの一日を描いた「渡りの一日」という掌編が収録されていました。「渡りの一日」には、祖母から教えられた意志の力を実践し、生活をしているまいのうしろ姿が描かれていました。両方の作品を呼んだ感想を書いておきたいと思います。
祖母は英国人ということですが、『西の魔女が死んだ』を読み終えて、生きる、あるいは、生活をするということの重みを感じました。
よく、人生に夢を持てとか、人生の目標などという言い方があります。夢を持つこと、目標を持つこと、それのためにがんばることはすばらしいと思うのですが、ふと立ち止まって、なんで夢を持つ必要があるの? どうして目標を持たなきゃいけないの? と考えてみると、それは〜(何々)〜だからだ、とすぐに答えられる言葉が浮かんできませんでした。
同時に、なんで生きなきゃいけないの? 生活する目的って何? と考えてみても言葉が出て来ません。少し深く考えると、人間は自分の意志とは無関係に自分では選べない環境の中、勝手に産み落とされてしまうものです。それにもかかわらず、やれ、夢を持てだの、目標を見つけろ、なとど言われても、そんなの知るか! と言いたくなることもあるのでは、と考えてしまいました。
以前どこかで、例えば南極の観測基地など特殊な場所で長生きし、最後まで使命をやり遂げる人は、けっして無理をせず、それでいて規則正しい生活を守り続け、毎朝きちんとひげをそるタイプの人だというような話を聞いたことがあります。粘りといいますか、ほんとうの力というものは、生活を整え、リズムを守る意志にあるのかもしれないと思いました。
祖母が、まいに教えた、生活を整えて、生活を守ることの大切さは、魔女だからというわけではなく、生きるということにもつながるのかもしれないと思いました。ふと、生活、というものは、するものではなくて、整えるものであり、作るものであり、守るものなのかもしれないと思いました。生きていれば、食事を取り、睡眠を取り、なんらかの活動をすることは、食欲、睡眠欲など、向こうから勝手にやってくる現象でもあります。自分から命を絶たない限りは、たいていの場合は、何もしなくても生きることはできます。でも、そうやって、生きることと、祖母がまいに教えた、生活を整えること、そして、その生活を守り、そのうえで何かに取り組むことは、違うような気がしました。
あと、祖母が死んだ場面で、母親が「家(うち)ではこんなものはかけないのよ」と白い布を取る場面からは、なみなみならぬものを感じました。祖母は日本では「外人」であり、まいの回想にもありましたが、「ハーフ」でもある母親も日本ではそれなりに苦労をしたのではないかと思いました。
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