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太陽の子/灰谷健次郎のあらすじと読書感想文

2015年6月24日 竹内みちまろ

太陽の子/灰谷健次郎のあらすじ

 終戦から30年。「ふうちゃん」のニックネームで親しまれる小学6年生の大峯芙由子は、好きな図工と体育がある日にも関わらず、その日は学校で元気がなく、心配した担任の梶山(24歳)から「大峯、どうした?」と声を掛けられ、「おとうさんの病気はどうや」と尋ねられた。

 半年前までは明るかったふうちゃんの父親・大峯直夫は、異常な食欲を見せたり、部屋の隅で長い時間、考え事をしていたり、ふうちゃんをふいに抱き締めて泣いたりするようになっていた。

 ふうちゃんの家は、湊川の土手が発達してできたといわれる神戸の新開地の下町で「てだのふあ・おきなわ亭」という沖縄の料理を出す大衆食堂を営む。沖縄の言葉で、「てだ」は太陽や神、「ふあ」は「子」を意味し、かつて琉球の国王も自らを「てだのふあ」と呼んだ。

 「てだのふあ・おきなわ亭」の常連客は、ふうちゃんの母親の遠い親戚で「オジやん」と呼ばれる宮里加那(71歳)、集団就職で沖縄から来て町の鋳物工場で働く「ギッチョンチョン」こと平岡みのる(21歳)、ギッチョンチョンの職場の先輩の昭吉くん(24歳)、強要された集団自決で片手を失ったろくさん(50代半ば)、お人好しの独身者で船で働くギンちゃん、港でクレーンを動かす「ゴロちゃん」こと金城(45歳)などで、沖縄出身者のたまり場となっていた。

 ふうちゃんの父親は、戦争中、八重山諸島にある日本最南端の有人島・波照間島から西表島に強制疎開させられ、首里に出て、14、5歳の頃、沖縄戦の中で最も悲惨と言われたという沖縄南部の海岸線を、ゴロちゃんと共に爆弾を避けて逃げ回った。ふうちゃんの母親は首里生まれ。ふうちゃんの両親は「オジやん」を頼って神戸に出た。

 そんな「てだのふあ・おきなわ亭」に、ある日、ギッチョンチョンが、15、6歳と思われる、すさんだ顔つきの少年・知念キヨシを連れて来た。知念キヨシは幼い頃に親から離れて沖縄から大阪に連れてこられ、預けられた先を逃げ出し、野宿のような暮らしをし、8歳の頃から警察の厄介になっている少年。カタギの仕事をしようとするもゴロツキ連中に付きまとわれていた。

 ギッチョンチョンは、キヨシ少年のことを、「ものごころのつかんうちにヤマトーにつれてこられとるんやけど、あの世代がいちばんしんどい。おれなんか沖縄を自慢して胸はって生きとるつもりやけど、あいつは沖縄の人間のくせに自慢する沖縄を持ってえへん。そのくせ沖縄やというので、いちばんいじめられるのがあの質(たち)の人間や」と心配するが、キヨシ少年は、ギッチョンチョンの部屋から金を盗んで行方をくらませた。

 沖縄では97歳になったら花の風車を作ってお祝いをするという。ふうちゃんは、アダンの葉でこしらえた風車を「てだのふあ・おきなわ亭」のみんなに配った。ふうちゃんはクバで作った三弦をろくさんにあげるため、ろくさんが時々酔いを覚ます店の裏に行くと、ろくさんは、風車を握り締めてすすり泣いていた。ろくさんのつぶやきを耳にしたふうちゃんは、発作を起こした父親が何度もつぶやいた「ふうちゃんが殺されるやろが、ふうちゃんが殺されるやろが」という言葉を思い出した。

 父親の発作の原因は分からなかったが、診察した医師の一人が「沖縄ではいろいろなことがあったらしいから、そういうことが原因じゃないの」と独り言のようにつぶやいた。ふうちゃんは、父親の病気が沖縄に関係するのかもしれないと思い、沖縄のことを調べ始めた。

 明石で特急から普通電車に乗り換えて東二見駅で降り、父親が1人で訪れていたという明石の方まで続く海岸線を見て、ゴロちゃんは、「(沖縄の南部の海岸線に)似てる。確かに似てる」と呻くように声を出した。

