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銀の匙/中勘助のあらすじと読書感想文

2013年9月25日 竹内みちまろ

 『銀の匙』(中勘助)は、「私」が、茶箪笥を子どもの好奇心からこじ開けたとき、中から、銀の小さな小匙が出てきて、わけもなくほしがり、母親の元に「これをください」と持っていくと、「大事にとっておおきなさい」と珍しく直ぐに許してくれた母親が、その銀の匙の由来を語り聞かせる場面で始まります。

 「私」は難産の末にようやく生まれました。身体が弱かったうえに、ふきでものが出来たりしました。「私」は大きくなるまで神経過敏で、3日も空けず頭痛に悩まされましたが、産後のひだちが良くない母親に代わり、明治何年かに流行ったコレラで夫を亡くして家に戻っていた伯母が我が子のように愛情を注いで育てました。「私」は覚えていませんでしたが、銀の小匙は、伯母が「私」の口へ薬を入れるために探し出してきたものでした。

 『銀の匙』では、「私」が小学校へ入学するまで、伯母にぴったりとくっついていた様子が印象に残っています。「私」は外に出るときは必ず伯母におんぶされ、伯母の方も腰が痛いの腕がしびれるのとこぼしながら「私」を離したくなかったようです。「私」は5歳くらいまではほとんど土の上に降りたことがなく、帯を直すときに地面に立つとそれだけでくらくらして伯母の袂にしがみつきます。人見知りで知らない人の顔を見れば伯母の背中に顔を隠して泣き、天気のいい日はいつも伯母に背負われます。行きたい方があると「私」は黙ってその方角を指差していました。

 「私」は大きくなるにつれて、身体も成長し、丈夫になっていきますが、語り手である「私」は、「あの静かな子供の日の遊びを心からなつかしくおもう」と回想していました。伯母さんの背中から降ろされて、伯母さんが遊んであげてください、と頼んでできた初めての友だちと、夏の夕暮れを惜しみながら遊びにふけり、迎えにきた伯母さんに連れられて、「かいろが鳴いたからかーいろ」とそれぞれの家に帰りながら叫び続けた日々や、火鉢にかじりつきながら遊んだ冬の夜の思い出が語られます。

 「私」にとって、伯母さんは、味方なのだと思いました。例えば、おばあちゃんというものは、多くの子供にとって、何があっても自分の側に居てくれる存在、親とは違って何があっても自分の味方になって自分を包み込んでくれる存在なのかもしれません。「私」にとって伯母は、駆け引きとか、関係性とか、気遣いとか、思いやりとか、大人になるにつれて身につけてしまう習慣などいっさい必要のない存在なのだと思いました。ぬくもりや愛情に守られて育てられた時間はかけがえのない財産です。大人になって困難に直面しても、伯母に恥じない人間になりたいという思いさえあれば、立派な人生を歩む原動力になります。「私」にとっての伯母さんは、そんな存在なのだと思いました。


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