 ふうちゃんは、梶山先生に出した手紙の中で、「おとうさんの頭の中には今も戦争があって、わたしを守ろうと必死になっているのです。そのことを知ったとき、とてもかなしかった。おとうさんは何も悪いことはしてないのにーー」などと書いた。

太陽の子/灰谷健次郎の読書感想文(ネタバレ)

 「太陽の子」は、キヨシ少年の「勇気いうたらしずかなもんや。勇気いうたらやさしいもんや。勇気いうたらきびしんもんや」、「ひとの不幸をふみ台にして幸福になったってしょうがないやないか。そんなもん幸福といわへん。けど、おれは今までそのことがわからへんかったんやなあ」という言葉が心に染みました。

 読んでいる途中は、「太陽の子」はどんな物語なのだろうと思っていました。

 例えば、「キヨシ少年の捨てばちな生き方は、ただ、他人にいじめられて生きてきたからというだけではかたづかない、もっと深いものがある」などと気が付くふうちゃんの成長物語だったり、生まれて初めてふうちゃんが人の悪口を言うのを耳にして、「自分の手の届かないところへふうちゃんがいくような気がして、心細かった」というふうちゃんの母親の心に訪れた変化の物語だったりするのかなと思いました。

 あるいは、今も心の中で戦争が続いている父親の物語が語られたり、沖縄での悲惨な出来事が語られたりするのかもしれないと思っていました。

 しかし、父親の物語は最後まで何も語られず、父親は首吊り自殺をしてしまいます。

 また、沖縄での悲惨な出来事は、間接的に語られます。それは、「かれの人生の中に不公平な沖縄がいっぱいつまっているということを知ってもらいたい」とキヨシ少年をかばうろくさんの口から、軍人によって集団自決を強要されたり、赤ちゃんの泣き声でアメリカ兵に居場所を知られるからと我が子である赤ちゃんを殺すことを強いられた体験が語られたり、沖縄のことを知ろうとするふうちゃんにせがまれたギッチョンチョンが、いつしか我を失い、「沖縄は見殺しにされたんや。ヤマトーの奴は、いつだって沖縄を見殺しにして、自分だけ甘い汁を吸いよる。むかしからずっとそうや。今だってそうや。これからもそうや」などと口走ったり、母親に捨てられたと思い込んでいたキヨシ少年ですが、手紙によって、キヨシ少年の母親がアメリカ兵に乱暴されてその米兵の子どもを生んだことが語られたりするという形でした。

 「太陽の子」では、ふうちゃんがアキレス腱断絶で入院したり、ギッチョンチョンのデートにふうちゃんとキヨシ少年が付き合ったり、キヨシ少年がゴロツキ連中から「オキナワ」と呼ばれて乱闘をしたりなど、様々なエピソードが描かれていました。

 そんな中で、警察の人間がキヨシ少年の入院先の病院にやって来たとき、ろくさんが「かれの人生の中に不公平な沖縄がいっぱいつまっている」とキヨシ少年をかばうのですが、ろくさんの告白を聞いたキヨシ少年は、「つらかったけど、おれ、うれしかった。おれ、生まれてはじめて沖縄の子どもでよかったとおもたんやぞ。勇気いうたらなんやということを、ろくさんのおっちゃんにおしえてもろた」などと、ふうちゃんに告げます。「沖縄の人間のくせに自慢する沖縄を持ってえへん」と言われていたキヨシ少年の口から出た、「勇気いうたらしずかなもんや。勇気いうたらやさしいもんや。勇気いうたらきびしんもんや」という言葉も心に染みました。

 「不公平な沖縄」を背負い、残酷なことを強いられて、悲惨な目にもあっているキヨシ少年が、「ひとの不幸をふみ台にして幸福に」なっている人々を糾弾したり、自分も「ひとの不幸をふみ台にして幸福に」なろうとするのではなく、「ひとの不幸をふみ台にして幸福に」なることになんの価値もないと断言する姿を見て、人間の心の美しさのようなものを感じました。そして、その美しさは沖縄の人々の心の美しさそのものなのかもしれないと思いました。


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